そのころ、ルナは自室に寝かされ、ピエロもベッドわきに置かれたベビーベッドで、すやすや眠っていた。

 ルナは身動きもせず寝息を立てている。

 窓の外はすでに真っ暗で、そろそろ、おとなたちが食事の支度を始めているころだった。ルナがつくったイシュメル・マジック入りのスープやおにぎりはまだまだあったが、さっきキッチンをのぞいたきりではずいぶんな人数がいて、あれでは足りないだろう。アニタたち、ホテルに待機している連中にも運んだのだろうし。アルベリッヒやグレンがなにか作り足すはずだ。

 アズラエルは、そう検討をつけて、ベッドわきの棚にミネラルウォーターの瓶とコップを置いてやり、ルナの額に、そっと冷えピタを置いた。

 ピエトは机に備え付けの椅子を引っ張ってきて、ルナのそばに座り、心配そうに寝顔を見つめている。

 「ピエト、おまえ、あした学校は行かねえのか」

 「えっ……、あ、うん……」

 いきなりアズラエルに問われて、ピエトは挙動不審になった。それを見てアズラエルは、ためいきをついた。

 「べつに、怒りはしねえよ。ルナはいいって言ったのか。それで、地球に着くまで、学校は休みか?」

 「うん……」

 ピエトは首をすくめて小さくうなずいたが、パパは言葉どおり怒らなかった。

 「分かった。じゃあ、ルナとピエロのこと、任せていいか」

 スイッチでも入ったように、ピエトの顔が輝いたので、アズラエルは苦笑した。

 「うん!!」

 ピエトは満面の笑みで返事をした。

 「じゃあ、学校には自分で連絡しろよ」

 「校長先生がダメだっていったら、どうしよう?」

 「俺じゃなくて、セルゲイかクラウドに代われ。アイツらのほうが理屈で言いくるめられる」

 アズラエルやルナが相手だと、校長はけっこう食い下がるが、クラウドかセルゲイの言葉には、あっけなく引き下がるのだ。

 アズラエルも、ピエトは勉強しすぎだと思っていた。本人が好きでやっているならべつだが、あの教育熱心すぎる校長は、ピエトを拘束しすぎだ。もともとピエトは、L85で野生児同然に生活してきたということを忘れているのではないだろうか。

 ピエトも勉強は嫌いではないが、これではうんざりしてしまうだろう。

 案の定、ピエトの顔はますます輝いた。

 「う、うん! そうする!」

「先に風呂入ってきな。みんなメシ食ってるから、だれも入ってねえだろ」

 「うん! アズラエル、ありがとう!!」

 先ほどまで、ルナを心配そうに見つめていたピエトは、足音も軽く、部屋を駆け出して行った。

 「やれやれ……」

 

 アズラエルはキッチンに顔を出し、リンファンとツキヨがいるのをたしかめて、ルナが熱を出したことを告げた。

「あら、ルナが!」と叫んだ二人はすぐさまルナのベッドまで押しかけたし、サルーンまで一緒に飛んで行った。アズラエルはエマルとカルパナがここにいないことを感謝した。エマルはネイシャとの演習後、アンのボディガードとしてホテルのほうにいたし、カルパナはあれで三人の子持ちなのである。彼女にも家庭はある。今日は来ていなかった。それでいい。

まったく、母親の人口過密状態だ。

「アンジェ姉ちゃんが倒れて、今度はルナ姉ちゃんも?」

ネイシャが心配そうに眉をひそめ、

「ルナ姉ちゃんも倒れたし、ピエトも学校やすむし、あたしも休もうかな?」

「ダメだ。おまえは学校だ。セシルに言いつけるぞ」

アズラエルが言い含めたが、ネイシャは口をとがらせた。

「グレンさんとクラウドさんが、アズラエルさんもほとんど学校行ってないって言ってたよ!」

「あいつら……」

アズラエルがこめかみを震わせているあいだに、シシーまで、「ルナちゃんが! 大変!」と駆けつけようとしたので、あわてて止めようとしたが、テオが先に止めてくれた。

「とりあえず、静かに寝かせてあげなよ」と。

 

「おかゆでもつくろうか。ルナちゃんは卵を溶いたそうめんのほうがいいかな」

アルベリッヒがお玉を手にしてウロウロした。

「いいから。メシはひと一倍食ったあとだ。おまえはみんなのメシをつくれよ」

世話好きばかりが集合すると、こうなるから困る。アズラエルの顔がめんどうくさいといわんばかりの表情にシフトしていく。

「ルナちゃんに薬を飲ませてから寝かせるべきだった」

セルゲイが熱さましを持って部屋に向かおうとするのを、アズラエルはようやく止めた。

 「ルナちゃん、大丈夫かなあ~」

 落ち着かなげに、三階を気にするのはコウタだったが、ベクヨンに、ラウにチボクと、四人そろってルナの部屋に向かおうとするのを、ヤンがみずからのでかい体でドアをふさいで止めた。

 「あとで俺が代表して、行ってくる」

 「なんでおまえだけなんだよ! ずりい!!」

 「俺たち五人で行ったら、見舞いじゃなくて威圧しに行くようなもんだろ!」

 ルナが目をあけたら、真っ黒な冷蔵庫が部屋を埋め尽くしていて、「ムギャー!!」と悲鳴をあげる姿を、だれもが想像できた。

 「おまえらは、まず自分の彼女をつくれ。俺の恋人の心配はいい!」

 アズラエルの眉間のシワがさらに増えた。ラウが宣言した。

 「わかった。明日はアンジェちゃんの見舞いだ。そっちは五人そろって行くぞ」

 「――アンジェちゃんは、アントニオの彼女だけど、おまえ分かってるよな?」

 ヤンの忠告。

 「アントニオゥ!?」

 チボクとラウのさりげない失恋を経て、内乱は終息した。

 アンジェリカが小柄なこともあって、彼女が妊娠していることはじつに分かりにくかった。

 文句がありそうなやつを片っ端から片付けていったアズラエルだったが、やがて、真っ先にルナの部屋に向かおうとする男が一人足りないのに気付いた。

 

 「おい、グレンは」

 アズラエルの声は、いささか切羽詰まっているように聞こえた。アンジェリカとルナの心配ばかりしていた皆を、いきなり真顔にもどすほど。

 あまりに緊迫感を伴っていたので、アルベリッヒはびっくりして尋ねかえした。

「ちょっと足りない食材があったから、買い物に行ってもらったんだけど――どうかした?」

 「あ、いや――」

 「ただいま」

 キッチンから、買い物バッグを三つもぶら下げたグレンとアントニオが、入ってきた。シャイン・システムのランプはつかなかったから、グレンがカギを開けて、大広間の先の玄関扉から入ってきたのだ。

 ふたりがキッチンに入ってくるまで、アズラエルですら気づかなかった。

 「鶏肉が安かったから、大量買いしてきたけど、あしたはから揚げもいいんじゃない? ルナちゃんがよくつくるタンドリーチキン」

 「なあアル。大袋のクレイジーソルトなんて、なかったぞ」

 みんなが、自分の顔を見ているので、グレンはさすがに「どうした?」と聞いた。

 

 「アズラエルさんが、愛しのグレンさんの姿が見えないんで、さみしがっていたんです」

 ヤンが報復したので、アズラエルがにらんだ。

 「薄気味わるいこと言うんじゃねえ」

「そりゃ悪かったな、ダーリン」

 グレンが肩をすくめたところで、リンファンとツキヨが、サルーンを伴ってもどってきた。

 「スヤスヤ寝てるよ! ルナもピエロもさ。さっさとお夕飯の支度しちゃおうか!」

 ツキヨの元気な声に、かなり微妙な空気になっていたキッチンの空気はもどった。

 「どうしたんだいみんな? 固まっちまって」

 



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