二百十五話 銀の天秤と青銅の天秤



 

 アダムとバーガスがゾースの街の安宿で、アンのコンサートを観終わって、積もる話を終え、そろそろ明け方にもなろうかというころ、ようやくベッドに入ったとたんに、ドアが力強くノックされた。

 ふたりは反射的に銃を持ってかまえたが、ドアは容赦なく開けられた。しかし、蹴破られるなどという、荒々しい所作ではない――カギをつかってドアを開けたのは、ホテルの管理人だ。ずいぶんビクついた彼の後ろから入ってきたのは、鮮やかなまでのブルーの軍服――L20の将校が数名。ふたりは、即座に銃を下げた。

 

 「アダム・E・ベッカー!」

 するどく名を呼ばれ、アダムは「俺だ」と手をあげた。少尉の階級章をつけた軍人は、「カレン様がお呼びだ。これよりただちに、我らに同行するように!」と一方的に告げた。

 「俺が? L20の軍になぜ」

 「我々は、おまえを捜し、連行するよう言われたまで!」

 どうして軍人という者は、いちいち声がでかいのか。逆らっても何もいいことなどなさそうだったので、アダムは従うことにした。

 「分かった。いますぐか?」

 「今すぐだ」

 連行という言葉はつかったが、軍人たちは、アダムら傭兵に対して、一向に傍若無人なそぶりは見せなかった。手錠をかけて強引に連れていくのではなく、アダムについてくるよう示している。彼らは、ドアのところで身動きせず、アダムとバーガスに向かって顎を突き出しているのみ。

 アダムはバーガスと一度だけ視線を交わした。

 (こいつらに着いて行けば、うまくL43に渡れるかもしれない)

 バーガスは、アダムの意志をすぐに悟った。

 

 「なあ、“カレン様”が俺をお呼びだって。そういうことなんだよな?」

 アダムは念を押した。

 「そうだ」

 軍人は簡潔に肯定した。

 「もしかして、青蜥蜴の挙兵と、なにか関係がある?」

 「おそらくは。だが、われわれは、貴様を連行する理由を聞いてはいない」

 軍人たちは、不親切ではなかった。ほんとうになにも、聞いていないのだろう。

 「(メフラー親父が軍事惑星内にいない今、カナコを説得するのは、おまえ以外にいないと踏んだんじゃないか)」

 「……」

 バーガスはアダムに耳打ちした。だとすれば、カレンと直接話をすることは、可能かもしれない。

 「コトは一刻を争う! 早くしろ!」

 「わ、わかった……行くよ」

 軍人たちは急かした。アダムは手をあげて、軍人たちのほうへ踏み出した。

 

 カナコがL43にいる以上、アダムもそちらへ渡らねばならないが、青蜥蜴の挙兵という大事態が起こった今、個人的にL43に向かうのはもはや不可能だ。おそらく、L43への航路は、軍が封鎖しているはずだ。

 それに、ただでさえ、L43はいわくつきの星だ。あそこは、大規模な原住民組織、「DL」が根を張っている。情報と下調べなしに行くのは、あまりに危険な地域であった。メフラー商社系列で、いちばんL43にくわしいのは青蜥蜴であって、系列のグループは、青蜥蜴の案内なしでは、ぜったいにL43には入星しなかった。

アダムは明日、L19のバラディアのもとへ向かってみようと思っていた。軍にむかえば、まだカナコと接触する方法もあるかもしれない。アカラの封鎖が解かれるのもまだまだ先だ。L18の様子を伺うより、カナコに会いに行くことを優先した方がいいかもしれない――アダムは昼間、アンの歌う「カナリア」を聞いたとき、そう思ったのだった。

そして、現在の、不意の来訪者がなければ、明日にはそうするつもりだった。

 

 (カナリアの歌詞が、変わっていた)

 夜の部も、このホテルで聞き、確信した。カナリアの歌詞が、変わっている。

 「カナリアは死んだ」から、「生きている」に。

 バーガスも、アダムも、確信した。

もしかしたら、これはメッセージかもしれない、と。

 

 

 

 ルナはその夜、夢を見た。

 いつものような、長い物語の夢ではない。広大な宇宙に、月を眺める子ウサギが立っていた。

黄金の天秤を手にして。

 ルナが目をこすっていると、天秤を持っただれかは、三人に増えた。月を眺める子ウサギを中心にして、左右で別の色の天秤を持っているのは、ひとの形をしただれかだった。

 銀の天秤を持っているのは、ラグ・ヴァーダの女王。青銅の天秤を持っている男性は、ルナの知らない人物だ。

 知らない、というのもおかしいかもしれない――ルナは、どこかで彼を見たことがあった。だが、思い出せない。

 褐色の肌の、十三、四くらいの、少年にも青年にも見える、凛々しい顔の男性だ。ベッタラの、夏の格好と似ている。額に宝石のついた鉢金をつけ、上半身は裸で、腕と手首、首をアクセサリーで着飾っている。

 彼に見覚えがある。だが、思い出せないのだった。

月を眺める子ウサギが、ルナに向かって微笑んだ気がした――表情のないはずのぬいぐるみの顔が。

 すると、とたんに両隣の天秤は、音を立ててくだけた。

結晶がキラキラときらめいて、形をつくる。虹色の、まるでステンドグラスのようなふたつの三角錐を。三角錐は円を描いて月を眺める子ウサギの周りを周遊し、とがった先端が上を向いた、通常の三角錐は、ルナから向かって左の皿に。逆さまになった三角錐――逆三角形は、右の皿に乗った。ふたつの三角錐は、天秤皿の上で、ゆっくりと回転している。

 月を眺める子ウサギが、ふたたび微笑み、月の女神の姿となったところで、ルナは目が覚めた。

 

 (だれ?)

 青銅の天秤を持っていた、あの男性は、だれだっただろう。ルナは天井を見つめ、必死で思い出そうとした。でも、思い出せない。

 (ピーターさんじゃない)

 「天秤を担ぐ大きなハト」というZOOカードから、ルナは真っ先にピーターを連想したが、ぜんぜん容姿がちがう。男性は、ピーターではなかった。彼には似ていない。

ルナは、片っ端から、知り合いの顔を思い出してみた。原住民っぽかったので、K33区で会った人の顔を思い浮かべてみたが、該当する人間はいない。

 ルナは唸りながら考えたが、やはり、分からない。

 しかし、のんきに横たわったまま、考えている場合ではなかった。

 ルナは枕元の時計が午前10時を指しているのを見て、ぴょこーん! と飛び上がった。

「たいへんだ」

すでにアズラエルはいない。あわててベッドから降りてうろたえたが、ピエロはベビーベッドにいて、キャッキャとおもちゃで遊んでいた。すでにミルクも着替えも済んでいる。

 「これはたいへんだ」

 ルナはあわてて着替えて部屋から飛び出し、置いて行かれて、「ぎゃー!」と泣いたピエロの声にあわてて引き返し、抱っこしたまま、てってってって! と一気に階段を駆け下りた。

 

 「おはよう! おはよう、アルごめんね! あたし寝坊しちゃって――」

 ルナは今朝、朝ごはん当番だったのである。息を切らせながらキッチンに駆けこむと、シンクにはアルベリッヒと、アントニオが立っていた。

 「あれ!?」

 「おはよう、ルナちゃん」

 「……おはよ」

 朝からアントニオが、この屋敷にいることは滅多にない。ルナは目をぱちくりさせた。

 「だいじょうぶだよルナちゃん。このところ、忙しかったから、疲れが出たんだろう」

 アルベリッヒは、気にするなとルナに言った。

 「ご、ごめんね」

 「しばらく見ないうちに、ピエロのヤツ、大きくなったなあ」

 「ピエロはいつでもおっきいよ!」

 「最初から大きかったけど、またさらにでかくなったよ」

 アントニオは、ルナに抱かれたままのピエロの頬をつついた。キラリが見えないところを見ると、エルウィンに預けられているのだろうか。ルナはピエロを、キッチンに備え付けのベビーベッドに置いて、目ざとく見つけた。

 「あっ! ローストビーフサンド!!」

 「やっぱりそっちなの。俺としてはホットサンドのほうが旨いと思うんだけど」

 アントニオは多少のがっかり顔をした。キッチンのテーブルには、最近おなじみになった、各種サンドイッチとおにぎり、サラダやゆでたまご、ひとくち大にカットされたフルーツなど、すぐ手に取って食べられるものが用意されていた。フルーツのチョイスや、サンドイッチの中身、おにぎりの形がどうも洒落ているところを見ると、アントニオが、今日の朝食をつくってくれたのだろうか。

 



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