「真砂名の神様の化身で、トリアングロ・デ・ムエルタの頂点に立つ神か――どうりで、メチャクチャに強かったわけだ」
セルゲイが、あきれたように肩をすくめた。
「バラスのZOOカードは、ほろびる直前にあらわれた」
ペリドットも、腕を組んだ。
「“つよきを食らう恐竜”――恐竜なんてものが、遊園地にいるとは思わなかったがな」
ペリドットの精いっぱいの冗談かもしれなかった。ZOOカードの世界で恐竜など見たことがない。
「最近は、サファリパークで恐竜なんかも見られるしね」
クラウドも重苦しい空気を混ぜっ返すように言った。すくなくとも、億の金を出して恐竜を買うなんて経験は、この宇宙船に乗らねばできなかっただろう。
「俺たちは、恐竜と戦ってたってことか」
アズラエルも苦笑いした。ベッタラには負けるが、それなりに恐竜と勝負はできたということだ。
「ZOOカードは、真砂名の神直接の支配下にある。それでいて、我々の計画がバラスに筒抜けにならなかったということは、やはりあの遊園地そのものが、ノワに守られていたんだな」
ペリドットは、感慨深いともいえるためいきを吐いた。
「夜の神の支配下であるネズミのカードを持つアンジェリカと、月の女神の支配下にあるウサギのマリアンヌがつくったから、あの世界はほとんど夜だ。恐竜は、夜には動かん。すくなくとも、バラスの恐竜は――あそこは、夜の神の世界、そして見えない月、ノワが守る――真砂名の神の差配ということか」
ふたたび、座は沈黙に包まれた。
寿命塔にきざまれた、「13」という数字は、あきらかにカウントダウンだろう。
先ほどの手記にも、「神は13日間のトリアングロ・デ・ムエルタを用意された」とはっきり書かれていた。今日はじまったトリアングロ・デ・ムエルタは、13日後には全世界で起こり、かつてヴァン・クス惑星群がほろびたように、ラグ・ヴァーダ惑星群もほろびるのだ。
すべて「黄金の天秤」に頼るしかない現状は、変わっていない。
「うん――でも、13日後は、宇宙船が地球に着く日づけでもある」
クラウドの言葉に、みなが申し合せたようにはっとし、壁のカレンダーを見た。たしかにそうだった。13日後には、いよいよ地球に着くのだ。
「地球に着くのと同じ日付だってことは、なにか意味があるのかもしれない。ともかくも、黄金の天秤がこうして現れたということは、世界は救われる可能性はあるってことだよな――ルナちゃん」
クラウドがルナを振りかえると、ルナはまだ、肉巻きおにぎりをかじっていた。
「ルナちゃん?」
異変を感じたクラウドが、ルナの名を呼び――やっとルナは、「ぷ?」と返事をした。
「ルナ?」
「ルナさん?」
最初に気づいたのは、アズラエルとカザマだ。ルナは、真面目な顔で、口いっぱいにおにぎりをつめこんでいる。
「おい、ルゥ」
さっきから、どうも様子がおかしいと思っていたのだ。アズラエルは、こんな様子のルナを見たことがあった。
「おまえ、また熱でもあげてンじゃねえのか」
今では懐かしい――ニックと知り合い、はじめて彼の経営するコンビニでちいさなパーティーを催したときだ。
ルナはどうにも落ち着かなげにソワソワし、からあげを一気に口に押し込んだり、サンドイッチを分解したりとふだんの倍は奇怪な行動が目立ったわけなのだが――それは、ようするに、熱を出していたわけで。
「熱なんか、ありません」
ルナはリスみたいにほっぺたを膨らませて、真っ赤な顔をして叫んだ。
「熱なんかないんだ!!」
セルゲイはすばやかった。ルナの顔まで覆ってしまいそうな大きな手のひらをルナの額に当て、体温計を、ルナの襟元から突っ込んだ。最近、すっかりアンや屋敷の主治医にされてしまったセルゲイは、体温計やら常備薬やらを、つねに持ち歩いている。
体温計はすぐに電子音を鳴らした。セルゲイは渋い顔で読み上げた。
「38.6度」
「あら、そんな高熱を……!」
カザマがあわててルナの顔を、つめたい手でつつむ。ルナはにへら、と笑った。
「ひんやりして気持ちよいのです!」
「だいじょうぶかよ、ルナ!」
ピエトが立ち上がりかけたが、ピエロを膝に乗せられたので、立てなかった。
「ルナちゃんはね」
セルゲイの苦々しい言葉にあわせて、アズラエルが立った。
「37度台はだるいって言って寝るんだが、38度を超すと、急にハイテンションになって奇妙な行動が目立つようになる。39度を超すと、ガタガタ震えだして、毛布にくるまるんだ」
「よく見ておいでですわね、セルゲイさん」
カザマが感心したようにうなずいた。セルゲイは、ルナの手を引いた。
「屋敷の主治医としてはね。さ、ルナちゃん、寝室行きだよ」
「いやです」
ルナは座った目で言った。
「いやです。ここにいるのです。ZOOカードから目を離さないのです」
だが無駄だった。アズラエルに抱え上げられたルナは、必死でペリドットの衣装の端っこをつかんで抵抗した。いい迷惑である。
「おまえがぶっ倒れたら、いざというとき、だれが黄金の天秤をつかうんだ」
ペリドットが、やんわりたしなめると、ルナの座った目は、みるみるへの字眉の下で潤んだ。ルナの手が、布切れから離れて、ひそかに首を絞められていたペリドットはなんとか息をついた。
「このあたりで、じゅうぶんな休息をとりなさいって、夜の神様も言ってるよ」
セルゲイが、ルナの頭をポンポンと撫でると、うさぎは急におとなしくなって、目を閉じた。
「うおっ!?」
急に重くなって、アズラエルはルナを落としかけた。いきなりオチたのだ。
「ルナちゃんにしちゃ、持つなァと思っていたんだ」
そろそろ倒れどきだったな、とクラウドも苦笑した。
「俺、ピエロといっしょに、ルナの看病をする!」
ピエトもそう言って、ピエロを抱いたまま、ルナのあとを追った。ルナのそばにいないと、ピエロは泣くのだから仕方がない。
「食器はあとで片付けに来るよ」
セルゲイもそう言って、階段を降りて行った。
座敷からは一気に人が減り、ペリドットとクラウド、カザマとサルビアの四人になってしまった。
サルビアは壁掛け時計を見て、
「わたくしも、そろそろ、アンジェの様子を見てきますわ」
「ああ――ついでにサルビアさんも休んできなよ」
サルビアも、ほとんど休憩なしでここに詰めている。ルナよりはこういった環境に慣れっこだが、疲労の色が濃いことは、見て取れた。
クラウドはムンドをちらりと確認してから、
「アンジェも入院中だし、となるとサルビアさんも席を外しがちになるし、アントニオもこっちと屋敷の往復で。アズはともかく、ルナちゃんも脱落、ピエトもルナちゃんのそばにいるとなると――もうひとりくらい、人員が欲しいな」
「そういうと思って」
ペリドットが、窓から黄金の天秤を見つめながら、言った。
「そろそろ、もうひとり加わるころだ」
「え?」
ペリドットの言葉とともに、階段下のシャイン・システムのランプがついた。カザマがロックを解除すると、だれかが階段を上がってくる。のんびりした足音だ。軽やかそうに見えて、のっしのっしと、巨大な生き物が進むような、奇妙な足音――やがて、真っ赤な髪がひょこりと現れた。
「よう」
クラウドは、びっくりして、名を呼んだ。
「君――クシラか?」
「おう」
コーヒーショップ兼ゲイバーの店長、クシラは、ピアスだらけの顔を、にこっと人なつこい笑みに変えた。
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