二百十七話 銀の天秤と青銅の天秤 Ⅲ



 

「……カナコ?」

最初に気づいたのは、となりで寝ていたマヌエラだった。カナコがいない。

「カナコ!?」

マヌエラは立ち上がって、大声で名を呼んだ。昨夜は外で火を焚いて動物避けにして、ふたり交代で見張りについていた。トリアングロ・デ・ムエルタならずとも、野生のオオカミや狂暴な獣に襲われる危険はじゅうぶんあったからだ。二時間前、マヌエラとカナコが外に出た。マヌエラがうつらうつらし始めたのは、周囲の景色が輪郭を宿してきたころ。カナコも目を閉じていたはずだった。

「カナコ!!」

マヌエラはついに叫んだ。小屋の中にいるジンとソルテを起こしてしまっても、かまわない。トイレかと思って行ってみたが、簡易トイレはドアがあけ放たれていて、人の気配はない。彼女は即座に腕時計を確認した。午前5時半。あたりはうっすら明るくなり、陽がのぼりはじめたころだ。

 

「なんだ? どうした」

ジンとソルテも起きて、小屋から出てきた。

「カナコがいない」

「なんだと?」

ジンが、すかさず小屋にもどった。残っていた武器を数える。

「短銃が、ひとつ足りねえ」

「レーダーもだ」

カナコが肌身から離さない狙撃銃、38口径のピストルがひとつと弾薬箱ひとつ、DLの位置が分かるレーダーがひとつ、なくなっていた。

 

「となりにいて、なにをやってたんだてめえは」

ジンはマヌエラをにらんだが、それ以上は言わなかった。昨夜はアンのコンサートを聞き、L22の陸軍本部に連絡がついたこともあって、油断していたことは否めない。カナコが小屋に入っても、ふたりとも気づかないほどに寝入っていたのだ。

「どこに行きやがった」

ジンが、怜悧な顔を酷薄にゆがめた。

「ひとりで逃げようってンじゃねえだろうな」

「逃げようったって、宇宙船はもうどこにもないでしょ」

マヌエラは言ったが、ソルテは苦々しげな顔で、テーブルの上の武器を見つめた。

「青蜥蜴がここにアジトを置いて、10年にもなるそうだ。非常用宇宙船を、どこかにかくしてたって、おかしくはねえよ」

きのう見て来たのは、北海域だけだ。あそこに置いていた宇宙船はほとんど破壊されていて、無事なものはぜんぶDLが回収して行っただろう。もう一ヵ所に様子を見に行ったラック&ピニオン兄弟は、まだ帰ってこない。彼らの携帯は、青蜥蜴の連中に破壊されてしまったから、連絡を取ることもできず、ふたりを待つほかない。今日中に帰ってくるはずだ。――なにごともなければ。

きのう、カナコは何も言わなかったが、たしかにソルテの言葉も一理ある。青蜥蜴が緊急用にかくしておいた宇宙船があるかもしれない。

 

「だからって、この非常時に、あたしたちだけ置いていく!?」

マヌエラはわめいたが、あと一日待てば、救援はおとずれるのだ。きのう、アンのコンサートがラジオから聞こえたということは、電波がつながったということだった。マヌエラは即座にL22の陸軍本部に連絡し、現状を伝えた。

DLの奇襲を受け、生存者はカナコとマヌエラ、ジンとソルテ、ラック&ピニオン兄弟のみ。宇宙船は一基ものこっておらず、自力で帰ることができない旨を。

しかも、カナコが地元ラグバダ族に拒絶されてしまったため、トリアングロ・デ・ムエルタが起こったとき、洞窟に入れてもらうことができなくなってしまった。

その報告を受け、L20では急きょ「救援チーム」がつくられ、L43の現地時間の明日午前5時には、救援のための宇宙船が着くことになっていた。

 

「もしかして、今日中に、トリアングロ・デ・ムエルタっていうのは来るの」

マヌエラが不安そうな顔で言った。

実際、プリズムというものが現れてから、一週間以内にトリアングロ・デ・ムエルタは起こるという話だったが、一週間の間のいつ、起こるか分からないのだ。

カナコは、トリアングロ・デ・ムエルタが今日来ることを察知して逃げた――ということは考えられないだろうか。

「でも、ひとりで逃げることはねえだろ」

ソルテも、薄情な奴だという顔で嘆息した。

「ほんとだよ!!」

トリアングロ・デ・ムエルタを体験しているのはカナコだけで、三人は、それがどんなものかはまったく知らない。ただ、獣が巨大化して、ひとびとを襲い始めるということしか、知らない。

そのうえ、いったんは退いたDLがふたたび攻撃してくる可能性もあるのだ。ラグバダ族のケヴィンという男は、一度は助けてくれたが、あの拒絶の仕方では、今度も助けてくれるかどうか。

トリアングロ・デ・ムエルタとDL。どちらが先に来たところで、命の危険に変わりはない。

「残った武器じゃ、あまりに頼りねえが、とにかく、明日の朝五時までしのげればいい」

ライフルが三丁に、短銃ふたつ。コンバットナイフが一本。弾薬は、さいわいなことにたくさんあった。

ジンは吐き捨てた。

「時間はある。カナコを捜すぞ」

小屋の外を伺いながら、ジンが外に出た。ふと、ソルテが気づいた。

「あれ? ラジオがなくなってる……」

 

 

 

アダムとマックが、L43に向かう前夜のことだ。L20のマッケラン家屋敷敷地内のホテルの一室にいたアダムは、深夜、ピーターの訪問を受けた。

「カナコがひとりで逃げただって?」

「ええ」

宇宙に出た反乱軍は強制的にエリア25方面に撤退させられ、L43にいた部隊はDLの奇襲を受け、ほぼ壊滅したという報告は受けた。そして、やっとつながった通信で、生存者はカナコを含む、たった6名だということも分かった。

「エリア25のほうで反乱軍を押さえている傭兵部隊や、電波の中継地となっているフライヤ大佐の宇宙船から救援チームを出す案もあったのですが」

反乱軍の宇宙船を、DLが北海域から引き上げたということは、DLのほうも軍の来襲を予期して警戒態勢を敷いているかもしれない。エリア25のほうは、反乱軍の数が多いので、なるべく人員を減らしたくないし、フライヤ軍はあくまで中継地となるべく出発した宇宙船だったので、DLの攻撃があった場合、応戦できる軍備がすくない。

どちらにしろ、救援チームを作って救助に向かう日程を組んだら、どこから出ても日数や時間的にはあまり変わらなかったので、L20から新たに救援チームをおくることになったのだった。

「ラリマーが、死んだのか」

ラリマーの死を聞いて、アダムは胸が痛んだ。カナコと一緒に青蜥蜴を立ち上げたラリマー。ザイールが、カナコともども妹のように思っていた。ザイールの嘆きが、アダムのもとまで聞こえてくるようだった。

 

「あちらの現地時間、午前5時半ころ、もうカナコはいなかったそうです」

マヌエラたちを置いて、カナコは単独で姿を消した。

宇宙で捕らえた青蜥蜴幹部にも、非常用宇宙船のありかを聞いたが、それはラック&ピニオン兄弟が向かった方角にある。そこは、完全にDLの支配下にあって近づけなかった。それ以外の場所は、幹部たちも知らなかった。もどってきた兄弟と合流したマヌエラたちは、一度、ラグバダ族の首長だという人間に会いに行ってみるという。

「多少の武器は残っているそうですが、トリアングロ・デ・ムエルタも、いつ起こるか分からない状況です。小屋にはもうもどれない。じつは、ラック&ピニオン兄弟との合流地点から小屋にもどったら、DL組織が小屋に入り込んでいたんです」

「ほんとうか」

「ええ。青蜥蜴のアジトは、完全にDLが押さえたようです――といっても、残っていた武器をかきあつめて持っていくくらいのことでしょうが――あまりに危険です。ジンはアジトを放棄しました」

「カナコは、そのラグバダ族の首長に帰れと言われたんだったな」

「ええ。ですが、非常時です。L43のラグバダ調査隊の話によれば、彼らは規律に厳しい部族ではありますが、話の分からない連中ではない。宇宙船がないと言えば、救援チームがつくまで、かくまってくれるはずだ」

ピーターはここまで説明し、アダムの言葉を待った。アダムが、話したそうな顔をしたからだ。

「……そんなのは、部下に伝えにこさせりゃいい話だし、電話でもできた」

アダムは言った。

「アンタがわざわざ来て、俺に話をする。その理由はなんだ?」

ピーターは困ったように眉尻を下げたが――それでも、まっすぐにアダムの目を見て、言った。

「じつは、俺も行きます」

「え?」

「L43に渡ります」

「はあ!?」

 



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