そこへ、申し合せたように、シャイン・システムのランプがついた。そばにいたセルゲイが、あわててロックを外すと、階下から誰かが駆けあがってくる足音が聞こえる。階段から顔を出したのは、息を切らせたカザマだった。彼女は、多少の厚さを持った書類を手にしている。
「遅くなりましたわ!」
「エーリヒ、届いたみたいだ」
カザマはクラウドに手渡し、彼女にしてはめずらしく、まくし立てた。
「あまりに届かないので、長老に催促してみたのです。そうしたら、どうも、翻訳に手間取っていたようで――」
「翻訳だって?」
「この神話はラグバダ語で書かれていて、しかも古語が多いのです」
「古語」
「ふつうにラグバダ語を読解できる方でも難解かもしれません。それで、わざわざカーダマーヴァ村で、共通語に直して、まとめてくれていたのですわ」
カザマは、ようやく息をついて嘆息した。
『それは、悪いことをしたな』
パソコンからエーリヒの声が聞こえたので、カザマはのぞき込んだ。
「あら、エーリヒさん」
『どうも、ミヒャエル嬢――急に様々なことをお願いして、お手数をおかけしました』
エーリヒは、今度こそバラを送るとカザマに誓った。
「いいえ。こちらこそたすかりましたわ、エーリヒさん」
『古語が多少多かろうが、クラウドなら読めるだろう――そのまま送れと、言い含めるべきだった』
「君は、どうやってこれを読んだんだい」
クラウドが尋ねると、
『カーダマーヴァ村で古語に詳しい者が、音読して聞かせてくれたのだ。もちろん、書物の持ち出しは禁じられているから、わたしは入り口で、彼の翻訳を聞いただけ』
「時間はかかったが――これで、俺だけじゃなく、皆が読める」
クラウドは、パラパラと流し読みしながら言った。
「カザマさん、カーダマーヴァ村の方々に、丁重な礼を」
「ええ。わたくし、残った仕事を片付けてまいりますわ。今夜から、こちらにご一緒させてもらいます」
そういって、カザマは去った。エーリヒも、「では、またのちほど」と言って、通信を切った。
とにかく、現時点で分かっていることを、方々に伝えるのが先だ。
驚異的な速読をほこるクラウドだけが、まず神話をななめ読みした。彼は、読むたびに冷静になっていくようだった。数分と立たずに読み終えた彼は、ペリドットにわたし、ふたたび通信をはじめた。ペリドットが神話を開くと、ピエトがのぞき込んだので、彼はピエトを膝に乗せた。
ルナはそれを見ながら、かじりかけの肉巻きおにぎりを、皿の上に置いた。
L22の軍事用宇宙船が、L43に向けて出航して、三十分も経っただろうか。L43でのミッションの最終打ち合わせに入っている、さわがしい船内で、アダムの携帯電話が鳴った。
「はい、もしもし」
アダムが取ると、『親父か? 俺だ』の声がした。
「アズラエル?」
隣に座って携帯ゲームに興じていたマックも、アダムの真向かいに座っていたピーターとオルドも、顔を上げた。
「なんだ、おめえ。どうしたんだ」
『トリアングロ・デ・ムエルタのくわしい情報がある。今から話すことをよく聞いてくれ』
「トリアングロ・デ・ムエルタのくわしい情報だと!?」
アダムの叫びに、ちかくにいたL43の研究チーム――チームと言っても、彼ひとりしかいなかった――が飛びついてきた。
「新しい情報が、なにか入ったのですか!?」
忙しく動いていた将校たちも、注目した。
「いったいどういうことです」
「あ、ああ、ちょ、ちょっと待ってくれ――」
「通信を、映像に切り替えろ! アダムさん、ちょっとすみません、」
通信兵が、アダムの携帯にコードを付け、相手先の状況がわかるように、映像通信に切り替えた。
すると、ずいぶん広い和室を背景に、アズラエルの顔が写された。そのアズラエルの携帯を、いっしょうけんめい取り上げようとしている、ルナの姿も。
「ルナ?」
ピーターは思わず、声を上げてしまった。
『電話貸して! かしてかしてかして!!』
『ちょっと黙れちびウサギ!!』
アズラエルがルナの顔を押しのけているが、ルナはすさまじい執念を持って、携帯に食らいつこうとしている。
「……」
L43に向かうため、緊張状態にあったL22の陸軍は、ちょびっとだけ、なごんだ。
「アズ、いいから、ルナちゃんに変わってやれ」
アダムの苦笑気味の言葉に、アズラエルはしかたなく明け渡した。
『アダムさん、こんにちは!!』
「おう、ルナちゃんこんにちは」
しかし、ルナの口から飛び出たのは、アダムの名ではなくピーターの名前だった。
『ピーターしゃん! ピーターしゃん聞こえてる?』
「ああ、聞こえてるよ、ルナ」
通信機器をつけたピーターが笑いながら返事をすると、すかさずルナから返事が返ってきた。
『黄金の天秤、ありがとう!!』
「どういたしまして」
『ピーターさんは、ラグバダ族首長のケヴィンさんに会ったら、“黄金の天秤は、地球の神に渡した”と言わなきゃなりません!』
「――え?」
唐突に始まったルナの説明に、ピーターは思わず間抜けな声を上げたし、オルドはあわてて、「録画しろ!」と叫んだ。
「ごめん、ルナ、もう一度――」
『ピーターしゃんは、ラグバダ首長のケビンさんに会ったら、“黄金の天秤は、地球の神に渡した”とゆうんです』
「“黄金の天秤は、地球の神に渡した”……だね?」
『うん! そうゆわなきゃ、バラスの洞窟にはだれも入れてもらえません』
L22の軍隊は、ざわついた。
ピーターは思わず顔を上げ、こちらの状況はルナたちに見えていないことをいいことに、困惑を丸出しにした顔で、アダムとオルドと、マックを見た。だが、だれもが似たような顔をしていた。
『ピーターしゃん、聞こえてる!?』
「あ、ああ――聞こえてるよ」
ピーターはあわてて返事をした。
『ルゥ! おまえが説明するとカオスになるから、貸せ!』
『じゃま!!』
『グウオ!!』
アズラエルの怒鳴り声がし、画面を見ると、携帯をとりあげられようとしたルナが、アズラエルに頭突きをかましていた。
「……」
ピーターは、やっとのことで言った。
「でも、こちらはL43にくわしい研究家も乗ってる。彼は、バラスの洞窟に入る権限を持ってるんだが――」
だが、ルナははっきり言った。
『もうだめです。トリアングロ・デ・ムエルタがはじまったから』
「なんだって……!?」
研究家と呼ばれていた、博士の顔色が、なくなった。
『今回のトリアングロ・デ・ムエルタは三日じゃ終わりません。くわしいことは、いまクラウドがカレンに報告してるから、そっちから連絡行くと思います。それで、いっぱいゆうことがあります。メモの用意はいい?』
「あ、ああ、こちらは大丈夫だ」
すでに会話は録音されているし、博士も、軍の書記も、目を血走らせて手帳とパソコンに、向かっていた。
『今回のトリアングロ・デ・ムエルタは、ライフ・ラインって呼ばれる、一時間の空白時間帯がありましゅ』
ルナは噛みつつ、いっしょうけんめいしゃべった。
「ラ、ライフ・ライン……!」
博士は、興奮のために青くなったり赤くなったりしながら、手帳に書き留めた。
『その時間帯しか、なかにははいれない。その一時間が、いつ来るか分からない。注意して見てないとだめです。一日に一回です』
そしてルナは、たどたどしい説明ながら、トリアングロ・デ・ムエルタは、生態系の逆転だということを話した。博士は、興奮のために、血圧が上がって倒れそうだった。彼は降圧剤をポケットから出して、ミネラルウォーターで飲み下した。
『そいで、ピーターしゃんとオユドさん、アダムさんとマックさんと――』
ルナの目が泳いだ。高血圧気味の博士は思わず、
「わたし、マデレードと言います! よろしく!! L43研究の権威です!!」
叫んだ。権威と言っても、L43の研究家は彼しかいないのだった。
『ママレードさんと、五人でゆかねばなりません。北海域近くの、ちいさなバラス洞穴。そこに、ケヴィンさんとカナコさんがふたりきりでいます』
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