二百十四話 天秤を担ぐ大きなハト Ⅳ



 

 「アダム、こっちだ!!」

 天の助けかと思った。アダムは、硝煙弾雨のなかを、聞き覚えのある声に向かって走った。

 「バーガス!」

 アダムは、横付けされた四駆に乗り込む。後方から、熱気が押し寄せる。今まで乗っていたバスが炎上するのを見ながら、アダムは友人に出会えたことを感謝した。アダムを乗せたバーガスは、急いで車を転回させた。

 「た、助かったぜ――」

 「間一髪だったな」

 バーガスの言うとおりだった。アダムが乗っていたバスは、軍の砲火の巻き添えを食らって、炎上したのだ。バスにはアダムひとりしか乗っていないことが、幸いした。

アダムは、バーガスに怒鳴った。

 「おめえ、なんでこんなところに」

 「アカラに入るには、ここからじゃなきゃ無理だってンで、こっちへ来たんだが」

 アダムもそうだった。

首都アカラは、ドーソン派の貴族軍人たちが占領していて、郊外からの人間を一切排除していた。

アカラを囲むホド、ルバティア、ミスト、カラカン、ゾースの街から入ることはぜったいにできなかった。しかし、唯一、ゾースとアカラに挟まれた、ヘンダルという、ちいさな傭兵自治区からはこっそり入れるという話を聞いて、アダムはこちらへ来たのだが、まさか一番ひどいことになっているとは。あやうく、戦闘に巻き込まれるところだった。

レンタカー屋からは人も車も消え失せ、アダムはやっと、ポンコツのバスを高い金を出して買い、ここまで来たが、バスはあっけなく大破した。

L18に来たはいいが、さんざんだった。アダムは、ここまで来るのに、二度も命の危機に直面した。軍部につかまりそうになったのではない――同じ傭兵に襲われかけたのである。さっきの戦闘は、ヘンダル自治区の傭兵と、アカラを封鎖した軍人たちとの衝突だった。

「ヤベえな」

「ああ」

――これが、全土にひろがったら。

 

 「アダム、おまえ、アカラになにか用事が?」

バーガスは後部座席に向けて怒鳴った。

「最初は、アジトの様子を見てくるつもりだったんだが」

L18に降りるまでは、そのつもりだった。だが、アカラに近づくにつれ、状況は物騒さを増す。想像以上の悪化だった。アダムは最終的に、なにがなんでもアカラの様子を探って、メフラー親父につたえようと思ったのである。

 マックは、インシンとともに桃龍幇のアジトへ行くそうだし、シドはナンバー9のもとにいる。メフラー商社のメンバーと、アダム・ファミリーの面々は、みなL18にはいない。仲間の心配はいらなかったが。

 「おめえ、レオナとチロルは」

 アダムの問いに、バーガスは怒鳴った。砲火の音で、声を張り上げなければ伝わらない。

 「ナンバー9のアジトにいるよ! どっちにしろ、すぐにはアカラには入れねえ。しばらくゾースの郊外で待機しよう。ニュースを見たか」

 「いや。昨日の午後から、なにも聞いてねえ」

 バスのラジオはぶっ壊れていた。

 「じゃあ、青蜥蜴がL43で挙兵したってのも、アンのコンサートが開かれるって話も、なにひとつ知っちゃいねえんだな」

 「なんだとォ!?」

 アダムは、聞き違えたかと思った。どちらのニュースも、軍事惑星の者なら、目を見張る大ニュースだ。

 「アンって、あの、歌手のアンか!?」

 「そうだ」

 バーガスはうなずいた。

 「生きてたってのか」

 アンこと、アンドレアは――軍事惑星最大の人気歌手は、とうの昔に銃殺刑になったはずだった。

 「聞いて驚くな。おめえとドローレスが去ったあと、ツキヨさんの相方として地球行き宇宙船に乗ったんだよ。アンは、仲間と一緒に、E353で暮らしていた――オルティスってもと傭兵が、船内でラガーっていうバーをやってたんだが、アイツは、もと“ラ・ヴィ・アン・ローズ”にいたんだ。俺も懇意にしてたやつだ」

 「……あァ!?」

 “ラ・ヴィ・アン・ローズ”という傭兵グループの名を知らない者はいない。アンが歌手をやめ、傭兵のみなしごを育てるためにつくったグループだ。

 「アンは、E353で生きてたんだ。もうすぐコンサートが開かれる。地球行き宇宙船でな」

 後部座席でへたりこんだアダムに、バーガスがドアミラー越しにニッと笑った。

 「俺もアカラの様子を見たいと思って、ひとりでL18入りしたんだ。どうせなら、いっしょに行こう。しばらくはアカラに入れねえんだから、アンの歌でも聞いてのんびりやろうぜ」

 アダムは、口を開けたままぽかんとしていたが、すぐに首を振った。

 「あ、ああ……いや――いや、待てよ? アンの歌を、だって? 俺ァ、のんびりしちゃいられねえんだ。アンのこともそりゃびっくりだが、カナコが挙兵? L43で? 親父は知ってンのか」

 「落ち着けよアダム。親父が知らねえはずはないだろう。俺ァ、親父の代わりにアカラの様子を見に来たんだ――ニュースを聞け。話はそれからだ」

 バーガスは、ラジオの音量を上げた。とたんに、アンの歌声が、大音量で車内に響いた。

 「うおっ!?」

 「コンサート、もうはじまってるのか」

 アダムが後部座席から身を乗り出す。

ふと街中を見ると、すでにヘンダル自治区は過ぎていた――ゾースの街も、ずいぶんひと気がなくなり、さみしげな様相だ。車はどこまでも一本道を走っていく。

バーガスもアダムも、しゃべるのをやめた。ゆたかなアンの声が、爆撃の音でしびれているふたりの鼓膜を癒した。

アンの歌声を、大音量で流しながら、四駆は走った――やがて、さびれた店舗に、ひとが大勢集まっているのが見えた。

 「バーガス、止まれ」

 「えっ!? おお!?」

 いきなり言われて、バーガスは急ブレーキをかけた。車から飛び出したアダムは、切れかけたネオンの看板がある店舗へ、ドスドス大股に駆けて行った。バーガスもそれを追った。

 バーには、近所の住人が大勢集まっていた。皆が注視しているのは、テレビだ。そこにはアンが映っていた。地球行き宇宙船のホールで歌う、アンの姿が――。

 「“カナリア”だ……」

 アダムは、つぶやいた。

 

 

 地球行き宇宙船――K27区の屋敷では、ルナが電話の子機を片手に、大広間のソファで、アンのコンサートを見ていた。

 「うん。――うん、ピエロは寝たよ。キラリも。だから来てもよいですよ」

 ルナはうなずき、電話を切った。待ちかねていたように、シャイン・システムのランプがつく。ルナがロックを解除すると、ララが現れた。

 「悪いね、ルナ」

 「ううん。だいじょうぶ」

 ララは、蝶ネクタイの礼装姿。アンのコンサートの最中に抜け出してきたのだ。ルナとともに、まっすぐに大広間へ向かった。ZOOカードはすでに、大広間にスタンバイされていた。

 ルナは今朝、ピエロとキラリが眠ったら、すぐに呼んでくれと、ララに言われていたのだった。

 今日はアンジェリカが、コンサート・スタッフとして幕内に控えている。彼女が妊娠中ということもあり、明日から、カザマの娘のミンファがアンジェリカの代わりとして入る。  

今日はアンジェリカの代わりに、ルナがZOOカードをするというわけだ。

 「でも、あたし、アンジェと違って、自由には使えないよ?」

 「分かってるさ」

 ララはニッと笑った。

 

 大広間に来たわりには、ララはすぐZOOカードに張り付かなかった。ルナと一緒にソファに座り、コーヒー片手に、アンのコンサートを観賞した。ララが動かないので、ルナもララの隣に座った。

 ルナはぽつりと言った。

 「まさか、120000枚一気に完売するなんて、思わなかったもんね。ほんと、アンさんの人気はすごいね」

 最初からララの言ったとおりに12000人ホールにしておけばよかったと、アニタは帳簿を見ながら嘆息した。2000人ホールのキャンセル料は、じつにもったいない出費だった。彼女がしばらく、ぶつぶつ言っていたことをララに言うと、彼は苦笑をもらした。

 「アンの人気だけってわけでもないさ」

 「ぷ?」

 「天機、地の利、人の運――ぜんぶそろって、この結果だ」

 ララ曰く、アニタの読みは間違ってはいなかった――通常だったら、2000人ホールが妥当だっただろう。アンはブランクの時期が長かったが、ラガーで歌うようになってから、新たなファンが増えた。最初、アンが提案した、50人ほどしか入れない、ホールともいえないレストラン会場では、さすがに少なすぎる。身内に声をかけたらそれで終わりだ。アニタは思い切って2000人ホールに目安をつけた――ララは、当たりだと思った。だが、ララがそれ以上の集客を見込んだのには、さらなる理由があった。

今回は、さまざまな好条件があったから、結果として30万人以上の応募に膨れ上がったのだと、ララは言った。

 

 「宇宙船が地球に着く時期になって、娯楽が少なくなってきたからね。もう船外からアイドルやらバンドやらを誘致できないだろ。だからホールで催し物が少なくなる――いや、ここ一ヶ月は、船内楽団のクラシック・コンサートしかないわけで。ほかにも、船内のイベントは沈静化してくる。あとは地球に着くだけだってね。船内の住民も退屈になってきたころにこういうでかいイベントがあれば、人は飛びつく」

 「そうか」

 ルナは、なるほどとうなずいた。

 「それにね、この宇宙船は、よほどの人気歌手や、有名な楽団しか呼ばない。ルナも知ってるだろ? この船内で販売されるものも、なにもかもがプレミア品なのさ。だから、船外の株主や富裕層は、そのプレミアを観賞するために、たとえアンのファンじゃなくたって――アンのことがよく分からなくたって、この宇宙船でやる催しだから、飛びつくんだ」

 時期も、場所も、あらゆる条件が、なにもかもが最高だった。むろん、アンの人気もあるが、チケットが爆発的に売れたのは、そういう要素も加わってのことだ。

 「今にも地球に着くんだってときに5日間連続コンサートをひらくのも、エキサイティングだしな」

 「エキサイティング!」

 ルナは叫んだ。

 「そう。エキサイティング。金持ちたちは、興奮のしどころが、よくわからねえところがある」

 ララはコーヒーのお代わりを要求し、やっと本題に入った。

 「ルナ、そろそろ、ZOOカード見ようか」

 「う、うん」

 「心配しなくても、あたしの仕事に関わることじゃない。――ピエロに、ラ・ムエルテが出たんだね?」

 ルナは一瞬詰まり、それから、こくりとうなずいた。ルナの目に、涙は浮かんでいなかった。

 「それを、見せておくれ」

 



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