「うんでもね、ともかくもね、あたしはピエロをお風呂に入れてくるよ!」

ルナは元気に言った。ともかく、いつもかなりどうでもいいことで空気を変えるのに成功するルナは、アズラエルからピエロを預かり、ぴこぴこと階段を降りて行った。

ゆっくりと、グレンの視線が、ルナのまん丸い背中が階段に消えていくのを追い――それは、深々とした嘆息にとってかわられた。

「まァ――エセルのことはよくわかった」

地球に着くまで、まだ考える時間はある。グレンはふと携帯を見て、メールが来ているのに気付いて立った。

「一度屋敷にもどるよ」

「俺も、ついでにシャワー浴びてくるわ」

グレンとアズラエルが二階を後にしたとたん、ペリドットの目が、クラウドもびくっとするほど厳しさをまとった。

「アンジェリカ、そこに座れ」

「――はい」

勝気なアンジェリカが、どことなく小さくなっている。これはこれで、あまり見られる光景ではないと思いながら、クラウドも階下へ降りて行った。エーリヒからの連絡を待っているのだが、一向に連絡を寄こさない。一階のミシェルのアトリエで、エーリヒの携帯にかけてみたが、やはりつながらなかった。

 

 

 

シャイン・システムから屋敷の応接室に出たルナは、ぺけぺけと廊下に出て、キッチンをのぞいたが、だれもいなかった。屋敷内のシャインで三階に上がり、ピエロの着替えを持って浴室に向かおうとして、はっと気づいて周囲を見回した。

「ぴかぴか……!?」

スリッパでこする、床の表面の感触が違う。

ルナは、廊下の床を何度も行ったり来たりし、ピエロを床において、這いつくばって見つめてみたりしたのだが、信じられないくらいピカピカだった。光が入る窓辺に近寄ると、それがはっきりと分かった。床は、入居したてのときの輝きをとりもどしていた。まるで、業者が入って、ワックスで磨きなおしたと思われるくらいに――。

 

「!?」

ルナはピエロを抱きかかえ、三階の手すりから、大広間を見下ろしてみた。

「――綺麗すぎる」

天井からつるされたシャンデリアにも蜘蛛の巣ひとつかかっていない。飾られた額縁のすみに、ホコリひとつない。気づけば、手すりもツヤツヤに磨き立てられていた。

ホコリというホコリが、屋敷から消えうせている気がした。

「ルナちゃんお帰り~!」

「あ、アル!!」

大広間に現れて、手を振っているアルベリッヒに、ルナは思わず聞いた。

「どうしたの!? お屋敷がすごく綺麗だよ!? 大掃除とかしたの」

クリーニング業者が入ったのだろうか。レオナたちが去ってから、屋敷でいちばん掃除をしていたのはルナで、最近忙しくて、手が回らなかったのだが。

「ちがうちがう。これぜんぶ、シシーさんが掃除してくれたんだよ。びっくりだろ?」

「シシーさん!?」

 

ルナが慌てふためいてキッチンにもどると、そこにはアルベリッヒとシシーがいた。シシーはいつものスーツではなくて、ジーンズにTシャツにエプロンといった掃除人スタイルだ。

「ルナちゃん! おつかれさま!!」

ルナの顔を見ると、シシーが満面の笑顔で出迎えてくれた。

「キッチンで最後だから。今日で、お屋敷の大掃除はひととおり終わるよ!」

「シシーさんこそおつかれさま――シ、シシーさんがぜんぶ掃除してくれたの!? これぜんぶ!?」

この、広い屋敷を。

だがシシーは、あっさり笑い飛ばした。

「この程度のひろさ、たいしたことないって。あたし、もうちょっと広いお屋敷、ひとりで毎日掃除してたからね」

「はうえ!?」

「掃除は、悪いけどプロ級だよ。叔母さんがそういうところうるさかったから。専門の清掃業者にやりかたを習わされたからね」

シシーは胸を張って言った。彼女の話によると、二十代のころ、三年間ほど、叔母の家で毎日掃除ばかりの生活をしていたのだという。

「あのときはホント最悪の生活だって思ってたけど、どんなときに役に立つか、わからないもんだね」

シシーはリスの絵柄がついたマグカップにたっぷりコーヒーをもらい、アルベリッヒ手製のマフィンをつまみながら、にこやかに言った。アルベリッヒは、ルナの分もマグに注いでくれ、ピエロには哺乳瓶に入った水と小児用の卵ボーロを持ち出して来て、座った。

彼はほとほと、感嘆気味につぶやいた。

「すごいなァ、シシーさんは。介護士の資格もあって、掃除はプロ級でしょ。料理も上手だし、なんでもできるね」

シシーは四つ目のマフィンに手を伸ばしながら、あわてて首を振った。

「い、いや料理は! アルベリッヒさんにはかなわないよ」

「シシーさん、ご飯も作ってくれたの!?」

ルナのうさ耳が跳ねた。

「ごはんってほどでもないよ。きのう、ピエトくんとネイシャちゃんが帰ってきて、おなかがすいた顔してたから、残りごはんでチャーハン作っただけ。あのころって、なにしてるわけでもないのに、お腹すくんだよねえ……」

しみじみ言うシシーに、アルベリッヒは言った。

「ひとくちもらったけど、美味しかったよ、チャーハン」

「あれ美味しいでしょ! マヨネーズで炒めるの。あたし、おばさんちにいたころ、おなかすくとマヨネーズ、ご飯にかけて食べてた。あれ、たまに食うと旨いのよね」

ルナはペコペコ頭を下げた。

「ほ、ほんとにありがとう――派遣役員さん、忙しいのに、ごめんなさい。そ、掃除までさせちゃって」

「そ、それはその、その、いいの!! クラウドさんに頼まれたの。もしよかったら、しばらく忙しくなるから、手伝いに入ってくれないかって」

「クラウドが!?」

もうひとり助っ人を頼んでいる、というのは、シシーのことだったのか。

 

ルナはふと、変化したシシーのZOOカードを思い出した。

「三匹のシマリス」のカードを。

(カードの中のシマリスは、モップと洗濯かごと、お玉を持っていた)

――この屋敷のメンバーの証でもある、エプロンをつけて。

『三人分の仕事ができるっていう、すごいカードよ』

月を眺める子ウサギは、そう言っていた。

ルナは、それを思いだして、ごくりと息をのんだ。

 

「っていうか、その、」

なぜか、お礼を言われたシシーのほうが、しどろもどろだった。

「もう地球に着く時期だからね、そんなに忙しくないの。それにね、その、あたし、派遣役員になってはじめて担当を持って、その船客が地球に着くって、じつをいうと――ものすんごい確率なのね」

「う、うん?」

シシーは、エマルとリンファン担当の役員である。テオがアンとツキヨ――正確には、まだ地球に着いていないが、ここまでくれば、地球到達ほぼ100パーセントという状態であった。

「何年役員やってたって、一度も船客を地球に連れていけない役員もいる中で、最初に担当した船客を地球までって、すごくめずらしいケースなの――うんたぶん、ルナちゃんはまだ、想像もできないかも――うん、すごおぉぉく、すっっっごくめずらしいの」

「……うん」

「だからさ、やっかみも、多いんだ」

「――!」

肩を落としたシシーに、アルベリッヒは無言でなぐさめるような視線を向けたし、ルナのうさ耳は、ビコン! と立った。

「テオもそうなんだって。初担当で、船客が地球到着。テオは、『気にするな』とか言ってたけど、あたしテオみたいには図太くなれなくって。ツキヨさんとアンさんが地球に着いてくれるのは嬉しいけど、あたし、今期が終わったら、もう派遣役員やめようかなって思ってて……」

「え!?」

派遣役員を、やめる?

「それで、船内役員になって、介護士やろうかと思ってたら、カザマさんがいいこと教えてくれたの。――ルナちゃん、K19区の役員になるってホント?」

「へ? え、あ、うん」

ルナは突然言われたので、思わずうなずいていた。

「あのね、K19区の役員って、補助役員つけられるでしょ?」

「ほ、ほじょやくいん?」

ルナは初耳だった。だがなぜか、アルベリッヒのほうが知っていた。

「ルナちゃん、知らなかったのか」

ルナはまだ、講習に通えていない。ピエロの世話もあって、K19区の役員の勉強は、L55にもどってからするはずだった。

「K19区の役員は、その特殊性もあって、補助役員を持てるんだ。つまりは、お手伝いさん。補助役員は、種類としては船内役員なんだけど、もっぱら、その特殊技能で、K19区の役員の補助をすることになる」

「とくしゅぎのう?」

「うん、つまり、K19区に入ってくる子どもは原住民が多いだろ? だから、原住民の言語がわかる役員が補助についたりする。もともと、どの区画とか関係なく、役員同士は協力関係にあるけど、とくにK19区の役員は、はいってきた船客を自分の養子にすることが条件だろ? 役員や、入ってくる船客の子どもの生活をまもる面でも、重要視されるんだ」




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