『ピーター様は、40歳で死ぬ。いいえ――40歳になるまえに――それは、もしかしたらということもある。わたしたちは、想定に入れている。あのひとは、いつ動けなくなってもおかしくない身体なのよ。だからわたしたちは、ただ、彼の思うとおりにさせてあげたいだけ』

 ヨンセンは、涙をぬぐうこともなく告げた。

 『だからといって、なんでも好き勝手にさせているわけではないわ。わたしたちもピーター様も、危険はご承知よ。行かせたくなんてない。みんなそうよ。でも、あの方が、あそこまで望むのには、きっとわたしたちの知らない理由がある。それはたしか』

 『……』

 ヨンセンは、皮肉に笑った。涙まみれの顔をかくそうともせず。

 『あなたは知らない。アーズガルドに生まれながら、あなたは一番、アーズガルドから遠い。ピーター様のことを、なにも知らないのね』

 オルドは激高を、ようやくこらえた。煽るのはこちらだ。煽られるほうではない。だが、怒りは消しきれなかった。吐き捨てるような口調になったのは、しかたがなかった。

 『ああ、知らねえさ』

 『ピーター様は、べつにアーズガルドのことなんか、どうでもいいのよ』

 『――なんだと?』

 『エルピスさまやエポスさまのご意志も、傭兵と軍部の行く末も、あのかたには関係ないのよ。彼がどんな望みを持ったところで、それがどれだけ叶えられるというの? 彼は十代のころから、寿命を告げられているのよ? 長くは生きられない。地獄の審判を、あんな幼いころに乗り越えたというのに! あんなに幼くして、地獄を見たのに!』

 オルドは、息をのんだ。

 『あのひとを動かしているのは、ただ、あなたへの愛なのよ!!』

 絶望的な顔で絶叫するヨンセンの言葉を、さえぎることもできずにオルドは立ち尽くした。

 『何度言わせるのよ』

 憎しみを込めて、ヨンセンは吐き捨てた。

 『あなたが――傭兵として生きることを望んだあなたが、つらい未来を歩まないように。あなたが生きやすい未来になるように。ピーター様が動いているのはそれだけよ。“オルド・K・フェリクス”の未来のためだけに、あのひとは動いているの』

 オルドははじめて、聞きたくないと思った。だが、この場を逃げ出すわけにはいかなかった。それが、ヨンセンに対するせめてもの詫びだった。

 ――彼女から、こんな言葉を引き出してしまったこともふくめて。

 「すまない」と謝ったところで、彼女をさらに絶望させるか、苛立たせるだけなのはわかっていた。

 

 『あの、軟弱なマザコン男が、眠れない苦しみと戦いながら、それでも生きていられるのは、あなたがいるから』

 

 アーズガルドの当主は、愛に生きて、愛に死ぬ。

 前当主サイラスも、エポスとエルピスへの愛に生きた。

 軍事惑星の現実から逃げ続けたユキトも、ツキヨへの愛を勇気に、革命を起こした。

 アーズガルド中興の祖といわれるアレクセイも、最期につぶやいたのは、家系図から消した、いちばん可愛い弟の名だった。

 まるで掻き抱くように連呼する弟の名。遺族はいたみ、戦慄した。

 アレクセイがひとの感情を持っているとは、だれも思えなかったからだ。

 ドーソンの影に隠れ、だれよりも狡猾に、笑みの裏で屈辱をなめつくし、忍従に耐えながら、身内にもこころを許さず生き延びてきたアーズガルド当主は、かならず、恋というにはあまりにも重すぎる愛情を持った。

 ピーターも、例に漏れず、代々の当主と同じ道を歩もうとしている。

 

 『命令よ、オルド・K・フェリクス』

 ヨンセンは、化粧が溶けくずれるのも放ったままで、オルドに告げた。

 『あなたは、ピーター様に随行なさい。彼に命の危機があったら、なにがあっても救い出しなさい。それができないなら、ふたりで死んで』

 『――了解』

 オルドは、うなずいた。うなずく以外に、なにができただろう。

ヨンセンの顔に、やっと笑みが、広がった。

 

 (随行したかったのは、おまえだったんだろ、ヨンセン)

 だが、ヨンセンがたとえ随行したとしても――おまえは来るなといわれても、オルドはこの宇宙船に忍び込んだだろう。ヨンセンの張り手を百発も食らおうが、ピーターを危険な場所に行かせることはできない。

 ピーターの盾となるのは、この俺だ。

 (おまえがいう恋や愛とはちがうかもしれねえが、俺だって、ピーターを……)

 愛してる、といいかけて、別の意味に取られそうだったので、オルドは嘆息で消した。

 ピーターが大切でなかったら、ライアンやメリーを捨てて、もどってなど来なかった。

 助けられなかったらふたりで死ねと言われたが、オルドは心中など好きではない。ついでに、最初から悲観的な話もだ。ピーターに、一緒に死んでくれなどと言われたら、殴り倒して気絶させ、ともに生還する気概くらいはある。とりあえず、つかえる手はつかえるだけつかって、生き延びるのが優先だ。

 (そういうところは、俺もアーズガルドなんだがな)

 

 そう思いながらピーターの寝室に向かったオルドだったが、すぐに気持ちを入れ替えた。これから死地に入るのだ。なまぬるい感情は、いらない。

 「ピーター、入るぞ」

オルドだけに許された指紋認証をつかって部屋に入ると、明かりはついていなかった。

暗い。

 ピーターはまだ、寝台に横たわって、寝ていた。

 オルドは、異変に気付いた。しかしそれは、不安からくるものではない。

 「ピーター」

 オルドはあわててピーターに触れた。あたたかい。生きている。心臓に耳を寄せる。鼓動は正常だ。汗をかいてもいない。

 「……!?」

 オルドはやっと、異変の正体に気づいた。腕時計を確認して、絶句する。

 ――四時間、経っていた。

 「どういうことだ……」

 オルドはうめいた。喜びなのか、困惑なのか、ただ、驚いているだけのような気もする。

 

 ピーターが、眠っている。

 うなされもせず、寝ている。

 一時間を過ぎても――。

 

 「ピ、ピーター」

 オルドは、控えめにピーターを揺すった。せっかく気分良く寝ているのに、起こすのも気の毒だという思いがあった。ピーターにとって、眠りは特別なものなのだ。だが、任務は任務だ。起こさねば――。

何度か根気強く揺さぶっていると、いきなりピーターは、ものすごい勢いで半身を起こした。

 「うわ! 寝すぎた!?」

 ピーターはオルドの顔を見、「もしかして、着いた!?」とあわてて聞いた。

 「まだだ。まだ、三十分ある」

 「急がなきゃ!」

 ライフ・ラインがはじまっていたなら、急いで降りなくてはならない。

 「ピーター!!」

 オルドから、ずいぶんな大声が出たので、ピーターはびっくりして、立ち上がるのを止めた。

 「な、なに?」

 「おまえ、寝てたんだぞ」

 オルドのほうが、ぼうぜんとしていた。

 「え?」

 「だから、寝てたんだ――ずっと」

 ピーター自身も、気づいていなかった。それが、どれだけの驚きをともなう事態だったのか――。

 「四時間も! 一度も起きずに、うなされもせずに」

 「え?」

 ピーターはやっと、オルドの言っている意味を解した。

 

 



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