二百十六話 銀の天秤と青銅の天秤 Ⅱ



 『伝えたい話はふたつある。ひとつは“銀の天秤”の話、もうひとつは“青銅の天秤”にまつわる、“ラグ・ヴァーダの神話”だ』

 「銀の天秤と青銅の天秤!!」

 ルナが絶叫した。エーリヒは、『ふむ、その様子を見ると、タイミングとしては、あながち間違いでもないようだな』とつぶやいた。

 「間違いどころか、超絶に、リアルタイムで必要としていたところだ」

 クラウドも唸った。

 「天秤は、実在するということかい」

 『実在するらしいが、わたしがこの目で見たのは、銀の天秤のほうだけだ。しかも残骸だが。青銅の天秤は、目にしていない。実際のところ、それはL43のバラスの洞窟という場所にあるそうだ』

 「バラスの洞窟だと?」

 今度は、ペリドットが眉を上げた。彼にも初耳のことだ。

 クラウドは寸時天井を見上げ――どうしてエーリヒが、頼んでもいないのにふたつの天秤の情報を寄こすことになったのか、考えてみた。だが、さっぱり分からなかった。

 「エーリヒ、詳細な説明をたのむ」

 『ふむ。ではまず、銀の天秤にたどり着いた話からするとしよう。ふたつの天秤にたどりついたきっかけは、バラバラなのだよ』

 エーリヒは、話すまえに確認した。

 『この場にグレンは、いないだろうね?』

 「グレンはいねえ。ここにいるのは、俺とクラウド、ルナとサルビア、アンジェリカ、ペリドットとガキがひとりだ」

 アズラエルの言葉と同時に、ピエロが画面いっぱいに映し出され、エーリヒはすこし目を見開いた。「ピエロだよ!!」ルナは叫び、エーリヒは、『アズラエルにも、君にも似てないな』と正直に言った。

 『ともかくも、これから話すことは、グレンにとって良くない部分もあるかもしれん――ドーソン一族の系図に触れねばならないからね』

 「グレンがこの部屋に来ることはないと思う。話してくれ」

 『では話そう――わたしが銀の天秤というものを見たのは、実家のゲルハルト家においてだ』

 「君の実家でだって?」

 『クラウド、君も感じていると思うが、ドーソンはもはや――完全に滅びに至ったと――断言してもいいものと思う』

 

 ――ユージィンがL18の心理作戦部隊長室で自害した日、文字通りドーソンは、崩壊した。

 ユージィンが最後の屋台骨だった。彼の死は、監獄星のドーソン一族に多大なる絶望をあたえ、世界におよぼした影響は、それは大きかった。

原住民のあいだにも混乱をもたらした。L18という防壁がくずれたようなものだったので、抑えられていた過激派は息を吹きかえし、いままでL18の軍に守ってもらっていた原住民の村も、すくなからず打撃をこうむった。ドーソン派として生き延びてきた貴族軍人たちも、進退を問われた。

 残されたドーソン一族の子女も、また窮地に立たされた。だがそれは、軍事惑星の四名家において――今や四名家は、ロナウド、マッケラン、アーズガルド、ウィルキンソンの四家を指して言われている――容易に予測できた事態だったので、犠牲者はいない。

 

 「じっさい、ドーソン狩りってのはあったのか」

 アズラエルが尋ねると、エーリヒはちいさくうなずいた。

 『ドーソン家の邸宅のうち、傭兵に荒らされた家がそれなりにある。だが、傭兵たちは空き巣を引っ掻き回していったにすぎない。そのころにはもう、避難させていたからね』

 現在、アカラはドーソン派の貴族軍人たちが立てこもっている。傭兵はもとより、ロナウドやアーズガルド、マッケランの軍も入れない。どうやら、ドーソン狩りをはじめたチンピラまがいの傭兵たちから、身内を守るために軍を起こしたのがキッカケらしい。

 いま、傭兵たちと衝突したくはないから戦うなという四名家に対して、では、我々の治安はどうやって守ればいいと激怒したドーソン派の家が、独自に行動を起こしたのがそもそもの発端だ。

 『ライベン家が仕切って封鎖している。そちらのほうでも、数人預かっているはずだ。まあ、アカラの騒動はしばらくかかるだろうが、逆によいかもしれない。アカラの治安は守られているようだから』

 なにせ、ドーソン家に残ったのは、婦女子と子どもばかりだからね――エーリヒは気の毒そうに言った。

 

 そして彼は、自筆のドーソン家系図をひろげた。

 グレンの父、バクスターの兄弟は六人いる。長女のヒルデガルド、次女のアンナ、長男がバクスターで、次男がセドリック、三男がオーギュスト。そして15歳のときに病で早世した四男、ランドルフがいる。

 そのうち、バクスターとアンナ以外の兄弟はすべて、夫婦ともども監獄星に収監されている。バクスターの父テグランは故人であり、母トレーシーは高齢もあって、監獄星への収監はまぬがれた。

 グレンのいとこレオンは、三男オーギュストの息子である。マルグレットは、長女ヒルデガルドの子。レオンは、地球行き宇宙船で死亡した。マルグレットを含むグレンのいとこたち8人は、次女アンナの子エセルを抜かして、全員監獄星のツヴァーリ凍原で爆死した。

 エーリヒは、紙に書いた系図を画面に映したあと、クラウドに送った。その場でクラウドが印刷したものを、みなに見せた。

死亡した人物の名の下には、バツがつけられている。さすがのクラウドも、この全滅ぶりには絶句した。

 「ほぼ壊滅状態だな」

 ペリドットも、眉をしかめた。クラウドはエーリヒに尋ねた。

 「じゃあ、グレンのいとこで残っているのは、このエセルっていう女性だけなのか」

 『そうなる』

 

 ちなみにユージィンは、バクスターの祖父ジョセフ――バブロスカ監獄をつくった悪名高き祖父の兄弟から派生した血脈の先にいる。若いころから有能で、ジョセフをはじめ、バクスターの父テグランなど、直系の人間に可愛がられて育った。傍系でありながら、ほぼ直系と対等のあつかいであった。

 『ドーソンの姓を持つ人間はほとんど監獄星へ送られたわけだが、あまり一族の内情に関わっていない妻女や、年端もいかない子どもは残っているわけで――だいぶ早いうちから、四名家は彼らの保護に動いていたし、ウチの実家もそうだ。グレンが求めるなら、だれがどの家にいるか、情報を提供してもいい。それと、ユージィンの妻子は、マッケラン家で預かっているそうだ』

 「……そうか」

 ユージィンの娘は、まだ10歳になるかならないかだったはずだ。カレンにとっては、腹違いの妹に当たる。

 

 『それで、ゲルハルト家で預かることになったのは、グレンの祖母のトレーシー殿と、グレンの叔母に当たるアンナ嬢、そしてその娘のエセル嬢だ。アンナの夫のビルは婿養子だが、監獄星にいる』

 エーリヒはつづけた。

 『預かってまもなく、トレーシー殿と、アンナ嬢がなくなった。もともとアンナ嬢は病弱で、長患いをしていたらしいが、それにしても、あっけなく逝ってしまわれた』

 「……」

 『ひとり残されたエセル嬢もだいぶふさぎ込んでいて――そのことで、父はわたしを呼んだのだよ』

 「君を? エセル嬢と知り合いだったかい」

 『いいや。まったく初対面だよ。父に言わせると、わたしを呼んだ理由は二つ。ひとつは、わたしの妻ジュリに、エセルの話し相手になってほしいと望んだからだ』

 「ジュリにだって?」

 クラウドの声は裏返り、アズラエルとペリドットも、うしろで顔を見合わせていた。

 『ジュリがまともに相手をできるものかと君、そう思ったのだろう? 残念だったな。我が家のだれにも心を開かなかったエセル嬢は、あっさりと、ジュリに心を開いたよ』

 

 エセルは、ドーソン家では、肩身の狭い思いをしていた。いとこたちは、グレンを含めみな優秀な軍人ばかり。母の血をついで病弱だった彼女は、軍事学校にもついて行けず中退した。そのあとは、ほとんど寝たきりでずっと引きこもりだった。グレンの二つ下だから、そろそろ三十歳になる。

 結婚もせず、一族の会合の場にもほとんど顔を出さず、まるで死人のように暮らしていたのだ。

母アンナには、弱いからだに産んだことをいつも謝られ、父のビルには、「おまえたちのせいで、私の立場はいつも悪い!」と怒鳴られて育った。

彼女は、身内と軍人に、いつも怯えていた。いとこたちでさえ、恐怖の対象だったのだ。

面倒見のいいマルグレットは、よく彼女の見舞いに来ていたが、彼女と、グレンとレオン以外のいとこは、エセルにつめたかった。一族の集まりに顔を出しても、エセルは傭兵擁護派のいとこたちの話にもついていけなかったし、仲間にも入れてもらえなかった。厳然たる差別主義の、叔父や叔母たちも、恐ろしかった。

エセルは「役立たず」という目で見られていた。父にも、祖父母にも、おじ叔母にも、いとこたちにも――さらに、いとこたちの子である、甥や姪にさえ。

崇高なる、軍事惑星群の頂点に立つべきドーソン一族。

その一族に生まれた病弱なエセルは、母アンナ同様、無能の役立たずあつかいだったのである。

マルグレットは優しかった。そして、グレンとレオンだけは、会合にきたエセルをいつも気遣ってくれたが、彼らはエセルひとりにかまっているわけにはいかなかったし、彼女が空気に等しい存在であることに変わりはなかった。いとこたちの子などは、エセルの存在を知らない者もいる。

もちろん彼女は、レオンたちの決起のことなど知らされもしなかった。最初から、彼女の存在は、いとこたちのなかでは、ないものとされていたのである。

 



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