「アンジェ……! あなたはまた……!」

 「げっ! 姉さん……」

 着替えをもって病室に現れた姉を見て、アンジェリカはあわててZOOカードを閉じようとしたが、おそかった。

 「いい加減にしないと取り上げますよ!」

 さすがにサルビアは、声を荒げて怒った。このままでは、子どもも母体も危ないと、医者から宣告を受けたのである。多少のことではへこたれないアンジェリカの図太さが、こういうときは困りものだった。

 アンジェリカは、シーツの上に広げたZOOカードを両手で隠すようにしながらも、しぶとく言った。

 「でも、その、見てよこれ、姉さん――ルナがこれから担当する船客は、K19区の子どもだけじゃないよ」

 姉の叱責がこたえていないわけではない。アンジェリカは、「これだけ、これだけ見たら寝るから!」と信用ならないセリフを吐いて、ZOOカードを検索した。

 「ルナがK19区の役員になることで、実質的に役員の数も増えるんだ。だから、ルナは子どもだけじゃなくて、おとなの担当もするし、」

 アンジェリカは興奮気味に、つぎつぎ現れるカードを観察する。

 「来年は、赤ちゃんふたりに、バクスターさんにローゼスさんっていったっけ、あとエセルさん、まだいる……ああ、そっか、セシルさんは――そうか、こういうことなんだ」

 「……」

 サルビアは、着替えをそなえつけの棚に入れて、いつも丁寧な彼女にしては、剣呑な所作で扉をしめた。けれども、ZOOカードに夢中なアンジェリカは気づかない。

 

「うわ、この年は、これ不死鳥!? ――なんだこれ? 人間じゃないものまで――ちょ、なんかすごいこれ、見て、このカード、これって――あっ!!」

 サルビアは、容赦なく「フィン!」と唱えた。みるみる、ZOOカードボックスは閉じていく。

 「ね、姉さん、待って!」

 そして、妹の膝から、紫色の化粧箱を取り上げた。

 「ルナが担当する船客と、黄金の天秤のことと、いったい何のかかわりがあるのです! 今見なくてはならないことではないでしょう!?」

 サルビアの叱責に、アンジェリカは首をすくめ、それでもあきらめきれずに言いつのった。

 「もう開けないから、返して。これからなにが起こるか分からないのに――!」

 「なにが起こるか分からないことよりも、あなたと子の命のほうが大切です!!」

 サルビアはきっぱりと言った。

 「ペリドットもZOOカードはつかえます! あなたはゆっくりお休みなさい。まずは、体力をもどすほうが先決です」

 姉は、ZOOカードを返してくれる気はないようだ。アンジェリカはあきらめ、しかたなく横になった。やっとおとなしくなった妹に毛布を掛けてやりながら、サルビアは嘆息した。

 

 「ルナも、無理がたたって、倒れたのですよ」

 「ルナが?」

 アンジェリカは目を丸くしたが、すぐに目を細めた。

 「だいたい、倒れるころだと思っていたんだ――緊張状態が、けっこう続いたからね」

 アンのコンサートに関わっているみんなは大丈夫そうだけど、とアンジェリカは片手でZOOカードを動かそうとし、サルビアがにらんでいるので、あわてて手を毛布の中に隠した。

 「謎の手記にも、トリアングロ・デ・ムエルタのことは書かれていたけど、対策なんてものはなかったしね」

 アンジェリカは話を変えて、ごまかした。サルビアは、怖い顔のままだったが、

 「ルナやあなたの代わりに、クシラさんが入りました。あなたに内緒にする気は、だれもありませんよ。なにかあったら、すぐに知らせますから」

 「クシラ?」

 「ええ。アルのパートナーですわ」

 「……」

 アンジェリカは、容姿を思い出そうとして、ものすごいしかめっ面になったが、すぐに思い出した。

 「あ、真っ赤な髪の! アントニオやペリドット様とも知り合いだった――」

 「ええ」

 「原住民の混血だってことは聞いているけど、彼は何者なの?」

 クシラのZOOカードは、アンジェリカが捜しても、呼び出しても、出てこなかった。ルナから、おそらく「海のご意見番」という名のクジラであろうことは聞いているが。

 「さあ――あらためて、お尋ねしたことはありませんでしたわ」

 サルビアも、首を傾げた。クシラが屋敷に来たのは、数えるほどしかない。アニタとニックの結婚式を企画したあたりはしばらく屋敷にいたが、それ以降は顔を出していない。

 「けれども、地球行き宇宙船の要職であることは間違いないですわね」

 「要職……」

 

 アニタが無料パンフレットのタイトルを「宇宙(ソラ)」にしたとき、クシラの経営するコーヒースタンドと名が被ってしまったために、詫びに行ったことがきっかけで、ふたりは親しくなった。

 メルヴァの攻撃があったときも、アニタはクシラの店にいたために、彼が避難誘導をすることになったが、クシラ自身は、アニタとともにアストロスに降りなかった。クシラは避難出口の列にアニタをならばせ、アストロスのステーションについてからは別の役員に連絡を取り、アニタの宿泊先を手配した。船内にアニタがもどるまで、ずっとその役員にあずけたきりで、クシラ自身は、おそらく一度も宇宙船から出ていない。

 クシラは、宇宙船から出てはいけないのだと、別れ際、アニタに告げた。

 あのとき、宇宙船に残っていたのは、真砂名神社界隈の面々と、シェルターに避難したララたち、あとは艦長と副艦長二名、そして、地球行き宇宙船を動かす最低ラインの操縦者たちだ。

 

 「宇宙船から出ちゃダメだって?」

 「ええ。アニタさんは、そうお聞きになったそうです」

 宇宙船に乗ってまもなくからの付き合いで、ほぼ三年になるが、いまだに謎の多い人物だと、アニタは言っていた。

 「……まあ、そうかもしれないね」

 ルナも自分も、呼び出してもなかなか応答しない、古老のクジラ――そんなZOOカードを持つのは、ふつうの人間ではないだろう。

 「でも、船内に残っていたって――どこにいたんだろうね」

 太陽の神の力のおかげで、船内はほぼ焼けてしまった。K07区の建物は、位置的にイシュマールたちが守る範囲内だったが、クシラの店は、端にあったので、全焼だったはずだ。

 「おそらく、真砂名神社にいたのではないでしょうか」

 真砂名神社界隈にいて、寿命塔に寿命をわける人数の中にいたのではないか、とサルビアは言った。なにせ、彼もずいぶんな長寿らしいことはたしかだ。

 

 



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