――終わった。

 

 アンには、会場の鳴りやまない拍手が、耳の奥から聞こえている気がしていた。

 やまない拍手。視界を埋め尽くすスタンディングオベーション。アンの名を呼ぶ声。

 アンは、二度目のアンコールに応えた。一度目のアンコールで、カナリアとアイアン・ハートを歌った。そして、二度目は、虹色ドーナツと、最後にバラ色の蝶々を。

 アンの広げた両腕のなかに、歓声が吸い込まれていく。

 スポットライトの熱も。

 観客たちの熱も。

 アンのすべてを、満たすように。

 幕が下ろされていく。

惜しむように、拍手はいや増した。アンの名をコールする声も、いっそうひろがった。

(終わった)

 

 ついに、五日間のコンサートが終了した。

 

 屋敷のメンバーは、五日間通いつめた。カルパナの夫と子どもたちも、二日目から姿を見せるようになっていたし、ことに最終日は、はじまるまえからVIPルームは感動の涙であふれ、泣いていない者がいなかったのが逆におかしかったとのちにヤンは語った。

 屋敷のメンバー以外のところでは、マタドール・カフェのエヴィたちや、ルシアンのオーナーカブラギ、真砂名神社商店街の面々もそこにはいて、彼らは自分でチケットを取った一日以外は、VIPルームに招待されて、五日間観賞することができ、大感激した彼らは、「屋敷のメンバーが店にきたら、一週間はタダで飲み食いさせてやる」と豪語した。

屋敷では、アズラエルがサルーンとふたり、リビングのテレビ前を陣取っていた。

 二階の集会場にいたクラウドたちも。

アンジェリカは病室でアントニオと。ルナもまだ熱が下がっていなかったので、自室でピエトとピエロといっしょに。

サルビアとミシェルはイシュマールの部屋で、最後のアンコールだけを――見届けた。

アンの、一世一代の、舞台を。

 

 「よく、やってくれたよ……」

 ララは、シグルスとともに、屋敷メンバーとはべつのVIPルームで最後まで観賞したが、彼は会場の客と一緒になって立ち上がり、大きく拍手をしていた。その目は、真っ赤に潤んでいた。

 「すばらしかった……アン・D・リュー」

 

 今日のアンは、なにやら気迫がちがう気がして、ことに最後の曲とアンコールのあたりから、ピエトもピエロも、口をぽかっとあけて画面にくぎ付けなのを見て、ルナは思わず笑いかけたが、ルナもさっきまで、マヌケ面で画面に見とれていたのだ。

 今、ルナの目にラ・ムエルテは見えなかったが、ひどく心配だった。集会場にもどりたくても、熱は、まだまだ、下がる様子を見せない。

(アンさん……)

 

 幕が下りたあとも、会場からはなかなか人の波がひかない。けれども、やがて感動の余韻を口にしながら、ひとびとは去って行った。

会場受付は、アンにささげられたプレゼントや花束で埋まったが、最終日はことのほかものすごかった。プレゼントの保管のために、おおきな部屋が三部屋も埋まったほどである。それを見て、会場関係者たちはあきれとも感嘆ともつかない口笛を吹き、「よけいな」マスコミを追い出すために、走っていった。

 

軍事惑星群でも、アンのコンサートが終わり、番組が終了すると、だれかは呆けたように立ち尽くし、あるいは余韻を味わうように、ずっと画面の向こうを見ていた。家族や恋人、あるいは友人たちと。あるいは、街角のスクリーンで、なじみの店で、たったひとり。

ちいさなアパートで、アンのコンサートを、見ていた。

 

コンサートを聞き、または観賞したすべての人間に共通することは、あった。

アンは、伝説になる。

だれもが、そう感じていた。

 

 そのアンは、ステージに立ち尽くしていた。

 はるか、地球行き宇宙船。

 そこで、歴史あるオペラやコンサートを行ってきた最大級のホールで。

幕の向こうを見つめるように、まっすぐ。

 

客はほとんどいなくなったが――楽団のメンバーも、興奮冷めやらぬ様子で、なかなか動かなかった。

 

 「アンさん!!」

 もはや涙まみれで声も足元もおぼつかないアニタが真っ先に駆けこんできて――リサとキラ、メンズ・ミシェル、ネイシャにセシル、ミンファにエマル――そして、信じられないほど大きな、バラの花束を持ったオルティスが、フランシスたちラガーの常連を連れて、ステージにやってきた。

 「アンさん! ありがとう!! ほんとにすごかった! すばらしかったわ!!」

 だれもが、感動と喜びで、涙が止められなかった。

 とくにオルティスは、声を放るように泣いていた。

 「アン――アン――ほんとによく頑張ったよ――」

 

 「オルティ」

 アンは、やっとみんなのほうを向いた。そして、ふわりと微笑んだあと――膝からかくりと――砂の塔がくずれるように、倒れた。

 「アン!!」

 オルティスが、アニタたちの絶叫に重なるように咆哮した。花束を放り投げ、だれよりもはやくアンを抱き起こしたオルティスは、アンの軽さに、絶句した。

 まるで、魂が抜け落ちてしまったかのようだった。

 

 

 

 「――バクスターさま」

 L54のマンションで、アンのコンサートを見ていたローゼスは、となりのバクスターが数分前に眠ったのは分かっていた。だが、コンサートが終わり、話しかけようとした矢先、バクスターの様子がおかしいのに気付いた。

 「バクスターさま」

 つよく揺すったが、応答がない。口元に持っていったローゼスの手に、吐息はかからなかった。

 「バクスターさま!!」

 ローゼスはあわてて、隣室のドローレスを呼びに行った。

 「ドローレスさん、ドローレスさん、バクスターさまが!!」

 

 屋敷にのこったアズラエルも、一本の電話を受け取っていた。ノワが屋敷を消してくれたから、電話線はもとにもどしたわけだが、最近、携帯電話をつかえる面々が増えたので、屋敷の電話にかかってくるのも、めずらしかった。

 またマスコミかと用心したアズラエルだったが、ナンバーディスプレイに表示された番号の頭に、K09区を意味する、09の数字を見つけて、アズラエルはあわてて取った。

 K09区から電話をしてくる人物はかぎられている。

 「俺だ。アズラエルだ」

 アズラエルは最初から名乗った。

 『アズラエル』

 電話の相手は、まちがいなくアズラエルの父方の祖母、メレーヌだった。

 『アダムが……あのひとが倒れたの』

 「……!」

 病で、先が長くないと言っていた祖父が、ついに倒れたのだ。

 『さっき、アンのコンサートが終わってすぐに……アンのコンサートに、一度は行ったのよ。あなたたちがチケットをくれたから。カナリアも、テリーも一緒に……あのひとは、ほんとうにうれしそうで、元気だったの。ほんとうよ。今日だって、朝からずっと、テレビに張り付いて――』

 「ばあちゃん、落ち着け」

 アズラエルは、焦りを押さえて、言った。

「中央病院か?」

 『え、ええ……』

 「容体は」

 『意識がないの。もしかしたら、持病じゃなくて、脳こうそくを起こしたかもしれないって――テリーが気づいてくれなかったら、手遅れだった』

 「分かった。いますぐ行く。待っててくれ」

 アズラエルはそう言って、電話を切った。

 「サルーン、ルナを頼むぞ」

 タカは、任せておけとばかりに、ピイと返事をし、三階に飛んで行った。

そのままシャイン・システムで向かおうとして、はっと気づいて三階に向かった。やがて応接室に降りてきたアズラエルは、ピエトだけを連れていた。

 



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