コンサートも三日目である。ルナはピエロが寝ている間にイシュメル・マジック入りのトマト・スープをつくり、キッチンに置いてきた。

「――エセルが?」

ルナが集会場の二階にたどりつくと、グレンの声が耳に入ってきた。サルビアは反対していたが、クラウドがグレンに告げたようだ。

ルナは神妙に入ってきたが、部屋は深刻な空気をかもしてはいなかった。グレンはそれほどダメージを受けていないようだ。

「なるほどなァ……銀の天秤ってのは、実在するものだったのか」

グレンは、そんなものがあることは、父バクスターにも、祖母のトレーシーからも聞いたことがなかった。もともと、父には勘当された身だったし、厳然たる傭兵差別主義の祖母には、近寄れば説教を食らうので、避けていたとグレンは苦笑いした。

「もう、エセルしか残ってないのか……」

そうして、すこし寂しげな顔をしたが、すぐにその表情を消した。

「あのな、そんな神妙な顔をしなくてもだな、俺はもうとっくに、この話は聞いてるんだ」

サルビアをはじめ、そっぽを向いたアズラエル以外は、皆グレンの顔色を心配しているからだ。さすがにグレンは肩をすくめた。

「もう聞いてる?」

クラウドが首を傾げた。

「ああ。レオンやマルグレットが監獄星に送られて、爆死したってことは、とっくにオトゥールから、」

「ああ、そうか。そうだったな」

クラウドも肩をすくめた。

「それから、来期には、親父とローゼスが乗ってくる――ついでにエセルを宇宙船に招くのは一向にかまわねえが、となると、俺は地球に滞在するんじゃなくて、一度L55までもどって、それからエセルを乗せるための手続きをしなきゃならねえな」

グレンはすでに役員になったので、チケットなしでも身内を宇宙船に乗ることができる。ただし、人数制限があり、ものすごく手間のかかる手続きが必要だ。

 

「そのことなんだけど」

アンジェリカが手をあげた。

「あたし、宇宙船の株主になる手続きをしてるんだ。L55にもどるころには、主要株主として認められると思う。そうなったら、あたしが乗せてあげられる。グレンさんがL55にもどって、手続きをする必要はないよ」

「気持ちはありがたいが……」

グレンは言葉を濁した。

「アイツは、すごく引っ込み思案で人見知りなんだ。おまけに、銀の天秤がぶっ壊れちまったってことで、自分を責めてるって?」

エーリヒの説明によると、そうだった。

「それに、俺の親父たちと一緒に乗せる気なら、ぜったいやめといたほうがいい。……あいつはたぶん、俺以上に、俺の親父にはビビってるぞ」

皆が、顔を見合わせた。

「エセルが俺に会いたくねえって言ってるのは、正直言ってちょっとショックだな。俺とメグ……マルグレットとレオンは、マメに見舞いに行ってたんだけどなあ。エセルは一時、俺のこと好きだったって、聞いたことがあるんだ。脅かすことなんか、一度もしたことないのに」

グレンが困り顔で言うのに、すこしだけ、サルビアの挙動が怪しくなった。顔が強張ったくらいのことで、少し離れたところにいるルナくらいしか気づかなかった。

(サルビアさん?)

アンジェリカは少し考えたあと、言った。

「じゃあ、バクスターさんたちと一緒に乗せるのは、やめたほうがいいんだね?」

「ああ。俺で怖がってるなら、親父なんかよけいだろ。親父は、身内にも悪魔と陰口叩かれるような男だったって話だ」

以前は、と言いかけて、グレンはバクスターのことをなにも知らないことに気づいてやめた。ルーイのうちにいたころは、セバスチアンとエレナから、バクスターの優しい部分の話しか聞かなかったから、父親を慕う気持ちしかなかった。だが軍事惑星にもどり、手ひどい拒絶をされ、やがて父親が追放された以降は、バクスターの陰口しか聞こえてこなくなった。地球行き宇宙船に乗ってから変貌したという皆の認識は共通していて、以前は、彼が首相になったら、祖父や父を超える恐怖政治になっていただろうというのだ。

 

「アンジェに託すのもいいが、アイツ、ひとりで乗って、心細くねえかな」

「……」

「もともと、家から一歩も出ないようなヤツだったし。いきなり地球行き宇宙船に乗せるって言ってもなァ。知ってるやつがいっしょにいれば、安心するだろうが……」

だれの目から見ても、グレンがひどくエセルを心配していることだけは分かった。

グレンは、やっと自分を凝視しているたくさんの視線に気づいた。今度はサルビアが目を伏せ、アズラエルがジト目で見ている始末だった。アンジェリカも細目で――ルナは真顔という名のアホ面で。ペリドットはニヤニヤ笑いながらグレンとサルビアを見比べていたし、クラウドは半笑いだった。ピエロまで、よだれまみれの顔で、こちらをじーっと見ている。

 

「なんだ?」

「あたし、グレンさんには、姉さんを預けるって言ったよね? お願いしたよね?」

「ア――アンジェリカ!!」

アンジェリカが仁王立ちしてグレンをにらむのに、サルビアが慌てて真っ赤な顔を上げた。

「グレンさんに姉さんを任せる代わりに、ルナが責任もって、エセルさんのお世話をするから、安心していいよ!」

「あたし!?」

ルナうさぎが、後ろで座ったまま飛び上がっていた。

「あたし!!」

「来期はあのカオス屋敷に、エセルさんとバクスターさん、ローゼスさん? が結集して、さらにルナは女の赤ちゃんの担当だ。しかもふたりさ。心配なんかしてる余裕がないほどカオスだよ。エセルさんの親友ができる予兆もある――まちがいなく、ピエトがエセルさんの運命の相手も連れてくる」

アンジェリカは、自分のZOOカードを動かし、早口で説明した。ルナの真ん丸お口が、ますます開かれていく。

「ふたり!? 赤ちゃんがふたり!?」

「ルナ、一枚のチケットで、ふたり乗れるんだぞ」

アズラエルが、すっかり忘れているようだったルナに教えてあげた。

 

「だから、グレンさんは、自分の運命の相手を大切にして!!」

 

そして、アンジェリカの決定的な一言が、ひろい二階に木霊した。

「アンジェリカ!!」

呆気にとられているグレンをよそに、サルビアは、褐色の肌でさえ分かるくらい赤面していた。ついにいたたまれなくなった彼女は、半泣きで、

「ちょ、ちょっと、お屋敷に、……」

そう小声で言って、逃げ去った。

 

「アンジェ、言いすぎだ」

「たしかに、言いすぎました」

呆然としているルナの顔色を見て取って、ペリドットがたしなめた。いつもなら、それはサルビアの役割だが、彼女は恥ずかしさのあまり逃亡してしまった。アンジェリカは咳払いをしてごまかした。

「でもさ、」

アンジェリカは懲りず、なおもグレンに言いつのった。

「バクスターさんが、赤ちゃんのおむつを替えているところを見ちゃったら、さすがにエセルさんでも、心を開くようになると思わない?」

「ふぐっ!!」

クラウドが噎せた。

アンジェリカは、片手だけでZOOカードを動かしながらつづける。

「でも、じっさい来期、いちばんルナの子育ての手助けをしてくれるのはバクスターさんだよ? このひと、“父なる孤高のトラ”だから、ものすごく父性があるんだ。アズラエルは、役員になって初年で、すさまじく忙しくて二年ほど宇宙船にいないし、あの屋敷で父親代わりになって子どもたちを面倒見てくれるのは、彼なんだ」

アンジェリカはふたたび咳払いをした。

「そのう……あたしの子も、ずいぶん世話になると思う」

グレンが信じられない顔をしていた。

「冗談だろ!?」

「あながち、冗談でもないかも」

クラウドがZOOカードをのぞき込みながらうなずいた。バクスターのカードらしきもの――軍服のトラの姿にうっすら透けて、子どもにまみれてあたふたしている様子のトラの姿が見えた。

「これは俺の持論なんだけど」

クラウドがまた、だれにも理解してもらえない持論を展開した。

「優秀な軍人は、子育ても優秀だと思うんだ。きっとバクスターさんは、数人子どもがいても、ひとりひとりまちがいなく正確に時間をはかってミルクを与えたり、子どもの顔色で、おむつの変えどきも予測するよ。不測の事態にも柔軟に対処する――まァ、子どもの集団が、軍隊式にならないことを祈――ぶふぅ!!」

クラウドは勝手に言って、勝手に笑いおさめた。グレンはそれでも認めたくなくて、尋ねた。

「ローゼスは? アイツのほうが、面倒見はいいし、」

「ローゼスさんも子ども好きだけど、彼は長年の苦労がたたって、宇宙船に乗ったら大病を患うかもしれない。どちらかというと、彼のほうが、介護が必要な状況になるかも」

「……!」

「よしアンジェ。そこまでだ」

ペリドットが指を鳴らすと、アンジェリカのZOOカードが勝手に閉じた。

「あっ!」

ペリドットは嘆息し、告げた。

「おまえはあとで、説教だ――グレン、アンジェリカの言うことは、八割は正解だが」

「八割?」

「運命は変わる。そうだろ?」

「……」

「心配も期待も必要ない。今聞いたことは忘れろ」

ペリドットは言い含めたが、「……あのバクスター大佐が、赤ちゃんのおむつを替えている姿なんか、一度想像しちゃったら、忘れられないよ」とつぶやくクラウドがいた。

 



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