「ピエト!」

「ルナ!? ただいま!!」

ルナの顔を見たとたん、沈んでいたふうのピエトの顔が輝いたので、ルナは大慌てでブレーキをかけた。勢いと、足と、気持ちにとだ。ピエトのようすにも気づかず、伝言を頼んで、そのまま行ってしまうところだった。

「ど、どうしたの」

すごい勢いで走ってきたルナが、いきなり冷静になったので、ピエトのほうが戸惑う始末だった。

「う、ううん。ごめんねピエト。長いあいだ留守にして」

「へ、へへ……ひさしぶりにルナに会えたよ」

ピエトは少し、涙ぐんでいた。それを見て、ルナは自分の眉もへの字にし、おもわず抱きしめてしまった。そろそろ思春期で、嫌がられるかと思ったが、ピエトはおずおずと抱き返してきた。

(ずいぶん、おっきくなったなあ)

ピエトを抱きしめてあげるのは、いつぶりだろうか。

そういえば、アズラエルも集会場に詰めていて、ピエロもルナなしでは泣くので、連れっぱなしである。ピエトは、ここしばらく、アズラエルにもルナにも、ピエロにも会っていない。

 

「ごめんね、ピエト」

ルナはもう一度言った。

「ううんっ! ルナは忙しいし――でも、会えてよかった」

「……」

「あ、あのさ、ルナ」

一度は気丈に笑って見せたピエトだったが、急に、思いつめた顔で言った。

「俺、ちゃんと、地球に着いても遊ばないで、学校行くからさ……」

「うん?」

「地球に着くまで――ルナの仕事が終わるまで、俺――ルナたちと一緒にいていい?」

「……」

ルナは、泣きそうなピエトの顔を見つめた。そして、すぐにうなずいた。

「うん。いいよ」

たちまち、ピエトの顔色は晴れわたった。

 

学校を休みがちなことで、また校長先生になにか言われるかもしれないが、ピエトは人一倍勉強をがんばってきた。すでに学校の必須授業は終えて、専門の先生について、さらに勉強をしているのだ。校長は、ピエトをアルビレオ大学に入れませんかとたびたび相談を持ちかけてくるが、最終的にはピエトが決めることだとルナは思っていた。

なにせ、まだ中等部なのだ。

ルナは、焦らせたくはなかった。

「よいよ。いっしょにいよう」

ピエトは泣きそうな顔で、何度もうなずいた。

地球に着くまであとわずか。その先、ピエトがどんな道を歩むにしても、ルナはたったひとつだけ。

父や母、弟と死に別れ、ずっと孤独だったピエトに、なるべく孤独な想いをさせたくないだけだった。

せめて、一緒にいるあいだは。

 

「アズラエルは、怒らねえかな……?」

 ピエトは心配そうに言ったが。

「そのときは、グレンパパとクラウドおじさんにゆってもらいます」

ルナは仁王立ちした。

かつてピエトが休みがちになっていたころ、(それは、ルナが見えなくなったり、いろいろ、一口では説明できないようなことがあった時期だ)アズラエルに「学校に行け」とこっぴどく叱られたとき、グレンが、「てめえの出席日数を数えてみるか……?」とうしろから脅しをかけてくれたので、たすかったときがたくさんあった。グレンとアズラエルだけではケンカになっていただろうが、「証人はここにもいるよ」とクラウドが手をあげたので、事なきを得た。

 

「だいじょうぶだよ、ピエト」

ルナが明るい声で言うと、ピエトはようやく元気が出たようだった。

「おやつあるよ」

「うん!」

いつものルナの言葉に、いつもどおりの返事を返しながら、キッチンに向かった。

「あっ! イシュメルとルチアーノと、そっちのお兄さんはだれ?」

(見えるんだ)

ピエトの声を聞きながら、ルナは遠い目をした。

「ロメリア? 俺ピエト、よろしくな!」

(百三十年前のひとと二千年前のひとと、ルチアーノに至っては何千年まえかわからないひとですよ! ピエト!)

ママは平たい目をしながら、見えない人に対する教育のことを考えはじめた。

もしかして、「セプテンの古時計」が屋敷にあるから、時間が交錯しているのだろうか。

ルナはクラウドみたいに小難しいことを考えてみようとしたが、学者か哲学者みたいな前世が出てきて、屋敷の一員になられたらまたパニックになりそうな気がするので、やめた。

 

「おやつはあとで食うよ!」

ルチアーノに腹は減っていないか聞かれたのだろう。そうこたえたピエトは、洗面所に行って手を洗い、まっすぐに応接室に向かった。会いたい人がいるのは、ルナも分かっていた。

応接室で眠っていたピエロの顔を見、バックパックを降ろしながら、「ピエロも久しぶりだな。兄ちゃんだぞ」と小さな声で話しかけた。

ルナは、応接室に顔をのぞかせながら、言った。

「ピエト、おつかい頼んでいい?」

「うん」

「ピエトはお部屋にバックパックを置いてきて、お風呂に入って。それから、だれかがお屋敷に帰ってきたら――イシュメル・マジック入りのスープとサンドイッチとおにぎりつくったから、みんなに満遍なく行きわたるようにしてってゆって。今回は、リサやアニタさんたちにも。お屋敷のみんなにね。そいで、集会場に、ふたりそろってご飯を運ぼう」

やることはたくさんだ。ピエトは元気よく、「うん!」とうなずいた。

 

ピエトを三階の自室に追いやったあと、ルナはふと、応接室のカレンダーに目が吸い寄せられた。

(5月18日)

今日は、何度となくカレンダーを見ている気がする。

エーリヒからカザマに送られてくるはずの書類は、届いていなかった。エーリヒとも連絡がつかない。ムンドにも、大きな変化はない。アンも絶好調だし、「ラ・ムエルテ(死神)」が出たカードのみんなにも、とくに変化は見られない。

キッチンにもどると、「見えないはずの人たち」は消え失せていた。

「……そういや、お礼がまだだったなあ」

今日は、なんだかピリピリしていて、せっかくイシュメルやルチアーノが協力してくれ、ロメリアも伝言を持ってきてくれたのに、まともにお礼も言わず、当たり散らすようなことばかり言ってしまった気がする。

「ごめんね。いつもありがとう。イシュメルとルチアーノと、ロメリアと……」

ノワと。

ルナは、こしこしと目をこすった。

(眠い)

ルナは、まったく食欲がないので、自分がつくったイシュメル・マジック入りのスープを飲んでみた。ちょっと元気が出た気がする。

 

ルナは落ち着かなくて、ふたたび立った。

(そろそろ、なにか変化があるのかも)

ルナは、ピエロが熟睡しているのを確かめて、廊下に出た――。

(ん?)

なぜか、廊下が広く感じた。天井も、吹き抜けのように高くなる――どこかの、お城みたいに。

 

「ミシェル」

玄関の方から、レディ・ミシェルが歩いてきた。

「ミシェルお帰り! どうし――」

ルナは声をかけたが、すぐに彼女が、ミシェルではないことに気づいた。

(ラグ・ヴァーダの女王様だ)

 

――トリアングロ・デ・ムエルタがはじまる。

 

屋敷じゅうに反響するような声で、彼女はそう言った。

「えっ!?」

急に周囲が、密林の風景に変わった。目に飛び込むふかい緑のジャングルの奥に、峻険な山岳がある――高い山頂に立っているのは、バラス――のちにラグ・ヴァーダの武神の異名をとる、バラス族の生き残りだ。

ルナは、「ケヴィン」の視点になっていた。

三千年前のケヴィン、地球から旅立った宇宙船五基のうちの一基に乗り、新天地を目指した――民俗学の権威でもあった、ケヴィン博士の目線に。

 

(トリアングロ・デ・ムエルタは)

ルナはやっとわかった。プリズムが、あの逆三角錐が、ずっと気になっていた理由が分かった。

(動物が大きくなるだけじゃない)

 

あれは――トリアングロ・デ・ムエルタの、正体は。

 

ルナをすり抜けるように、だれかがルナの後ろから来て、女王に手を差し伸べた。

(バラス)

メルーヴァ姫が会った「ラグ・ヴァーダの武神」ではなく、ルナが夢の中で見た、十四、五歳の「バラス」だった。

女王は、バラスの手を取り――ふたりはルナに向かって微笑んで、消えた。

廊下は、もとの廊下にもどっていた。

「たいへんだ」

ルナがつぶやいたと同時に、ピエロが起きて、ルナの姿が見えないので「ギャー!」と泣いた。

 



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