――カナコの鼓動はおそろしいほど早く打ち、呼吸も短かった。全身、びっしょりと汗をかいているのは、暑いだけではない。
緊張のためだ。
彼女がいるのは、青蜥蜴が非常用宇宙船を待機させておいた、北海域からすこし南下した空白地帯から、二百メートルほど離れた茂みである。
ラック&ピニオン兄弟がすでに確認してきたとおり、非常用宇宙船の小型機も、すでにDLの手に抑えられていた。だが、北海域のほうにある宇宙船の数が膨大なため、こちらの警備は手薄なはずだ。
二百メートル離れた先から、カナコは狙撃銃で、DLの一人の頭に、照準をあてた。
(できるだろうか)
警備の人員を狙撃し、応援が来るまえに宇宙船を起動させ、逃亡する――いちかばちかの賭けだった。宇宙に出ても、傭兵グループの大型宇宙船が張っているかもしれない。
(でも)
――姉さんに、会いたい。
生きているなら、会いたい。ザイールをつかまえて、もう少し話をちゃんと聞いておくべきだった。もうすこし、聞く耳を持つべきだったかもしれない。
さっき、ラジオでまた「カナリア」を聞いた。まちがいなかった。歌詞は――カナリアは死んだと歌われていた歌詞は、「生きている」となっていた。
(姉さん――カナリア姉さん――!)
アンのコンサートが開かれているのは、地球行き宇宙船だと聞いた。あそこは、奇跡の起こる宇宙船だ。カナリアが生きていたとしても、不思議ではないように、カナコには思えた。
(自首したら、あたしは監獄星だ。そのまえに、一度でいいから、姉さんに……!)
いちかばちかの賭けだった。敵が十数人なら、カナコひとりでもきっとなんとかなる。コンバットナイフに短銃、狙撃銃も持っている。弾も十分ある。DLが応援に駆け付けるとしても、北海の宇宙船置き場からは時間がかかる。
カナコは、レーダーで周囲の人数を確認しながら、狙撃銃を構えた。
ひとり撃てば、あとはもう、迷っているヒマなどない。
カナコが、小型宇宙船にたどり着くまでの手順を脳内でシミュレーションし――引き金を引こうとしたときだ。
「やめろ」
その声に、カナコは思わず振りかえった。
「やめろ、カナコ」
ケヴィンだった。ケヴィンは、三メートルほど離れた位置で、腰を落とした態勢のまま、カナコに声をかけていた。
「――ケヴィン!」
カナコの瞳は、見るだにゆるんだ。だが、涙をいっぱいためた彼女の黒い目は、悲しみをこぼさなかった。
「お願い、止めないで」
悲痛に、彼女は言った。
「あたし、姉さんに会いたいの」
ケヴィンの目が、見開かれた。だが彼は、すぐ厳しい顔にもどって、告げた。
「無理だ。警備のDL兵は、百人はいるぞ」
「――!?」
カナコは思わず、レーダーを見直した。十数人しか映っていない。
「宇宙船の周囲には十三人だが、ここから北海域まで、兵士が点在してる。銃声を聞けば、すぐに追いつかれる距離だ。あきらめろ、無理だ」
ケヴィンは止めたが、カナコは息をつめて、ケヴィンをにらんだ。カナコを止めるためにウソを言っているのか。レーダーには、たしかに13人しか映っていない。
「帰って」
カナコは拒絶した。
「あなたは、仲間のもとに帰って」
「カナコ、」
「あたしには、もうだれもいない」
両親は死んだ。ラリマーも死んだ。幹部たちも、可愛がっていた、家族のようだった仲間も――。
「もう、姉さんしかいないの」
カナコは背を向け、引き金を引いた。
「カナコ!!」
ケヴィンが銃を取り上げる。味方がひとり、倒れたのを見たDL兵の騒ぎ立てる声が、こちらにも聞こえた。
「放して! あたしは――姉さんに、」
ケヴィンに羽交い絞めにされ、もがくカナコの耳に、銃声が飛び込んだ。カナコは、ケヴィンごと、もんどりうって倒れ、投げ出された。
「いっ――」
腰を打ち、あわてて立ち上がると、ケヴィンが足を押さえて倒れている。彼の太ももからは、あふれるように血が流れていた。
「ケヴィン!!」
大勢の怒声と、草木をかきわける音。DLが狙撃したのか。おもいのほか、声は近かった。カナコはケヴィンの腕を肩にまわし、担ぎ上げるようにして走った。木の根につまづきそうになりながら、何度かケヴィンとともに転びながら、近くの「バラスの洞窟」まで走った。
10人も入れない、「バラスの洞窟」のなかでも小さめの洞窟に入ると、カナコは上着をコンバットナイフで裂いて、ケヴィンのキズに巻き、血止めをした。
「どうしてあんた、あたしを追って来たのよ!」
カナコは涙交じりに叫んだ。
「あたしを捨てたくせに!」
「――捨てた覚えはない」
ケヴィンは静かに言ったが、痛みと出血多量のために、額には脂汗が浮いていた。カナコはケヴィンの頭を膝に寄せ、汗を拭いてやった。
「ここには、食糧も水もないわね……」
カナコは、岩場を掘っただけの、浅い洞窟の奥を見つめた。なにもない。苔が生え、かびくさい臭いがするだけだ。
「カナコ、姉に会うのはあきらめろ」
「言わないで――いいから、だまってて。体力を奪われる」
カナコはどうすべきか、思案していた。このままほかの洞窟へ、救援を呼びに行くべきか。しかし、ケヴィンをひとり、ここに置いていくわけにはいかない。DLの連中は、ラグバダ族に手出しはしないと言われているが、手負いのケヴィンを見て、どう思うか――。首長が手傷を追っているのを見たら、これ幸いと、人質に取るかもしれない。
「わたしもかつて、妹を失った。おまえの気持ちはわかる」
「……」
ケヴィンとアルフレッドの妹がDLにさらわれ、売り飛ばされたとき。カナコもふたりの妹と変わらない年だった。カナコ自身が、姉と両親を失ったこともあって、他人事とは思えず、カナコはカナコで、別の星まで行って、彼らの妹の行方を捜したのだ。
ケヴィンたちがカナコに心を開いたのは、それがきっかけだったのかもしれない。
「だが、もはや終わりだ。おまえの心火だけが原因ではない」
「ねえお願い。話さないで、深い傷なのよ」
しかも、かなりの出血量だ。カナコはやはり、助けを呼び行くべきだと立ったが、ケヴィンが止めた。
「青銅の天秤に、ヒビが入った」
「……なんだって」
カナコも、ケヴィンとは長い付き合いだ。天秤自体を見せてもらうには至らなかったが、この地のラグバダ族が「青銅の天秤」を守っていて、この天秤が滅びるときには、世界がトリアングロ・デ・ムエルタに見舞われる、という話は聞いていた。
ケヴィンは荒い息の下で、うめくように言った。
「ドーソン一族が滅びたことで、銀の天秤も崩壊したのだろう。もはや終わりだ。金の天秤が現れたという話も聞かない――われわれの一族にも、双子が生まれなくなった。祖は帰ってこない。世は、ふたたび滅亡するさだめなのだ」
「ちょっと待って」
カナコはうろたえた。傷から熱が出たのか、うなされてでもいるのか、ケヴィンはいままで話したことがないようなことを、カナコに聞かせていた。
「……だからわたしは、おまえとともに滅ぶために、おまえを追った」
「……!」
「死すときは、おまえとともにいたい」
ケヴィンの熱い手のひらが、カナコの頬に触れた――カナコは、同時に、自分の後頭部に銃口が突きつけられたのを知った。
DLの集団に囲まれていた。洞窟の入り口にいたカナコとケヴィンだったので、彼らは洞窟に踏み込んでこそいないが、ずいぶんな人数だった。カナコたちの知らない言語で、こちらに怒鳴っている。
ひとりが手を伸ばし、ケヴィンを無理やり立たせようとした、そのときだった。
カナコは、目の錯覚かと思った。
――これは、ルリビタキだろうか。
目が覚めるような真っ青な色の、綺麗な小鳥が――ふだんなら、手のひらに乗るような小さな小鳥が、タンクローリーほどのおおきさにもなって、洞窟の前をふさいでいた。
巨大なくちばしが、まるでちいさな虫でもついばむかのように、DL兵を、飲み込んだ。
「――!!」
銃を乱射して、DL兵は逃げた――だが、同じようなおおきさのセキレイに、ついばまれた。カナコは腰が抜けて、立てなかった。巨大な小鳥たちの向こうに、まるで手のひらに乗るような小さいゾウの集団がいて、着地したスズメの巨大な足の下に、踏みつぶされた。
それだけではない。
スズメを蹴散らして進んでいくのは、足が巨木のような、バッタ。そのバッタを踏みつぶしたものは。
青い空を、一瞬でも純黒に塗り替えたのは、山のようなおおきさの――アリだった。
「は、……ああっ、」
カナコは、つぶやきのような声を漏らして、硬直した。こんなにも間近で、トリアングロ・デ・ムエルタを目にしたのははじめてだった。最初はこぐまの集団に襲われたところを、ケヴィンに助けられてすぐ洞窟に入れてもらった。二度目以降は、プリズムが出たら洞窟に入るか、すぐにL43をあとにした。
こんなものを見たのは、はじめてだった。
「トリアングロ・デ・ムエルタが、はじまった……!」
ケヴィンはケガをした足を引きずり、カナコに、洞窟の奥に行くよううながした。カナコは動けなかった。強張ったまま、めのまえの、壮絶な光景を見つめていた。
「だいじょうぶだ……ここにいれば、安全だ……」
ケヴィンの言葉通り、動物たちは、洞窟の中にはいっさい興味をしめさず、一定の方向に向かって進んでいく。震えるカナコを抱きしめ、安心させるように頬ずりし、ケヴィンは痛む足を引きずって、洞窟の奥まで這った。
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