『案内を頼みたかったのだが、ジュリはたいそう嫌がってね――イヤなものを無理に連れていくことはできないし、わたしひとりで行こうとしたら、なんとエレナが、案内役を買って出てくれたのだよ。だが、やはりすこし怖いということで、ルーイ君もついてきてくれることになった。あそこの家族は、人が好いな』

 少々、不安になった、とエーリヒの個人的感想が述べられたあと。

 『ジュリをルーイ君の家に置いて、L44に向かい、まずは満格楼に行った。当時のことを覚えている人間に話を聞くためだ――エレナは、女将に会って、長い話をしていたよ。彼女が思ったほど、荒い歓迎にはならなかったようだ。女将も店の女性たちも、彼女の来訪におどろいて、それから無事を喜んでいた。わたしはわたしで、話を聞けるだけ聞いた』

 満格楼では、エレナから聞いた話以上のことは聞けなかった。

 『それでわたしは、じつを言うと、L44の首都には行ったことがあるのだが、中級街ははじめてでね』

 エーリヒは咳払いをしつつ、言った。

 「君、L44に行ったことがあるの」

 クラウドのほうが驚いていた。

 『わたしの叔父で、そういうのが好きな者がいてね――浮いた話のないわたしを心配して、一度連れてきてくれたのだが――まあ――わたしの体験はともかくも、ああいうところは、独自なルールがあるだろう?』

 

 エレナの存在は、じつにたすかった。

 満格楼に宿を取ってもいいが、その場合は妓女と共寝するのはルールだ。素泊まりも、女を買ったのに、相手をしないのも失礼に当たるわけである。エーリヒも、エレナという案内がなかったら、勧められるまま満格楼に宿を取って、のちのち後悔していたかもしれない。

すなわち、ラグバダ族のふたりは、あちこちの遊郭で、もっともしてはいけないルール違反をしたわけだ。遊郭に宿を取りながら、店の女と寝なかった。遊郭から遊郭へ、あっというまに、客のウワサは広まってしまう。特殊な客であればあるほどだ。そのせいで、知っているのに教えてもらえなかった部分もあるのではないか、とエレナは思いついたように言った。

 エレナの案内で、エーリヒはふつうの民宿に泊まった。そこは遊郭ではないから、女を買う必要もない。エレナは昔の顔をつかって、たった三日の滞在中に、あちこちの遊郭へ尋ねまわってくれた。

 そしていよいよ、エーリヒにも予想もできなかった、「青銅の天秤」の話に行きついたのである。

 

 「……長かったな」

 アズラエルが嘆息したが、エーリヒは鼻を鳴らした。

 『要点だけ言ってもかまわないが、君は“どうしてそこへ行くことになったんだ?”とか“なんでいきなりその話になった?”とかいうだろう』

 「言うよ? なにか悪いか」

 アズラエルも鼻を鳴らした。エーリヒの二倍の勢いで。

 『ともかく、エレナが連れて行ってくれた“艶陽”という店で、わたしははじめて、ラグバダ族の首長と共寝した娼妓に、行きついたのだよ』

 クラウドは思わず言った。

 「彼らはずっと、だれとも寝なかったって言ってたよね?」

 『うん。だがひとりだけいた。彼女に会わなかったら、何の収穫もなく帰るところだった』

 

 シヲリというその遊女は、40代くらいの、客を取るにはすこしとうが立った年代の女性だった。いまは客を取るよりか、艶陽に売られくる遊女たちの、教育係だ。

彼女は当時のことをよく覚えていた。運命の恋だったと、彼女は言った。

シヲリは、妹の行く先を訪ねきたラグバダ族の男に一目ぼれした。もともと体格も声もよく、見栄えのいい男たちである。行く先々で遊女にはモテたが、彼らはきわめて厳格で、女を抱くことはしなかった。話を聞くために買いはしても、けっして誘惑にもおぼれず、指先さえ触れない彼らに怒った遊女はたくさんいた。

 

 「エレナの予想は当たっていたってわけだね」

 クラウドは言い、エーリヒはうなずいた。

  

 けれども、シヲリという遊女は、弟のアルフレッドのほうが好きでたまらず、彼のために、みずから足を棒にして、仕事の合間に方々を駆け回り、彼の妹の行方を捜した。その献身に、アルフレッドも表立って感情をあらわすことはなかったというが、感謝はしていたのだ。「よしわら通り」にくれば、かならず艶陽に顔を出し、シヲリに会ったという。

 ある日、アルフレッドのほうがひとりで、艶陽に姿を見せた。ずいぶん憔悴していた。もしかしたら、妹が見つかったのか。それは、よくない結果だったのか。彼はなにも言わなかったが、はじめて彼女に慰めを欲した。つまり、やっと彼女を抱いたのだ。

 彼はまるで抜け殻になったように沈み、数日、彼女の閨に立てこもった。兄が迎えに来る日まで。

 

 『アルフレッドは、一度でも抱いてしまった手前、シヲリを妻にすることを固く誓ったそうだ。だが、もうそのときには、シヲリには身請け先があってね』

 L54の金持ちの後妻に入ることが決まっていたそうだ。シヲリはずいぶん気に入られ、法外な金額で身請けされた。彼女のもとの借金分プラス、艶陽へのチップという形で。その金で艶陽の花魁が、花魁道中――今では、よしわら通りの祭りにも似たものである――を主催できるほどだったので、途方もない金額であった。

 アルフレッドは、シヲリを身請けできても、それを上回る金額を出すことはできない。シヲリは一緒に逃げてもいいと言ったが、アルフレッドはあきらめた。彼は本来なら「L43から出ることができない立場」だった。つまり、彼女と一緒によその星に逃げることは叶わなかったのだ。

 

 「L43から出られない立場……」

 クラウドが復唱した。

 『うむ。シヲリの話によると、彼らはL43にいて、バラスの洞窟にある、青銅の天秤というものを守らねばならない立場にあるそうだ。その天秤がもし破壊されでもしたら、世界はトリアングロ・デ・ムエルタに見舞われ、破滅するだろうと。そのため、彼らの一族は、L43から出ることができない』

 「――!!」

 『シヲリは、その話を信用しなかった。自分と逃げたくない、アルフレッドの言い訳だと思ったのだ。彼女は結果、金持ちの老人のもとへ嫁いだが、一年もせずに老人は死に、老人の身内に無一文で放り出されたので、行き場のない彼女は、けっきょく艶陽へもどったのだよ』

 

 「天秤が破壊されたら、世界が滅びるだって?」

 クラウドはくりかえした。

 「世界がトリアングロ・デ・ムエルタに見舞われる?」

 

 『そうだ。シヲリ嬢は、あいかわらず、それをアルフレッドのごまかしだと思っていた、無理もない――あまりに途方もない話だ。わたしもそのときは、原住民によくある逸話として聞いていたが、そのあと銀の天秤に行きつくことになって、どうもこれは、関わりがありそうだと思ったわけだ。――まあ、君たちの“得意分野”だと』

 「だれの得意分野だって?」

 アズラエルひとりが苦々しい顔をしたが、アンジェリカは、「たしかに得意分野だよ」と鼻息を荒くした。

 「銀は、ドーソン一族の滅亡につながり、青銅は、世界の滅亡につながる天秤っていうわけだ」

 『銀の天秤は、滅びてしまった。そしていま、青蜥蜴がL43で挙兵した。なにやら、無関係だとは言えないような気がしてね。青銅の天秤は無事だろうかと。世界が滅びてもらっては困るのでね』

「それで、銀の天秤と青銅の天秤にまつわる伝承を、もっと調べるために、L36に飛んだってわけだね」

 『そのとおりだアンジェリカ嬢。そして、ママロンにそれはなかった。カーダマーヴァ村には、あったということになる』

 エーリヒは、感慨ぶかく、カーダマーヴァ村の門をふりかえった。

 『L18の軍が長年調べてもほとんど調査できなかったラグバダ族の謎が、あっさり解けてしまったよ』

 「それも、神話なのかい」

 クラウドは深いため息のあと、聞いた。

 『そうだな――あの土地のラグバダ族はね、“地球人”の末裔だったのだよ』

エーリヒは画面のほうに向きなおった。

『およそ三千年前、地球から旅立った調査船は、五基。アントニオくんの前世が乗った一基はアストロスに着き、クラウド、君の前世が乗った一基は、ラグ・ヴァーダ、つまりL03についた。そして、行方不明と思われていた、のこり三基のうち一基が、L43についたのだよ』

ルナたちは、驚きとともに顔を見合わせた。

『いまL43にいるラグバダ族は、正確には“バラス族”といったほうがよいのだろう。ラグ・ヴァーダの武神、バラスから青銅の天秤を受け継いだ、地球人だ』

 

 



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