二百十九話 ラグ・ヴァーダの神話 Ⅲ



 

はじめに記す。これは、定かならぬ話である。なぜなら、バラス族の生き残りはラグ・ヴァーダの武神の異名をとるバラスしかおらず、われもまた、かの武神から聞き及びたる話しか記すすべはない。われは病になって久しい。だが、バラスは病床のわれに、バラスの物語を記すよう命じた。かの武神に、だれがさからえようか。

われが記したバラスの伝説は、王宮の書庫に置かれるだろう。しかし、この私記は、われの死後、カーダマーヴァ村にうつすこととする。

われは病を押して、真実さだからぬ武神の伝記を書くだろう。勇猛にして偉大なる、武神の歴史を。虚を織り交ぜながら。

この手記には、武神から聞き及んだ話のみではなく、ヴァン・クスに滞在するケヴィンたちと死ぬそのときまで連絡を取り合った、クラウド博士から聞いた話も加える。

 

 われが生まれたのは、バラス民族がラグ・ヴァーダに移住し、「ラグ・ヴァーダ」を名乗りはじめたころあいであった。移住して五十年ほど経ったころだ。

 ラグ・ヴァーダのもとは、およそ、バラス族である。ラグ・ヴァーダの星に移住し、あらたなる人類の祖となったために、ラグ・ヴァーダを名乗ることになったのだ。われわれの故郷となる星は――文明が終わりを告げた場所は、ヴァン・クスという星である。

 

 神は、文明が爛熟し、腐敗したヴァン・クス惑星群を一度無に帰すと仰せられた。

 だが、まことのマーサ・ジャ・ハーナの神を知り、その御心に沿うものだけを生きながらえさせようと仰った。

 バラス族が、そうであった。

 神は、バラス族に銀の天秤と青銅の天秤を与えた。ふたつの天秤を持つ一族は、トリアングロ・デ・ムエルタから救われる。

 神は13日間のトリアングロ・デ・ムエルタを用意された。

大きなものが小さくなり、ちいさなものが大きくなる。草食が肉食を捕食し、大地をかけ、周遊していく。十日たてば、今度は草木たちが動物を捕食する。最後はもっともちいさな生命体が、すべてを無に帰す。

生態系の逆転である。トリアングロ・デ・ムエルタのもとでは、人間がこの世でもっとも弱い生物となる。

ヴァン・クス惑星群はほろびた。

神は、新天地を用意された。それがラグ・ヴァーダ星である。

バラス族の半分は、新天地へ向かった。けれども、故郷ヴァン・クスに残りたいと思うものがあった。新天地へ向かうものは、しかたがなく、青銅の天秤をヴァン・クスにのこして、銀の天秤だけを持って旅立った。

ヴァン・クスにのこったバラス族は、神の指示に逆らって残ったために、トリアングロ・デ・ムエルタによって滅びた。全滅したかに見えたが、のちに「ラグ・ヴァーダの武神」と呼ばれる男の子がひとり、生き残った。

彼は、まさしく神の申し子であり、トリアングロ・デ・ムエルタの頂点に立つ遺伝子を持っていた。

バラスは、トリアングロ・デ・ムエルタのただなかにいても、死なない。分解者たちが彼の身体をむしばむことはなく、動物たちが彼の身体を貪ることもなく、木々が彼を飲み込むことはなかった。

あたらしい生態系の、神であった。

 

生き残った男の子は、たったひとりであったがゆえに、名がなかった。そして、言葉も知らず、ただ生のままに生きていた。

男の子が生まれて、およそ十年を数えたころ、遠い星テッラから、客人がやってきた。

その星の住人は、ラグ・ヴァーダ惑星群より、ずっと進んだ文明を持った、ふるいふるい星の民だった。

彼らの族長は、ケヴィンとアルフレッドと名乗る双子の兄弟である。

彼らが、たったひとり残っていた人類の男の子に、名をつけた。青銅の天秤がある洞窟に、「バラス」と名が刻まれていたから、彼にバラスの名をつけた。彼らがバラスに文字を教え、言葉を教えた。

そしてバラスが、彼らに青銅の天秤のことを教え、バラスとともにあれば、月に一度おとずれるトリアングロ・デ・ムエルタから守られることを教えた。

 

テッラからきたケヴィンたちは文明人であり、新天地ラグ・ヴァーダにも、同郷の民がたどり着いたのを知っていた。情報交換は可能であった。ケヴィンたちは、ラグ・ヴァーダ星にたどり着いたクラウド博士によって、たくさんの情報を得た。

この星がラグ・ヴァーダ惑星群という名であること。人が居住できる星が、たくさんあること。ケヴィンたちがたどり着いた星はヴァン・クスという名であり、すでに文明が滅びたあとであること。

 

バラスとケヴィンたちは、親しくやっていた。だが、バラスはケヴィンたち探検隊を見て――仲間というものを見て――はじめて、孤独というものを知った。この世に、人間は自分だけだと思っていた彼は、ケヴィンたちによって、みずからと同じ部族が、ラグ・ヴァーダ星というところにいることを知った。

仲間のいるラグ・ヴァーダ星に行きたい。

バラスはそう願った。ケヴィンたちは、あわれなバラスのために、宇宙船を譲った。バラスは、ケヴィンたちの宇宙船をもらう代わりに、青銅の天秤をケヴィンたちに渡した。

バラスはその後、ラグ・ヴァーダ星へ向かい、悪名高い神となる。

 

さても、この世の不条理よ。

バラスは生のままの存在であった。

善意にも悪意にも触れたことがなかった。ただ、自然のままに、ヴァン・クスでたったひとり、いち生命体として生きてきたのである。動物や草や木、あるいは虫、分解者たるバクテリアと、おなじように。

彼はケヴィンたちの到来によって、はじめておなじ「ひと」に触れた。

バラスはケヴィンたちを敬っていた。――あの、暴虐無比なる男がだ!

あの武神がだれかを敬い、親しんでいたなど、到底われらは想像もできぬ。しかし、バラスは――あの、気に入らぬことがあったらすぐに、だれかれかまわず四肢を引き裂くような残虐な武神は、ケヴィンたちを語るときのみ、慈悲を持ったかのように、まるでわれらと変わらぬひとであるかのように、懐かしく、愛おしく語るのであった。

それを鑑みても、ケヴィンたちから受けたものは情愛であったろう。人間には親しみあい、慈しむ心があることを、ケヴィンたちはバラスに教えた。しかし、バラスがラグ・ヴァーダ星に来て、はじめて受けたものはなんだったのか、知る由もない。

すくなくとも、悪ではなかっただろう。彼は、歓迎されたはずだ。同郷の、たったひとりの生き残りとして。

かの武神を、傲慢と欲にまみれた恐ろしき神に育て上げたものはいったいなんだったのであろう。

 

ラグ・ヴァーダは新天地であり、ゆたかな星であった。

文明がバラスに美食を与えた。性の甘美さを教えた。権力というものを教えた。あらゆる欲望を知らせ、そそぎこんだ。

貪欲にそれらを飲み込もうとするバラスに、逆らえるものはいなくなった。

彼は、あのトリアングロ・デ・ムエルタの頂点にいた神なのである。

 

トリアングロ・デ・ムエルタは、文明に飲み込まれた人類を、無に帰すために神が与えたもうたものだった。

けれども、神は、文明を人類から取り上げることはなさらなかった。

しかし戒めは与えられたのだ。

バラスという存在を。

われらが昔日、文明によって神をわすれ、慈悲と慈愛をわすれ、秩序も平和も忘れたたましいに成り下がったことを忘れぬように。

 

われは思う。

バラスこそが、マーサ・ジャ・ハーナの神の使者であるのだ。

もしくは、神そのものか。

 

そのような神託があったわけではない。

だが、おそらくはラグ・ヴァーダの女王もご存じであった。かの武神を封ずるときも、ともにお鎮まりになられたのは、それゆえではないか。

武神が、マーサ・ジャ・ハーナの神であることを、知ったからではないか。

マーサ・ジャ・ハーナの神は進化と発展をよしとする。人類そのものが、神と愛と安寧を忘るることなく、文明のただなかにあることを。

文明のただなかにあって、腐敗せぬことを。

それを忘れぬように。

ラグ・ヴァーダ惑星群が、ヴァン・クス惑星群の二の舞とならぬように。

 

やがて、ラグ・ヴァーダにも、クラウド博士とは違い、「まがつ神」と呼ばれる遠き星テッラの使者がやってきた。

三つ星をつなぐ子、イシュメルを守る、ドーソンと名乗る男。

バラスはケヴィンに天秤を託し、ラグ・ヴァーダの女王も、ドーソンに銀の天秤を渡した。イシュメルと、われわれを滅ぼさないことと引き換えに。

そして、ラグ・ヴァーダ惑星群はテッラのものとなった。銀の天秤を持つドーソン一族が、ラグ・ヴァーダ、つまりL系惑星群を守る者となった。

 

テッラは幾度となく壊滅と発展を乗り越えた星。

クラウド博士の一行や、ケヴィンとアルフレッド兄弟も、おそらくはマーサ・ジャ・ハーナの神の使者であろう。彼らがもたらしたものは大きかった。

テッラからの使者によってさらなる文明をもたらし、バラスという災厄となりひとびとを見守る。

まさしく、マーサ・ジャ・ハーナの神であった。

ラグ・ヴァーダ惑星群は、いかような発展を遂げるであろうか。

われわれは、三千年後に、黄金の天秤を持つものが現れることを期待せねばならない。

そのとき、ラグ・ヴァーダを見守りつづけた銀と青銅の天秤は、役割を終えるからだ。

三千年の繁栄が終わるとき、もしもヴァン・クス惑星群の末路のようであれば、トリアングロ・デ・ムエルタは、ふたたび、L系惑星群全土にひろがる。

バラス族に、マーサ・ジャ・ハーナの神は、そう仰せられた。

 

 さて、ヴァン・クスにのこったケヴィンたちは、バラスの代わりにラグ・ヴァーダ族を名乗った。バラス族と名乗らなかったのは、滅びた一族の名だからである。そして、ヴァン・クスも「テッラ」という呼び名に改めた。彼らの故郷の名である。それは、ラグ・ヴァーダの女王も認めるところである。

 しかし、月日も過ぎゆくうちに、テッラはインフェルヌスと呼ばれるようになった。

 ひと月に一度とはいえ、あれはさながら地獄の様相である。だれが言いだしたかは知らない。われがあの星をテッラと認識していたのは、幼きころである。長じた今は、インフェルヌスという名のほうが、ひろく流布されている。

 もはやあの星をヴァン・クスと呼ぶものも、テッラと呼ぶものもおらず、バラス族の名も、消えかけている。

 ケヴィンたちは、青銅の天秤を守る一族となったが、天秤をあらゆる悪から守るために、出自は秘している。だれもが彼らを、バラス族の生き残りと思うだろう。しかし違う。彼らは、とおいとおい「テッラ」から来た文明の神なのだ。

 黄金の天秤が現れるまでは、青銅の天秤も銀の天秤も、守りつづけなければならない。彼らは尊い。

 この星々を、L系惑星群を、われらバラス族の代わりに守ってくれているのだ。

 

 世界が、ふたたびトリアングロ・デ・ムエルタに覆われぬために。

 



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