さて、宇宙船では、きのう、アンのコンサート4日目を終えたところだった。

ルナはふたたび、朝から屋敷のキッチンにいた。アン専用のスープは、先日つくったばかりだが、今つくっているのは、みんなに食べさせる分である。

キャベツにじゃがいも、玉ねぎ、トマトやソーセージをゴロゴロ入れた、塩味のスープだ。野菜の下ごしらえはアントニオやアルベリッヒが手伝ってくれたし、スープは大鍋ふたつにたっぷりつくられた。

ルナは味見をしてから、キッチンの壁にあるカレンダーで、日づけを把握した。

「5月18日……」

今日は中日。明日、ついにアンのコンサートも最終日である。

 

『ルナ! 噴きこぼれてるよっ!』

「あ、ごめん!」

ルチアーノの悲鳴のような声に、ルナはあわてて、ガスの火を弱めた。そして、ジト目で自分と同じ身長ほどしかない、チョビひげ小男をにらんだ。

「ってゆうか、ふたりとも馴染みすぎです!!」

『『え?』』

コックエプロンのルチアーノと、テーブルいっぱいのサンドイッチとおにぎりに、イシュメル・マジックを振りかけているイシュメルが、真顔で返事をした。

「この部屋にはいちおう、あたししかいないんです!」

なにも知らない人間が見たら、ルナはおかしくなったと言われるに決まっている。ルナしかいないキッチンで、だれかと喋っているのだから。

『わたしと、ルチアーノがいる』

イシュメルはニコニコと微笑みながら言った。

「あたししかいないはずなのです!!」

まったく、ふたりは、屋敷の住人みたいに、キッチンになじんでいる。ルナは先日、廊下でイシュメルとすれ違って、「おはよう!」と挨拶して、ロイドに不審な目で見られた。もちろん、イシュメルは「おはよう」と返したが、この屋敷は、あまり見えないはずの連中が、ふつうにうろつきすぎる。

 

「ルナねえちゃーんっ! ただいま!!」

ルナは、うさぎよろしく、飛び上がった。

元気のいい声がしたと思ったら、ネイシャが、キッチンの入り口からのぞき込んでいた。

「ひさしぶり! ひさしぶりにルナ姉ちゃんの顔見たよ!!」

「び、びっくりした――ネイシャちゃんか」

「あれ? ルナ姉ちゃんひとり?」

「ひ、ひとり? そ、そう! そうです、そうです! ひとりなのです! ひとりしかいないのです!! あたしひとりしか!!」

ルナは挙動不審にうさ耳をぴこぴこさせた。

「ネイシャちゃんはあいかわらず元気です」

最近、ものすごく筋肉がついてきた気がするネイシャだった。スレンダーではあるが。

 

「おやつあるよ」

そういえば、冷蔵庫に菓子パンの袋があったのだった。思い出したようにルナが言うと、ネイシャは、

「おやつ――ううん、今は甘いモンより、腹持ちのするほうが――そのおにぎり食べていい!?」

ネイシャは、テーブルの上のサンドイッチとカラフルなおにぎりに目を留めて、歓声を上げた。

「いいよ」

ネイシャはものすごいスピードで洗面所まで行き、手を洗ってもどってきた。

 

「いっただきまーすっ!!」

ネイシャは両手におにぎりを携えて、頬張りながらしゃべった。

「このあいだ、シシーさんがつくってくれたチャーハン、メチャ美味かったんだ!」

セシルがいたら、「食べ物が口にあるときにしゃべるんじゃないの!」と怒られているはずだ。

最近ネイシャは、エマルと一緒にいることが多いので、なんとなく、所作も口調も似てきたような気がする。アズラエルは、すごく残念な顔をしていた。

「あたしも、そのマヨチャーハン食べてみたいんだ」

マヨネーズ好きのルナとしては、食べ逃すわけにはいかなかった。ルナは真剣に相槌をうった。

「それで、関係ないけど今日はエビマヨとツナマヨおにぎりつくったよ」

「あっ! ほんとだ、こっちエビマヨだ!」

右手がエビマヨだったことにニカッと笑ったネイシャは、左手が梅干しだったことで、セシル譲りの美人も台無しになる、すさまじい顔をした。ルナにしかわからないが、ルチアーノがその顔を見て爆笑している。

ルナがスープも注いでやろうとすると、ネイシャは首を振りながらおにぎりをもう一個持ち、立った。

「4時半に、エマルおばちゃんと約束してんの。今日はK07区のスポーツセンターで」

すでに4時半は過ぎている。

「急がなきゃ!」

「うん。もうちょっとで、エマルおばちゃんから一本取れそうなんだ。いままで防戦一方だったんだけどさ――夕飯までには帰るから、あ、きっとエマルおばちゃんも一緒だよ――ルナ姉ちゃん、ありがとね~!!」

ありがとね~! は、廊下の向こうから、ずいぶんちいさくなってルナの耳に届いた。

「ネイシャちゃん、がんばってるなあ」

ルナが、応接室に飛び込んで行くネイシャの後ろ姿を見送り、感心したようにつぶやいた。

『若い者が、元気なのはたいへんに良い』

イシュメルが微笑み、

「おじいちゃんみたいなこというよ?」

とルナが言ったら、『わたしは、二千歳のじいさんだよ』と彼はおおらかに笑った。

 

『ねえ、ルナ』

「なに?」

ルナは反射的にふりむき、普通に返事をし、相手がロメリアだったことに気づいて飛び上がった。

「ねえ! たのむから、見えない人は見えない人なりの態度を取ってください!!」

ふつうに話しかけないで! 屋敷に住んでる人と見分けがつかないじゃないか! とルナは叫んだが、ロメリアはやっぱりルナなので、マイペースだった。

『俺は知らせに来たんだよ』

ロメリアは、言った。

『ケヴィンとアルフレッドが、L43に向かっているよ』

「ええ!?」

 

――ロメリアの「知らせ」を聞いたルナは、たちまちウロウロうさぎになった。それから、あわてて集会場にもどろうとして、ルナはお留守番をしていることを思い出した。勝手に屋敷を離れられない。しかたなく、イシュメルとルチアーノ、ロメリアに、伝言を頼もうとして、彼ら三人のだれ一人として、ふつうのひとには見えないはずなのだと思い立って、うさ耳を垂らした。

「困ったな、どうしよう」

今はみんな、それぞれの用事で出払っていて、いつ帰ってくるかも、分からない。

「ママに電話しよっかなあ」

リンファンは、キラリを預かって、エルウィンのいるマタドール・カフェにいるはずだ。

 

『アシュエルかグレンを呼んでこようか? それとも、アリョーシャ兄さんを? 彼らに俺は見えるはずだ』

ロメリアは言ったが、あの三人のまえにロメリアが現れたら、当分放してもらえない気がした。

『サルビアかアンジェ、ペリドットならわたしが見えるだろう』

イシュメルが言い、

『アントニオを呼ぶかい?』

ルチアーノも言った。

「ちょ、ちょっと待って」

三人が三様に言ってでかけようとしたが、そのまえに、「ただいまあ」と大広間から声がした。

「ピエト!!」

ルナはぺぺぺぺぺーっと玄関まで走った。見えない人たちは、キッチンのテーブルに座って、ルナを待った。

 



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