忌々しい顔をかくしもせず、自室にもどったアズラエルは、ベッドわきに大男が座っているのを見て思わず「うお!?」と絶叫しかけた。こっちは冷蔵庫よりでかい神様だ。

 「イシュメル!!」

 『おや、ピエトはどうした』

 「……二度目の夕食を食ってるよ、みんなと」

 思春期の食欲を甘く見てはならない。

 まったく、ルナも言っていたが、最近は屋敷の住人が知らないところで増えている。アズラエルは目を座らせたまま部屋に入って、Tシャツを着替えようとした。着替えたことすらだれにも気づいてもらえないような、黒から黒への変更である。

 

 『今だけだ、そう困り顔をするな』

 アズラエルに背を向け、ルナを見つめたままのイシュメルは、柔らかな声でそう言った。

 「今だけ?」

 『そうだ。黄金の天秤の儀式が終われば、わたしたちは姿を消す』

 「いなくなるってことか?」

 Tシャツを着替えたアズラエルは、腕を組んでイシュメルの隣に立った。

 『そうではない。姿は消すが、いつでもおまえたちを見守っている』

 イシュメルがアズラエルのほうに顔を向け、ニコリと笑んだ。その笑顔は、思わずアズラエルもたじろぐほど、懐かしく、優しい笑みだった。

 「いつも、すまない」

 アズラエルは組んだ腕を解き、反射的に、そう言っていた。ベッドに眠るルナを包み込むのは、アズラエルも一度見たことがある、キラキラと輝く結晶――イシュメルのよみがえりの魔法。

 直接、ルナの疲労を癒しているのか。

 さきほどまで息苦しそうにしていたルナの呼吸が、すこし落ち着いてきた気がした。

 『かまわない。神とはそういうものだ。姿は見えないが、いつもおまえを守っている』

 イシュメルは立った。

『おまえに会えて、よかったよ、アミ』

 そういって、イシュメルは姿を消した。アズラエルの鼻がツンとした。イシュメルの姿を見たときから、いつもそうだ。どうもせつないような――しかし、悲しいのではない。

 胸のすきまが、埋められていくような、欠けた部分が、構築されていく涙だ。

 

 「あじゅ」

 声がしたので、アズラエルはあわてて意識をひきもどした。

 ルナが目を開けている。

 「あじゅ」

 顔はまだ真っ赤で、息もあらいが、ルナは小さな声でアズラエルに訴えていた。

 「あじゅ」

 「どうした。きついか? 水か、薬飲むか」

 「ううん」

 ルナは首を振り、びっくりするほど熱い手で、アズラエルの手をにぎった。

 「グレンから、目を離さないで」

 アズラエルは驚いたが、動揺を口に出しはしなかった。ルナは、アズラエルの「任務」をしらないはずだ。だが、ZOOカードでなにか、グレンに悪い兆候でも出たのか。それとも、はっきりとではなくても、アズラエルに与えられた任務のことを、ペリドットあたりから聞いたのか。

 「……」

 おそらくは、前者のほうだろう。

 「分かってる」

 アズラエルははっきりと告げた。

 「グレンのことは、俺が“ケリをつける”――だから、安心しろ」

 それを聞いたルナは、安心したように微笑んで、目を閉じた。

 

 

 

 真砂名神社の階段下では、星空の世界――黄金の天秤がまるで月明かりのようにほのかな光を宿して、かがやいていた。夜になるとともる階段の灯篭とも相まって、その姿は、ずっと見ていても飽きないほど、幻想的だ。

 アントニオとペリドット、クラウド、カザマとクシラが、階段下でその光景を眺めていた。

 「見ろ。皆がはめた星守りが、すべて透明になっている」

 「ほんとうだ」

 それを見つけたのは、ペリドットだった。アントニオもしゃがみこんで、それを確認した。

黄金の天秤にはめ込まれた11個の星守り。ひとつ足りない状態だ。11個の星守りは、それぞれ本来の色を失っていた。もともと、真砂名の神の星守り以外は、青や緑など、さまざまな色を宿していたが、いまは星守りすべてが、透明の石に変わっていた。

 いいおとなが五人、顔を突き合わせるようにして、天秤をのぞき込んでいる――シュールな光景だ。

 「――あっ」

 ひとつの星守りが、うっすらと色を宿している。注意して見ないとわからないほどに薄い色あいだ。

 それは、ラグ・ヴァーダ星のように、エメラルドのマーブル模様を宿している気がした。

 

 「これは」

 カザマが立ち上がり、奥殿のほうを見上げた。

 「ラグ・ヴァーダの女王である、ミシェルさんの祈りに呼応しているのでしょうか」

 「きっと、そうだろうな」

 クラウドは、星守りから目を離さずに同意した。

 ミシェルは、イシュマールとともに、ずっと真砂名神社にこもりきりだ。なにをしているのか、クラウドも聞かされていない。一度も、神社から出てこない。クラウドはそろそろミシェル不足だったが、邪魔をするなと厳格に言われているので、顔を見に行くこともできなかった。

 

 「待てよ――そうか」

 ペリドットが唸った。

 「のこり11個の星守りのうち、ひとつはアストロス。あとは――」

 「これから地球へ向かう経路でとおる、10個の惑星の力を、すべてこの天秤は吸い込むということか」

 クシラが、にやりと笑った。

 「きっと、当たりだ」

 そして、アントニオと、拳を突き合わせた。

 

 もうすぐ日づけが変わり、5月19日になる。

5月21日から、ついに地球の太陽系、シュステーマ・ソーラーレに突入する。

まっすぐ直線コースで地球に向かうのではなく、軌道を異にする惑星のそばをひとつひとつめぐりながら、向かうのだ。

 冥王星、海王星、天王星、土星、木星、火星、金星、水星――惑星のそば近くを通って、地球に到達する。地球行き宇宙船は、まるで太陽系惑星のひとつとなったかのように、太陽系内を周遊し、10大惑星の衛星となって行き来し、最後に、地球の第二の衛星となる。

 太陽は近づくことができないので、太陽付近はとおらないが、シュステーマ・ソーラーレに入った時点で、昼の太陽の輝きは、本物となる。地球の太陽系の太陽が、頭上を照らすことになる。

 21日から、地球行き宇宙船は、地球の太陽系の影響を受けることになる。その航路で、黄金の天秤は、10個の惑星の力を吸収するのだろう。

 アストロスとラグ・ヴァーダをくわえて、12個の星守りは、すべてが惑星の力を宿す。

 

 「ラグ・ヴァーダの女王であるミシェルの祈りが、星に力を宿しているなら、アストロスのほうは、イシュマールってことになるのか」

 二つの星は、この位置からはだいぶ遠い。真砂名神社の大宮司であり、アストロス出身のイシュマールが、かの星の力を、祈祷によって星守りに込めているのかもしれない。

 「でも、アストロスの星守りは、色を宿してないぞ」

 クラウドは言った。たしかに、色をやどしているのはラグ・ヴァーダの星守りだけだ。

 

 「わしでは、無理みたいじゃ」

 嘆息気味の声が聞こえたと思ったら、イシュマール本人が、階段から降りてきていた。

 「イシュマール」

 「ぜんぜん灯らんじゃろ」

 だいぶ疲労気味の大宮司は、天秤をのぞき込んで嘆息した。

 「わしをふくめて、真砂名神社の神官勢ぞろいで祈祷を行っておるが、まったくダメじゃ。うんともすんともいわん」

 「では……」

 カザマには、なにも言わずとも分かったようだった。

 「サルビアか、アンジェはおらんか」

 イシュマールの苦笑があった。

 「わしらは“身代わり”じゃからの。やはり、正統なイシュメルの血族でなければ、ならんらしい」

 「……なるほど」

 アントニオとペリドットは、顔を見合わせた。

 アストロスの星守りは、真実の、血脈を欲している。

 地球とラグ・ヴァーダ、そしてアストロスの三つ星をつなぐイシュメルの血族。正統なるイシュメルの子孫であるふたりの姉妹なら。

 「アンジェは無理ですが――サルビア様なら」

 カザマは、微笑んだ。

 



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