青蜥蜴のアジトでは、L43の局以外は、映らなかった。合流してきた傭兵たちの話で、アンのコンサートが開かれると知った青蜥蜴の一部は、必死でラジオチューナーをいじっていた。入りそうで、入らない。電波が拾えない。 「アンのコンサートって、軍事惑星でしか放送してないの?」 「でも、ラジオもあるし――ネット配信は、ぜんぶ終わってからだわ」 「軍事惑星より、ネット経由で、地球行き宇宙船のを直接つなげない?」 「もっと無理じゃない、それ」 パンフレットは手元にある。そろそろ、昼の部が終わる時間で、彼女たちはあきらめたようにチューナーから手を放した。 「あんたら、そんなことしてる場合じゃないだろ」 副長のラリマーが、しずかに咎めた。アンのコンサートだ。聴きたいという気持ちも分かるが。 「カナコさんだって、アンの曲好きでしょ」 「あたしたちは、聴かせてあげたくって――」 「カナリアも歌うかもしれないし」 カナリアの曲が歌われるのは、パンフレットによると三日の10曲目だ。彼女らは、なんとしても、三日目までには、コンサートが聞けるようにしたかった。 「しかたないね。でも、あと一時間だけね。用は山ほどあるんだから」 「はい!」 ラリマーは厳しく言わなかったが、じっさい、L43で挙兵した以上、なさねばならないことは山積みなのだ。ラジオなどにかまっているヒマはない。 近隣の原住民たちへの警戒、とくにDLの動向を探ること。軍部が――軍部よりの傭兵グループが、いつ押し寄せてくるかもわからないから、それらへの対処。情報収集。 だいたいの傭兵グループが、L18が傭兵の星になったとしても、うまい汁を吸うのは白龍グループやブラッディ・ベリーほか、大規模なグループばかりだと踏んでいる。それが不満な連中が、カナコにあやかって、軍部と交渉しようとしているだけ。 おまけに、カナコの意志に本気で賛同して合流してくるのは、傭兵の中でも最上級にヤバいヤツらばかりだ。――ようするに、戦闘が好きなだけの殺人狂だ。 彼らは、状況が悪化すれば、カナコを手にかけて、金だけ奪っていくことも十分にあり得た。 捕らえていたラック&ピニオン兄弟が、逆にカナコを心配しはじめたので、今は解放した。彼らは帰ることなく、めんどうなヤツらからのボディーガードになってくれている。 あのふたりは、カナコの意志が頑丈なことを分かってはいても、メフラー親父が説得すれば退くだろうと思っている。 (親父さんは、カナコを必死で説得するだろうな) ラリマーが深くため息をついたのは数日前の話で、あとは感傷をやめた。メフラー親父だけではない、アダムも、ほかの皆も、青蜥蜴と戦闘をする気はない――ザイールも、アレはしつこい男だから、何度もやってくるに決まっている。 なんとか説得して、カナコを退かせようと懸命だ。 だが、カナコの決意は固い。 いますぐにでもL18に向かおうとするカナコをとどまらせているのは、増え続ける傭兵たちなのだと、敵に知らせるわけにいかない。 (長期戦にはできないのに) 長期戦にすればするほど、周囲の原住民も不穏になるし、抱え込んだ獅子身中の虫も危ない。しかも、どんどん増える傭兵たちの待機場所を確保することもむずかしくなってきていた。いまは、傭兵グループのほうに自力で待機場所を確保してもらっているが、それも限界がある。 (来月まで、この停滞を持ち越すわけにはいかない) カナコが挙兵を決意したのも、じつは青蜥蜴と一緒に行動していたL20の軍の撤退理由だった。L18でドーソン派の軍部が反乱を起こし、それをしずめるために、呼びもどされることになった――その当時の話では、L18は軍部同士のあらそいで大混乱。一般市民はL20や19、22に流出し、L18は入星禁止になるほど弱体化したという話だった。 その話を聞くにつけ、カナコは、大規模な連合軍を率いていけば、L18を乗っ取れると考えた。 だがじつは、軍部が反乱を起こしたのはアカラ近辺だけのことで、すでに沈静化していた。L18が入星禁止になったのは、シュノドスのせいで一時的な禁止になっただけで、それを勘違いした者が、「L18はだれも入れないほど混乱状態らしい」とカナコに告げたのだった。 情報は錯そうしている。ずいぶんな辺境である、しかも原住民組織の巣であるL43にいる青蜥蜴には、ただしいL18の様子は伺い知れない。 あたらしく合流してくる傭兵グループたちの情報も、メチャクチャだ。 ある者は、「アカラが封鎖されている」と言い、ある者は、「アカラは壊滅した」と言い、ある者は、「アカラでの戦闘は終わった」と言った。 (もとから、カナコも、青蜥蜴だけでコトを成すつもりだった) 声明を出すのが早すぎたということが、後悔といえば後悔だ。 せめて、L18に入ってからするべきだった。青蜥蜴はすかさず動くつもりだった。だが、大集団になってしまったのが、よくなかった。 「集まりたい傭兵たちがすっかり集うまで、待つべきだ」という傭兵グループと、「素早く動かなかったら、L18がまた軍部で埋められる!」と会議も紛糾している。大連合軍に名をつけることさえまとまらない。だから、いまでも『青蜥蜴』だけが、反乱の旗印であり、核なのだ。 もしかしたら、この挙兵は失敗するかもしれない。いざ戦闘になったら、味方になった傭兵グループの三分の二は、裏切るだろう。それは予想がついた。 (あたしは、カナコと討ち死にする) ラリマーの幼少のころも、カナコと似たようなものだった。ラリマーの親がいた傭兵グループは、戦地で、軍部に見捨てられた。ラリマーの親も、行方不明になった。ラリマーも、カナコの怒りは分かる。 類は友をというのは、こういうことを言うのだろうか。青蜥蜴のメンバーは、ほとんどが、そうして、軍部に裏切られ、見捨てられ、または将校たちに身内を殺されてきた連中ばかりだった。真に青蜥蜴の味方をする傭兵グループも、そういった人間ばかりだった。 (カナコ、あたしはいつでも、覚悟はできているよ) ラリマーは、心のなかだけでひそかに誓った。 狭い部屋では、若いメンバーが、一生懸命ラジオをいじっている。ラリマーはそれを愛おしく見つめ、ドアを閉めた。 一日目のアンのコンサートは、満員御礼で大拍手の大喝采で終了した。アンは昼の部も夜の部も、10曲目と11曲目の間に「カナリア」を歌い、アンコールには、二曲ずつ歌った。 夜の部の最後の曲――「バラ色の蝶々」を歌い終えて、幕内にもどってきたアンは、待っていたアニタたちににっこりと微笑み――ふらりと傾いだ。 「アンさん!!」 アニタがあわてて抱き留めた。袖にやってきたオルティスが、花束を放り投げてアンを支えた。 「だ、だいじょうぶか、アン!!」 「平気よ……」 アンは、支えられながら椅子に座り、スポーツドリンクを飲んだ。リサは、アンの汗を拭いてやろうとしてそばへ来て、一瞬だけ顔をこわばらせた。アンの顔は、ひどくくたびれて見えた――すべての生気が、抜け落ちたように。 「イシュメル、アンさん――だいじょうぶかな」 最後まで、歌い続けられるのだろうか。 屋敷のキッチンでスープ鍋をかき混ぜながら、ルナはぽつりとこぼした。アンコールのラストの曲――テレビを見ていたルナの肉眼にも見えた、アンに重なる黒いもや。 ルナは何度も目をこすったが、やはりあれは、ラ・ムエルテだった。ついに、アンの姿にまで黒もやが重なるようになってしまった。 イシュメルから答えはなかったが、ルナが――“ルチアーノ”がかき混ぜるスープ鍋には、虹色にきらめく結晶が、つぎつぎ消えていく。 イシュメルの、魔法の香辛料。 元気が出るおまじない。 どうやら、アンのコンサートが終わるまで、イシュメルもルチアーノも協力してくれるようだ。ルナはアンが好きな、トマト味のクラムチャウダーをつくって保温の器に入れ、クラッカーを添えて、クラウドに渡した。 「クラウド、お願い。アンさんに届けて」 「了解」 午前のコンサートが終了し、アンは休憩に入っているはずだ。クラウドは快く承知して、ラガーに向かった。 「ルナちゃんが?」 クラウドは寝ているアンを起こすのをためらったが、オルティスは神妙にスープの入った保温箱を見つめ、「ルナちゃんに礼を言ってくれ」と言って、アンを呼びに行くそぶりを見せた。 「いや、寝かせておいてくれ。つかれているだろうから」 「そ、そうか――アン」 クラウドはそのまま帰るつもりだったが、起きたアンが、だれもいないラガーの店舗に降りて来たので、立ち止まった。 「あら、クラウドさん、今日はありがとう」 かすかに微笑んだアンの姿を見たクラウドは、ぎくりとした。それほどまでに、アンが老けて見えたのだ――まるで、この一日で、一気に老人になってしまったかのように。 あの、美しかったアンが。 オルティスが、保温箱を掲げた。 「アン、ルナちゃんが、スープをつくってくれたぜ」 「ルナさんが……?」 影まで薄くなったようなアンは、ルナがつくったスープと聞いて、ひらめくものがあったのか。急に慌ただしく駆け下りて来て、カウンターに座った。 「今食うか?」 「もちろん!」 アンは、まだ熱いスープを、オルティスが保温箱からカップに注ぐのを見ていた。それだけで、彼女の頬がバラ色になっていく。 「まあ――いい香り」 アンはカップを受け取り、待ちきれないように、ひとさじ、ふたさじ、口に入れた。オルティスもクラウドも、アンの様子を、目玉がこぼれんばかりの有り様になって、見ていた。 ふたりは、絶句した。 「おいしい、おいしい」と、夢中でスープを頬張るたび、アンの顔が若返っていく。 アンは、カップ二杯分のスープをすっかり食べ終えた。 「生き返るわ……」 アンの言葉はおおげさではなかった。彼女は文字通り生き返ったのである。やつれた彼女の顔が、コンサート前にもどったときは、さすがのオルティスも、 「ルナちゃんは、どんな魔法をつかったんだ」 と、呆然とつぶやいた。 アンは、スープを口にするまでは、77歳の老女であった――コンサートを終え、精根尽き果てたその姿は、彼女を一気に老けさせた――しかし。 ふたりの視線の先には、瑞々しいほどのきらめきを取り戻したアンがいた。 「まあ、ふたりともどうしたの。死人が生き返ったのを見たような顔をして」 ふたりの顔を見てアンは笑ったのだが、アンには、手鏡を持たせるべきだった――たしかにふたりは、よみがえりをこの目で見たのである。 |