地球行き宇宙船では、アンのコンサート二日目を迎えていた。

集会場の一階にあったテレビを上まで持ってきて、コンサートを観賞しながら、ZOOカードを見張った。

コンサートは、一日目に変わらず大盛況だ。クラウドは一度屋敷にもどり、様子を見て来た。こちらも一度屋敷にもどっていたアニタの話によると、アンは絶好調だという。

「ルナちゃんが起きたら、またイシュメル・マジック入りのスープをつくってもらわなきゃ」

「あれは、ルナしか作れないしね」

アンジェリカは、あたしにもできるんだったらやるけど、と嘆息した。

昨夜は畳に布団を敷いて、交代で休んだ。ルナは、だれもが信じられないほどの集中力でムンドを観察し、ほとんど寝ていなかった。電池が切れるのは当たり前だった。

 

きのう、エーリヒの話は、中途半端なところで終わってしまったのだ。彼が肝心かなめの、ラグ・ヴァーダの武神の伝説を話そうとしたとき、急に電波が途切れてしまったのである。

もともとカーダマーヴァ村付近は、電波状態が悪い。L19の駐屯地ができてから、それほどでもなくなったが、気候の変動で、つながらなくなることはいくらでもある。

「仕方がない。またエーリヒから連絡を寄こすのを待とう」

こちらからつなげようとしても、うまくいかなかった。結局、肝心の話は聞けずじまいだった。

ルナはずっと、「プリズム、プリズム、」とつぶやき続けていたが、なにを考えているかは、だれにもわからなかった。

 

「みんな、お夕飯だよ!」

だれかが二階に上がってきた。いつでも元気なその声は、ツキヨだ。彼女は、おおきなお盆に、おにぎりとサンドイッチの皿、取り皿やフォークなどを乗せていた。

「もう、そんな時間か」

音量を最小限におさえてあるテレビを見ると、アンのコンサートも、アンコールに入っていた。アンは今日も、午前の部と午後の部で二回、カナリアを歌った。

「ツキヨさん、もしかして、下にお鍋がある?」

「ああ、うん。頼んでいいかい?」

アンジェリカが、階段を駆け下りていった。そして彼女は、鍋ではなく、お盆に乗った、おおきな耐熱皿を運んできた。

「ツキヨさん! これなに? すごくうまそう!!」

「そいつは……」

珍しく、アズラエルの顔が緩んだ。

「ばあちゃん特製の、エルバサンタヴァだよ」

「ひさしぶりだな」

ツキヨの口から出たのは、アズラエルの期待通りのメニューであり、彼はたちまち笑顔になった。

「うまそうな匂いだな」

アツアツの耐熱皿からは、チーズとスパイス、牛肉の香りがする。ペリドットも自分のZOOカードをしまった。サルビアが、階下から、モロヘイヤ・スープの入った鍋を運んでくる。

「ルゥ、起きろ、おまえの好きなエルバサンタヴァだぞ」

アズラエルは揺すったが、電池が切れてしまったルナは、まったく起きない。布団によだれを垂らして熟睡だ。ツキヨは笑った。

「いいんだよ。寝かせておおき。まだ、焼いてチーズをかけるだけにしておいたものがあるから、ルナが起きたら、また持ってきてあげるよ」

「じゃあ、これはみんな食っちまっていいんだな」

「そうだよ。召し上がれ――ばあちゃんが取り分けてあげようね」

ツキヨは、せっせと皆の皿にエルバサンタヴァを取り分け、アンジェリカがモロヘイヤ・スープをスープボウルによそった。

「ばあちゃんもここで食べていいかい」

 取り皿とスープボウルはツキヨの分もあったし、おにぎりやサンドイッチは、じゅうぶんにあった。

「もちろんだよ――ツキヨさんは今日、コンサートには行かなかったの」

クラウドが、さっそくおにぎりにかぶり付きながら聞いた。

「行ったよ。午前中には。アンさんの具合が心配だったけど、元気そうで安心して。そうそう――今日はね、VIPルームのほうじゃなくて、オルティスさんたちと一緒に、ステージの真ん前で見たんだよ。でも大迫力で音もおっきくて、ばあちゃんには刺激が強すぎたわ。休憩のあいだに、申し訳ないけど、VIPルームのほうへ移動させてもらったよ」

今日の夕食は、ツキヨとリンファンと、アルベリッヒとアントニオでつくった。いまごろ屋敷でも、みながエルバサンタヴァに舌鼓を打っているころだろう。

「ツキヨさんは、具合は平気なの。ルナちゃんが、しきりに心配していたけど」

クラウドの言葉に、ツキヨは一度、爆睡中のルナを見て、微笑んだ。

「あたしは平気だよ。心臓の病は、年も年だしね。無理をしなきゃいいんだ」

そう言ってから、

「最初は、お屋敷も、あんなに騒がしいところで暮らせるものかと思ったけど、いざ暮らしたら、毎日が楽しくてねえ……これなら最初から、いっしょに暮らしていればよかったと、リンさんたちと話していたんだよ」

「いっしょに暮らせばいいだろ」

アズラエルが言うと、ツキヨは、「あんたは、いつもカンタンに言っちまうねえ」と嘆息気味にこぼした。

「ばあちゃんが考えすぎなんだよ」

「あんたたちが考えなさすぎなの」

ツキヨはため息をついて言った。

「ピエトのことだって驚いたけどね、ピエロのことは、その上を行くよ! いったいなんだって、だれも止めなかったんだろうね? ルナはK19区の役員になって、アズ、あんたも傭兵だから、役員になったら、それは忙しくなるだろうさ! そんなんで先々、考えもなしに、こんな赤ん坊を引き取っちまって、いったい、どう責任を――」

「ばあちゃん、」

「……子どもを育てるっていうのは、そんなに簡単なことじゃないんだよ」

どこかさみしげな顔でピエロを撫で、ルナを見つめるツキヨに、アンジェリカが口をひらこうとしたが、アズラエルに止められた。

「ばあちゃん、ルナはもう、ばあちゃんが思ってるほどガキじゃねえよ」

ふだん、これでもかとルナを、一番ガキあつかいしているアズラエルの言葉に、ツキヨ以外の皆が驚いた。

「ルナは、考える女だ」

皆は、ルナの寝顔を見たが、まちがいなくアホ面だった。

「アホ面だけどな、あのちっぽけな頭の中で、俺でも面倒くさくなるようなことを考えてンだよ、いつも。考えなしってわけじゃねえ」

「あの子が、考えなしとは言わないさ――でも、赤ん坊を育てるってことは、またべつで、」

ツキヨが思っていることは、おそらく、ルナがピエロを引き取ったとき、だれかが思ったことと同じだ。あのときはだれも、何も言わなかったが。

 

「――あのさ、ツキヨさん」

今度は、クラウドが言葉を選ぶようにして告げた。

「ルナちゃんは、じつのところ、ピエトのときも、ピエロのときも、“自分が育てる”とは、ひとことも言っていないんだ」

「え?」

ツキヨの目が、見開かれた。

「もしルナちゃんが、“自分が育てる”ってひとことでも口にしていたら、皆が反対していたと思う。できるもんかってね。アズだって俺だって――まず、ミシェルが、男の方ね。真っ先に反対してたと思う。でもルナちゃんが無意識なのか、それを言わなかったから、だれも反対できなかったんだ――というか、あの場では、反対の理由がなかった」

「どういうことだい」

「そもそも、ララだって、ルナちゃんひとりだったら、あんな話は持ってこなかっただろう。ララは、ルナちゃんというよりかは、あの屋敷に、ピエロを預けていったんだ」

「……」

「ピエトと出会ったとき、ルナちゃんは、ピエトがルナちゃんと暮らしたいと言ったから、家に置いた。ピエトを養子にするつもりで、いっしょに暮らし始めたんじゃない。世間的な手前、ルーム・シェアというよりかは、親になったほうがいいから、親になっただけ」

「そりゃあ、」

ツキヨは言いかけたが。

「ピエロのときもそう。おそらくルナちゃんは、ピエロを――まァ、正確には――養子にするつもりで引き取ったんじゃない。屋敷に置いて、めんどうを見なくちゃならないことは分かっていただろうけど。あのまま行けば、ピエロは死んでしまうから、“あたしの子どもにする”と言ったんだ。ララの子どものままじゃ、死んでしまうから。戸籍をまず自分に移そうとした」

ツキヨは絶句して、ルナを見つめた。クラウドは、真剣な顔で、つぶやいた。

「もちろん、その奥には、ルナちゃんにとっての、K19区の役員になるっていう覚悟っていうか――そんなものもあったんだと思う。でも、それだけじゃない」

「ええ。それだけではない」

なぜかサルビアが、同意するようにうなずいた。

「ルナは、K19区の役員というものを、知っております。……K19区の役員になるために、必要な条件を、彼女は持っているのです」

ツキヨは、分からないと言ったふうに首を振った。

 

「ルナちゃんは、あの屋敷そのものなんだよ」

「――なんだって?」

「オルティスが以前言っていたけど、あの屋敷は、ルナちゃんがいるから成り立っているんだ。それは、俺も、漠然と思っている。ルナちゃんがもし、あの屋敷からいなくなったら、あの“バランス”は、崩壊する」

そのことに、異論を唱えるものは、いまのところいなかった。

「ルナちゃんは、自分のもとに来たひとを、ことごとく受け入れてるだけなんだ。来たものは、老若男女、地球人アストロス人原住民、動物も、生きてるか死んでるか、神か人間かも関係なくすべて受け入れる。あの屋敷はこの宇宙船そのものだと、クシラは言った。“ルナがいるかぎり”。来た者はあたたかく迎え入れ、去る者は見送る。それでも、あそこに屋敷がある限り、去った者も、帰る場所があることを知る」

 

「アントニオが言っていたんだ」

アンジェリカが、思い出したように言った。

「ZOOの支配者は、大樹でなくてはならない。大樹は、ふるさとだ。鳥や虫や、動物たちの憩いの場。でも大樹は、そこにあるだけなんだ。大樹という幹が、枝や葉があるから動物たちは宿るけれども、」

「大樹はだれをも拒まない。受け入れるのみ。大樹のもとに来た子どもを育てるのは、同じ大樹に寄り添う仲間の動物たち、ということですね」

サルビアがつなげた。ツキヨは目を丸くして、なにか言おうとしたが、言葉は出てこなかった。

「もちろん、ルナちゃんがなにもしないってわけじゃない。彼女も、ルーム・シェアメンバーのひとりとして、役割は果たしているよ。ピエトにおやつをつくり、一緒に遊んで、学校であった話を聞いて、ピエロにミルクを飲ませ、おむつをかえ、寝かしつける。やっていることは親そのものさ。でもルナちゃんは、自分ひとりでできるとは思っていない。かといって、周囲に任せきりだってわけではない。そして、周りも、無理にさせられているわけではない。適材適所、うまく回ってるんだ」

「無理にさせられてると一度でも感じたらなら、屋敷を出ていけばすむ話だしな」

アズラエルも言い、クラウドはうなずいた。

「大樹のもとに、コミュニティーがつくられてる感じだな。俺のイメージとしては」

 



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