「じつは今日から、アントニオさんが、しばらく屋敷にいてくれることになったんだ」
「へ?」
アルベリッヒが、ルナのうさぎカップにコーヒーをつぎながら、言った。アントニオとアルベリッヒも、マグを手に、ダイニングテーブルに着く。アントニオのマグは、レディ・ミシェル手製の、お坊さんの格好をしたトラという、どこにも売っていなさそうな図柄だ。
アントニオも、大きめにカットしたキウイをつまんだ。
「ルナちゃんのサルディオーネになる儀式が近いし、アンジェのことも心配だし、しばらく店は従業員に任せて、屋敷に居候させてもらうことにしたよ。お邪魔します」
「う、うん」
アンジェリカとサルビアの部屋に厄介になるらしい――それは一向にかまわないが、リズンはだいじょうぶなの? とルナが聞く前に、アントニオは言った。
「リズンは俺以外に調理スタッフはふたりいるし、すごく客は少なくなったから、俺がいなくても回していける――ところで、ルナちゃん、ホットサンド食べないか」
「食べる!」
ルナのうさ耳が、嬉しげにぴーん! と立った。リズンのホットサンドがただで食べられるなんて、こんなうれしいことはない。ちなみに、大好物のローストビーフサンドも。ルナはすでに、サンドイッチに手を伸ばしていたところだった。
「じゃあ、ちょっと待ってて」
アントニオはふたたびエプロンを手にして立った。
「隠し味は、コレ、教えちゃう♪ カレー粉なんだよ」
「カレー粉だったのか! どうりですこし、スパイシーな味がすると思った」
りんごをつまみながら、ルナはアルベリッヒに聞いた。
「ピエトとネイシャちゃんは?」
「ちゃんと学校に行ったよ」
「よかった。あの子たち、最近、お休みしすぎなんだもの」
ホットサンドメーカーは、すぐ、こんがりきつね色に、パンを焼き上げた。ナイフで半分に割ったパンの中身から、トロリとチーズが溶けるのを見て、ルナは「わあ♪」と歓声を上げた。
「――だからそれ、どうやって、」
「どうやって、なんて覚えてねえ。とにかく倒した」
「ナイフ一本で? 傭兵も真っ青だな」
「そんな生き物がいるのかよ」
「まァ、クジラ級にでかいシャチなんてのもいるんだし――世界は広いねえ。」
ルナが、チーズたっぷりの、あつあつホットサンドをもふっていると、野郎どもが集団でキッチンに入ってきて、一気にむさ苦しくなった。セルゲイに、アズラエル、ペリドット、メンズ・ミシェル。外観もむさ苦しかったが、話している内容は、もっとむさ苦しかった。
「おはよう、ルナ」
「おはよう。なんのお話してたの」
隣に座ったペリドットに、ルナは聞いたが、メンズ・ミシェルが肩をすくめて言った。
「ペリドット、クマみたいにでかいイノシシを倒したことがあるっていうんだ」
「くま!?」
ルナはパンをくわえたまま飛び上がった。
「ああ。L43での話か」
アントニオが肯定したので、男たちは黙った。半信半疑だったようだ。
「じゃあ、おまえがレボラックと戦えばよかったのに」
かつて、セシル親子の呪いを解くときに、ベッタラが戦った恐竜のことだ。アズラエルの言葉に、ペリドットは首を振った。
「でかさがぜんぜん違うだろ。俺が戦ったのは、二メートル級のイノシシだ」
「だいたい、二メートル級っていうのもふつうじゃねえからな」
「世界を放浪するには、それなりの戦闘力もいるってわけか」
メンズ・ミシェルはあきれ顔で、ペリドットの太い腕を見た。自分より背は低いが、たくさん重ねた布のすきまからのぞく褐色の腕は、腕だけでミシェルを落とせそうなくらい太かった。
「それで、そのイノシシはどうしたんだ。食ったのか」
メンズ・ミシェルもグレンもアズラエルも、まるで子どもにもどったように、興味津々だった。
「いや――とにかく周辺が“トリアングロ・デ・ムエルタ”の真っ最中だったからな。俺が仕留めたヤツは、洞穴の外に出ちまっていたから、放っとくしかなかった。済んだら、皮と肉をさばいて、路銀の足しにするために、となりの星まで運んで売ったよ」
「さばいた!!」
ルナが隣で飛び上がっていたが、男たちが注目した語句は別だった。
「トリアングロ・デ・ムエルタ?」
今度はペリドットが不思議そうな顔をした。
「知らねえのか? 軍事惑星の軍人が?」
グレンが答えた。
「L43は、“DL”があるせいで、軍事惑星でも調査がほとんど進んでねえ。北半球の端っこの、ラグバダ居住区くらいしか、認知されてねえよ」
軍事惑星での認知度がその程度だということは、L系惑星群全体での、最先端の認知度が、それくらいだということだ。
「へえ……」
アズラエルが、思い出したようにつぶやく。
「トリアングロ・デ・ムエルタっていうのは聞かねえが、カナコが、L43に入るには、危険な時期を避けろって言ってたな」
「危険な時期?」
メンズ・ミシェルが聞いた。
「ああ。メフラー商社じゃ、L43の仕事があれば、行くのは青蜥蜴ばかりだったからな。俺もくわしくは知らねえが」
ペリドットは、コーヒーをもらって、嬉しそうな顔をした。
「それが、トリアングロ・デ・ムエルタの時間帯だな――インフェルヌス、つまりL43では、二ヶ月にたった三日間だが、どでかい虫や獣が現れて、人間を襲いはじめるという期間がある。俺が仕留めたイノシシも、そのせいででかくなった、突然変異だ」
「マジか!?」
ホットサンドをもふるのに忙しく、話半分だったルナと、かつてその話を聞いたことがあるアントニオ以外は、驚いて目を丸くした。
野郎どものむくつけき話を聞きながら、ルナはぼんやりと、ペリドットの野性味あふれる、端正な横顔を見上げた。
(ペリドットさんに似てる――かも?)
夢の中の男性だ。
ペリドットみたいに、骨太というか、ガッシリ型の体つきで、褐色の肌で、ちょっとタレ目気味でまつげが長くて、眉がきりっとしていて。
でも、髪の毛だけはちがう。夢の中の男の子は、こげ茶色で短かった。アズラエルみたいな感じだけれども、もっと髪質は固そうだ。アズラエルはネコっ毛だし、ペリドットはくすんだ金髪だし――。
(う?)
ルナは首を傾げた。
「まァ、つまり、俺はそいつよりでかい獲物とやりあったことはない」
クジラ級のシャチと戦い続けてきたベッタラのほうが、レボラックとの戦いには向いていた――ペリドットはそう言い、だんだん面倒くさくなってきたのか、「そういえば」と無理やり話題を変えた。
「クラウドは? まだ帰ってこねえのか」
「もうすぐ来るんじゃない――あ、来た来た」
シャイン・システムのランプが、ちょうどよく鳴った。アルベリッヒが解除すると、クラウドとアンジェリカ、カザマがそろって出て来た。
「やあ、みんな、そろったな」
クラウドは、ルナの顔を見て言った。
大勢が詰めかけたら、キッチンは手狭になったので、応接室で話をすることになった。ベビーベッドのピエロはアズラエルが抱え上げたので、ホットサンドをくわえたまま、動こうとしなかったうさぎは、ペリドットに担ぎ上げられた。残されたルナのマグをアルベリッヒが持ち、屋敷の住民たちは、大移動した。
「さて。地球行き宇宙船の特殊部隊の会議をはじめよう」
クラウドがパソコンをまえにそう言って、議会は開催された。
「特殊部隊ね」
メンズ・ミシェルが苦笑し、ルナは「会議?」と聞いた。狭い応接室ではないが、けっこうな人数と、クラウドの書類やらが放置されているので、ソファは手狭だった。しかたなく、ルナを膝に乗っけたままのペリドットは、「とりあえず、食ってしまったらどうだ」と勧めた。ルナはもふもふもふと、せわしなく口を動かした。
「アンのコンサートは、あと四日ある。そして、地球に着くのも間近だが、ルナちゃんのサルディオーネとなる儀式も、もうすぐだ。おまけに、軍事惑星は――」
クラウドは一度言葉を止めた。
「ヤバいことになりつつある」
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