「やべェ! また始まった!!」

 通り雨のようなどしゃぶりのスコールが降ってきて、何日かぶりの雨だとはしゃいで外に出たラック&ピニオン兄弟は、あわてて洞窟に飛び込んだ。

 「あ、あっぶねえ~……」

 ゾウみたいなイヌに、頭をパクリとやられるところだった。

 「おかしい」

 アルフレッド首長は、スコールのなかを走っていく動物たちを見ながらつぶやいた。

 「ちょうど一時間だ――なぜ、動物たちは消えた?」

 「ふつうはねえのか」

 ジンは、アルフレッドに尋ねた。彼は「……ない」と、呆けたようにも聞こえる返事をした。

 「三日間、動物の周遊は、途切れることはないはずだ」

 

 「ねえ、ライフ・ラインってなに?」

 いったんは別れて入ったが、洞窟はつながっていた。マヌエラは報告のために、ジンたちが待機する洞窟にやってきていた。

 「軍が、救助に来てるんだけど、つぎのライフ・ラインのとき、宇宙船に来いって」

 「軍が来たのか!」

 「やっと帰られる~!! ルシヤああああ」

 ラック&ピニオン兄弟は、万々歳で、愛する娘の名を呼んで笑顔になったソルテと、輪を組んで踊りだした。

 「ライフ・ラインってなに!? しかも、あたしにはここにいろっていうのよ!? 信じられる!?」

 「はあ!?」

 三人は、同じ表情で、口を開けた。

 「そりゃ、薄情すぎねえか」

 「さすがに泣くぞ」

 「おまえ、今はピーターの秘書だろ、なんで置いていかれるんだ」

「あたしも知らないわよ!!」

 マヌエラは半泣きだ。

 

 「おまえを、置いて行けと言ったって?」

 アルフレッドは、意味深に尋ねた。

 「軍が?」

 「そうよ! ひどいでしょ」

 マヌエラはさんざんわめき散らしたあと、「ところで、ライフ・ラインってなんなの」と聞いた。アルフレッドは、首を振った。

 「そんなものは知らん」

 「え?」

 「ライフ・ライン? そんなもの、聞いたこともない」

 ジンが、はっと気づいて、言った。

 「それって、さっきの、動物の周遊が止んだときのことじゃねえのか?」

 「……」

 アルフレッドはふたたび絶句して、洞窟の外を見つめた。

 

 北海域とバラスの洞窟中間地点に待機している宇宙船でも、ふたたびはじまったトリアングロ・デ・ムエルタの光景にがく然としながら、モニターを見つめていた。

 「彼女の言ったとおりだ」

 レドゥ大佐は、つぶやいた。

 「宇宙船を、避けて通っていく……」

 動物たちは、宇宙船から数メートル離れた場所を疾走していた。まるで、この宇宙船がはじめから「ない」ものであるかのように。

 今めのまえを過ぎて行った、恐竜のような大きさのネズミの群れが突進してきたら、ひとたまりもなかっただろう。すさまじい衝撃があったはずだ。だが、動物も虫たちも、宇宙船には寄ってこないのだ。

 

 

 

 北海域近くの洞窟でも、トリアングロ・デ・ムエルタがはじまった直後は、だれもが息をつめて洞窟の外を見守っていた。宇宙船にいた時分では、モニター越しに見ていたおそろしい光景が、ほんの数メートル先で起こっている。

 洞窟の入り口ギリギリにいるアダムなどは、怖いなんてものではない。

 「かんべんしてくれ」

 さすがの彼も泣きごとを言わずには、いられなかった。

 アダムは、そのでかい身体を精いっぱい縮めて、洞窟のなかへ入ろうとした。双子は、そろって抱きしめあいながら、「帰りたい」の言葉だけは言わぬように我慢していた。

 さすがのオルドも震えを必死に押し隠していたし、ピーターはなるべく外を見ないようにしていた。様子が変わらないのは、ママレードだけだった。

 ルナの言葉は正解だった。

 もうひとり人員を増やしていたら、だれかが犠牲になっていたかもしれない。

 ケヴィン首長を寝かせていることで、けっこうな幅が取られている。それほどまでに洞窟内はせまかった。

 

 「トリアングロ・デ・ムエルタのあらたな情報については、ケヴィン首長が目覚めたら、話そう」

 外の、動物たちの雄叫びにも、皆の耳が鳴れてきたころ――ぽつりとピーターは、言った。だれもが、はっとピーターのほうを向いた。

 「カナコさん。俺とアダムさんがここへ来たのは、あなたとカナリアさんを逢わせるためだ」

 カナコの目が、見開かれた。

 「姉さんは、やっぱり、生きて――」

 「君は、逮捕されて、軍事裁判にかけられる」

 ピーターは、おだやかながらも、はっきりとした口調で言った。カナコの顔がゆがみ、悔しげに下を向いた。

 「だが、もう軍事惑星にドーソンの力はない。裁判は決して、不当なものにはしない。それは約束する。けれども、監獄星行きはまぬがれないだろう」

 「……」

 「君が傭兵だからってわけじゃない。分かるだろう?」

 拳をにぎり、唇をかむカナコは、必死で怒りをこらえているようだった。

 カナコが起こした決起は、失敗に終わったからよかったものの、L系惑星群の治安そのものを揺らがせるところだったのだ。

 カナコのふかい悲しみと怒りは、まだしずまってなどいない。トリアングロ・デ・ムエルタというすさまじい威力に埋められてしまっただけで、まだ鎮火などしていなかった。

 けれども、この決起で、家族同然だった仲間を、右腕のラリマーを、失った。

 喪失感も、すさまじかった。

 あきらめるにはまだ感情がぐちゃぐちゃで、怒りまかせに怒鳴るには、身体から、なにか大切な芯みたいなものが抜けてしまったようで、カナコは立つことすらできなかった。

 やがて、カナコの握りしめていた拳から力が抜けた。

 「君が裁判にかけられ、監獄星行きとなれば、俺にはどうすることもできない。だから、君の逮捕まえに、お姉さんに――カナリアさんに、会わせたいと思ったんだ」

 アダムが、カナコを励ますように、彼女の肩に手をかけた。

 「カナコ、俺ァ、地球行き宇宙船で、おまえの姉さんに会ったよ」

 「……!」

 カナコは、言葉にならない言葉をつむぐように、口を動かした。

 「カナリアさんはな、ずっと、おまえさんを見捨てたと思って、ずっと、ずっと、後悔ばかりの日々を送ってたんだ」

 「……っ」

 ついに、カナコの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

 『……カナコ?』

 カナコは、この狭い洞窟のなかから――この地獄のどこから、姉の声が聞こえたのか、分からなかった。幻だとも思った。ついに幻聴が聞こえたのか。

 だがちがった。それは現実だ。ピーターが差し出した、タブレットの先に、彼女はいた。

 『カナコ』

 タブレットの向こうに姉はいた。十七歳のころから、ちっとも変わっていない姉がいた。カナコとはちがう、美しい金髪――カナリアの羽のように、すべすべの。

 カナリアの顔からは、キズがあとかたもなく、消えていた。

 『カナコ』

 カナコは、涙があふれて、なにも言えなかった。相手もそうだった。涙を喜びにあふれさせ、こらえ、それでもあふれるのを止められずに。

 『カナコ、ごめんなさい。わたし、臆病だったの。ずっと怖かった、あなたに会うのが。あなたを見捨てたわたしを許して。ひとり、地球行き宇宙船に逃げたわたしを』

 カナコもそうだった。ずっと、姉を見捨てた自分を責めていた。おそろしくて、自分だけ逃げだした。姉を犠牲にして――。

 

 「……! ……っ!」

 『カナコ、なにか言って』

 姉の声が絶望にしずみそうになったとき、カナコは、やっと声を絞り出すことができた。

 「ねえさ、……ねえさあ、あああ」

 

 最後は言葉にならなかった。咆哮だった。タブレットを抱きしめ、全身が痛くなるほどの叫びをあげて、カナコは泣いた。

 カナコの咆哮は、動物の咆哮に飲まれていった。

 カナコの叫びは、むかし受けたキズの痛みと同じだった。

 そして、キズに塩をすりこむような、ラリマーと仲間たちの死。

 ただ――姉に会いたい一心で、この瞬間まで生きてきたのだ。

 悲鳴のような泣き声が止んだあと、カナコはいつしか、だれかに抱きしめられていた。恋人の、ケヴィンだった。さすがに、カナコの絶叫にたたき起こされたらしい。

 彼は、慈しむような目で、カナコを見ていた。その目が、カナコと姉が再会できたことを喜んでいた。

 ケヴィンはかつて、たいせつな妹を、失ったのだ。

 「ケヴィン」

 「話をつづけろ」

 ケヴィンにうながされ、カナコはあわてて、タブレットに視線をもどした。姉は消えていなかった。

 これは夢なのではないかと思いかけたが――トリアングロ・デ・ムエルタの恐怖から逃れるために見ている夢ではないかと――だが、ちがった。これはまぎれもなく現実で、姉は、カナリアは存在していた。

 ようやく落ち着いて、画面の向こうを見ることができた。病院だろうか。姉もまた、だれかに支えられていた。顔をハンカチでおおい、カナコと同じように泣きじゃくっていた。

まともに立っていられないほど。

 



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