VIPルームにも――ララたちとは別に、屋敷スタッフのために用意された部屋にも、招かれた全員が、すでに勢ぞろいしていた。

 今日は、グレンやセルゲイたちもスーツ姿だ。アルベリッヒもセルゲイに連れられて、はじめてスーツを手に取った。

 「似合ってるじゃねえか、アル」

 「ほんとう? うれしいな」

 濃いグレーのストライプのスーツに、グリーンのネクタイ。メンズ・ミシェルに褒められて、アルベリッヒは嬉しそうな顔をした。

 ロイドは、曲目が書かれたパンフレットを手に、ワクワクが止まらない顔をしている。

 「僕じつは、コンサートって初めてなんだ」

 「ホントかよ」

 チャンの手下の五人が、声をそろえて言った。

 「アンタ、L5系のお坊ちゃまだろ?」

 「僕は、そういうの、親に連れて行ってもらえなかったから」

 ロイドは苦笑した。オペラや観劇、コンサートに連れて行ってもらえるのは、兄だけだった。

 「そりゃかわいそうだな」

 「かわいそうでもねえぜ。かわいそうなのは俺だよ。べつに好きじゃねえってのに、嫌でも、無理やり連れていかれたぜ」

 「そうそう。教養を身につけなくちゃってなあ」

 「オペラなんて死ぬほど見たけど、教養なんて鼻毛ほどもくっついてねえな」

 「そうだな」

 声をそろえて、五人は爆笑し、ロイドも腹を抱えて笑った。チャンが、「バカ丸出しにするなとあれほど……」とこめかみに青筋を立たせ、ユミコが隣で、「まあまあ」と苦笑していた。

 

 コンシェルジュが注いでくれる上等なワインを片手に、

 「ルナちゃん、やっぱり来れないかなあ」

 エマルが、気の毒そうに言った。アンに勝るとも劣らない、真っ赤で派手なドレスを着て。

 「子持ちのあいだはねえ、しかたないもんよ。まあ、明日あたり、ピエロの様子が変わっていりゃあね。あたしでだいじょうぶなら、面倒みるよ。夜でも昼でもルナは来れるさ――シャインがあるから、すぐ行き来はできるし」

 上品なワンピース姿のツキヨは、ワインは遠慮した。澄んだ味の炭酸水を、グラスに注いでもらう。リンファンも苦笑した。

 「もうすこし、ピエロが大きくなったらね」

 「だって、ルナちゃんは、K19区の役員になるんだろ? 四年に一度も、子どもを授かってたんじゃ、一生コンサートに来れやしないじゃないか」

 エマルが口をとがらせていると、流れていた曲が変わった。

 「あ、これ、ミンシィのアイアン・ハートだわ!」

 シシーが叫んだ。

 「シシー、耳元で騒がないでくれ」

テオは言ったが、シシーは聞いていない。さきほどから、アンの昔のアルバムと、ミンシィの曲が、交互にかかる――「そろそろね」カルパナが、そわそわした面持ちで、腕時計を見やった。

「はじまりますわ」

カザマが、嬉しげに言った。

 

舞台裏では、すでにアンの用意は整っていた。

会場のほうから聞こえてくる期待に満ちた騒めき――これをアンは、何十年も前に聞いていた。アンは静かに目を閉じ、思い出した。

つらい過去が多かった。思い出したくないときもあった。しかし、今は悲しい歴史を、子どもたちや恋人と過ごしたしあわせが、塗り替えていく気がした。悲劇はただの悲しみではなく、アンの足を踏み出させる、いきおいになろうとしていた。

(マルセル、セイン、ニコル――みんな。そして、オルティ)

もういちど、舞台に立つことができるとは、思っていなかった。

アンは振り返り、ふかぶかとアニタたちに向かって、お辞儀をした。

「みなさん、ありがとう――行ってきます」

アニタもリサもキラも、レディ・ミシェルも。

サルビアもアンジェリカも。

一瞬、言葉が出てこなかった。

たった五日間の――アンの77年の人生の、総仕上げがはじまる。

「アンさん、がんばって」

アニタが言った。アンは、ほころぶような笑顔を見せた。

最上に美しい、微笑みだった。

 

 予定時刻から五分――ふっと、場内のアナウンスもやみ、音楽もやみ、場内は暗闇になった。

 パッとステージにスポットライトが当たり――そこには、シルバーのドレスを着たアンが立っていた。

 

 「きゃーっ!!!!!」

 絶叫とともに、席から総立ちしてガラスに張り付いたセシルとエマル、リンファン、そしてシシーに、子どもたちは呆気にとられたが――彼女らの悲鳴とともに、ホール自体が揺れたかのような大歓声に、硬直した――。

 ほんとうに、会場が、揺れた。錯覚ではなかった。

 客席は全員総立ちし、アンの名を合唱した――ラガーのメンバーも、そのすさまじい人気に、口を開けた。会場の天井は、ひとびとの雄叫びで、吹っ飛んでいきそうだった。

 

 「“アイアン・ハート”」

 

 アンの歌声が、突き抜けるように、響きわたった。

 

 



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