「アンが倒れただって?」
集会場にいたクラウドが連絡を受けたのは、日づけが変わりそうなころだ。アンが搬送されて、二時間も経っていた。
『ああ。幕が下りて、すぐに。意識不明だ』
メンズ・ミシェルの強張った声の向こうで、リサとキラの泣きじゃくる声が聞こえる。
『アニタは、俺の代わりに、コンサートのあとしまつをしてる。まったく、タフな女だ。アニタ以外の女の子たちは、みんな泣いちまって話にならない』
「エマルさんも?」
『え? あれ? ……エマルさんがいねえ』
メンズ・ミシェルは背後を見回したが、エマルの姿がなかった。
『エマルさんは元気だよ。でも、どっかいっちまった。とにかく、俺がそっちにいって話をしたいが、まともに医者の話を聞けるのが俺だけで――オルティスも動揺してダメだ――おまえ、来れるか?』
「分かった。いま、そっちへ行く」
クラウドは電話を切り、そばにいたペリドットとクシラ、カザマに告げた。
「アンが、倒れて中央病院に搬送されたそうだ」
動揺した反応は、まったくかえってこなかった。
「じつはだな」
ペリドットがしずかに言った。
「ルナのZOOカードで、ずいぶんまえに多数のラ・ムエルテ(死神)が出ている。そのなかには、アンのカードもあった」
「なんだって?」
「おまえに知らせなかったのは、ルナも、それを認めたくなかったからだ。その件については、文句を言ってやるな。クラウド、おまえは病院へ向かえ。そこで、アズラエルと会うだろう」
「アズと?」
「アズラエルの祖父と、バクスターという男も、おそらく搬送されたはずだ」
「ええ!?」
さすがにクラウドは目を丸くした。エマルの姿がなかったのは、そちらへ行ったからかもしれない。
「それから、ルナがひとりだ。なにかあったとき、熱が高い状態では対処できんかもしれん。カザマ、おまえはルナのそばにいろ。――ピエロが心配だ」
「はい」
カザマはさっと立った。
「まさか」
クラウドは絶句した。
「そのまさかだ。ピエロにも、ラ・ムエルテが出ている」
「……!」
L22の軍機は、定時きっかりに、L43の大気圏に突入した。そして、予定どおり、分厚い雲の上で停止し、地上の様子をさぐるために、小型探査機を放った。
探査機は雲を越え――密林のちかくまで接近した。そこで、想像を絶する映像をひろった。中央操縦室のモニターにうつしだされた光景に、だれもが息をのんだ。
「なんだ――これは」
まず視界に入ってきたのは、巨大な虫の数々だ。アリにコオロギ、バッタ、テントウムシ――空を飛んでいるのは、想像を絶するおおきさのトンボや羽虫だった。
それらが、眼下にひろがる密林を、埋め尽くしている。
「ウッゲェー……」
マックはすさまじい顔をしたし、アダムの顔も、さすがに強張った。
歴戦の軍人たちも同じだった。こんな生態系には、お目にかかったことなどない。
いっしょにモニターを見ていたケヴィンとアルフレッドは、思わず左右から、マデレード博士にすがりつく羽目になった。
「いまさらビビるなよ」
オルドが双子をにらんだが、双子は震えながら声を張り上げた。
「まちがいなくビビってますけど!!」
「行きますよ! 行きますってば!!」
「だいじょうぶ。バラスの洞窟にあれば、心配はない」
博士は、ほがらかに励ました。
「“大きなものが小さくなり、ちいさなものが大きくなる。草食が肉食を捕食し、大地をかけ、周遊していく。十日たてば、今度は草木たちが動物を捕食する。最後はバクテリアが無に帰す”」
マデレード博士が、周囲の深刻さには不似合いなほど、あかるく言った。
「トリアングロ・デ・ムエルタの言い伝えです。虫は、ほんと大きくなりますよ! 羽虫の全体像が肉眼ですみずみまで見えるのは、オドロキです。実に興味深い」
だれも返事をしなかった。
「ああ、でも、ふつうならばふたつきに三日間のトリアングロ・デ・ムエルタでして、草木が動物たちを捕食するところまではいきません。バクテリアの捕食もね。その先があったのは、太古のトリアングロ・デ・ムエルタだけだそうです」
「では、マデレード博士」
「ママレードです」
博士は訂正した。ピーターは、たいへんに良い笑顔をつくった。
「今回のトリアングロ・デ・ムエルタは、ルナの話によると13日間。つまりは、バクテリアの捕食までいくってことですね?」
「おそらくは」
博士は、信じられないほどウキウキした表情だった。ピーターはすこし考えたあと、レドゥ大佐に告げた。
「では、用がすんだら即座に撤退だな」
「それがよろしいかと存じます」
ルナは15日分の糧食を用意して向かえと言ったが、ぐずぐずしているわけにはいかない。カナコをカナリアと対面させることができたなら、つぎのライフ・ラインのときに、撤収する。
やがて、映像を見ていた軍人たちは、動物たちが一定の方向に走っているのに気付いた。よく見れば、密林を構築する木々も、異様なざわめきを見せている気がする。
「なるべくなら、降りたくない土地だな」
アダムの言葉は、この場にいるすべての人間の言葉を、代弁していた。
「ライフ・ラインはまだのようですね」
ルナの話では、24時間のうち1時間だけ、トリアングロ・デ・ムエルタが止む時間帯がある。それは、まだのようだった。
彼らは、辛抱強く待った。
ライフ・ラインという空白時間がおとずれたのは、それから、二時間先だった。急に、モニターから動物や虫たちが姿を消したのだ。
地上は、さきほどの凄惨な光景が幻だったかのように、あまりに急に、しずかな世界になった。
「ほ、ほんとだ!! ルナ博士の言うことはホントだった!!」
ママレードは大興奮で飛び上がった。
「三日間のトリアングロ・デ・ムエルタには、ライフ・ラインなんてものはないんです! すごい! やはりあのかたは――」
「探索しろ!」
探査機を地上まで降ろして視界を広げたが、どこにも動物や虫の姿はない。
「おそらく、ライフ・ラインに突入した」
「急げ! 最速で着陸しろ!!」
博士の興奮を押し切って、レドゥ大佐が指令した。それから一分も経たずに、宇宙船はルナがしめした定位置――北海域と、バラスの洞窟のおよそ中間地点の平地に着陸した。
「ピーター様、どうか、お気を付けて」
すかさず開いたゲート。ピーターたちは即座に立った。あわてて、双子も固まっていた尻を上げた。レドゥ大佐は敬礼した。
「行くぞ! 一秒も無駄にはできん」
オルドが先頭に立ち、ピーター、アダム、マック、ママレード博士、ケヴィンとアルフレッドの一行は、15日分の糧食とサバイバル道具の入ったバックパックを背負い、外へ出た。
アルフレッドが出たあと、「どうかご無事で!」という声とともに、宇宙船の扉は閉じた。
もう、あともどりはできない。双子は顔を見合わせて、ごくりと息をのんだ。
(やっぱり、ここは――)
宇宙船が降りたのは、丈の短い草木が生い茂る平地だったが、周囲は、とてつもなく背が高い木々が密集する森に囲まれている。むっとする空気。湿気が汗とまじりあって、すぐに頬が濡れた。
ケヴィンは先ほど見たばかりの夢を思い出した。
(やっぱり俺たちは、かつて、ここに来た)
アルフレッドも、同じ顔でうなずいていた。今着ているのも、あのときとおなじ、迷彩服。
これはなんの運命なのだろう。カーダマーヴァ村についたときも、村の民と同じ服装をしていた。つまりは、前世の自分と同じ服装を。
(ルナっち)
ケヴィンは、ルナを思った。そして、ぎゅっとバックパックのベルトを握りしめた。
(イシュメル様――俺たちを、守って)
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