「姉さん。カナリア姉さん」
カナコは、言った。
「アンのコンサートを聞いたよ――“カナリア”を」
カナリアも、テリーが持っていたタブレットにしがみついた。
『わたしも見たわ』
「素敵だったね」
『素敵だった』
ふたりはやっと、微笑みあった。二十年ぶりくらいに――。
『カナコ、わたし、会いに行くから』
カナリアはむせかえりながら言った。
『地球行き宇宙船が、L55へついたら、すぐにあなたに会いに行く。あなたの裁判も見届ける。監獄星に行こうが、どこに行こうが、かならず会いに行く――かならずよ』
ピーターとアダムは、あわてて顔を見合わせた。話がちがう。カナリアには、カナコの逮捕のことはかくしておくつもりだったのに。
だが、カナリアは、気丈だった。
『わたし、強くなるわ――今度こそ、あなたを守ってみせる。姉として――』
「ねえ、さ……」
カナコは、もう言葉にならなかった。ふたたび、タブレットに大粒の涙をこぼした。
『カナコ、ぜったいに会うのよ。ぜったいに――だから、生きて帰って』
「うん、うん、うんうん……うん!」
カナコはうなずいた。何度も、何度も――。
「じゃあ――姉さん――来年、L22で」
『ええ――カナコ、身体に気を付けるのよ』
別れの挨拶は、あまりにも平凡な、のんきすぎるひとことだった。カナコはトリアングロ・デ・ムエルタの渦中にいて、この先は、どうなるか分からない。
カナコはタブレットを、ピーターに返した。
姉はたしかに、生きていた。
それでよかった。
死んだと思っていた姉が、生きていてくれた。
それだけで、カナコには生きる希望が湧いてきた。
「いろいろ、カナリアさんのことをつたえようと思ってきたんだが、これなら直接会って話したほうがいいな」
ピーターは苦笑した。
「おまえが来る意味、あったのか」
オルドの、つめたい視線がピーターを射抜いたが、彼は無駄に良い笑みでごまかした。
ひとこと挨拶をしてから電源を切ろうと画面を見ると、カナリアの代わりに、テリーが映っていた。
彼は、ピーターがなにか言うまえに、あわただしく、しかも小声で告げた。
『じつは、アダムさんが入院されたんです』
「――え?」
ピーターは、おもわず聞き返した。テリーはさらに声を低めた。
『さっき、ちいさく見えましたが、アダムさんがご同行されてますね? こっちのアダムさんが、脳こうそくで、緊急搬送されたんです。意識がない状態で――医者には、覚悟してくれと、言われました』
彼の声は深刻だった。
洞窟のアダムは、カナコのほうを見て涙をぬぐっているので、こちらには気付いていない。
「……分かった。こちらで、タイミングを見て話す」
『どうか、お願いいたします』
テリーは礼をして、通信を切った。
「おまえたちは、何者だ」
カナコの嗚咽がおさまってきたので、ケヴィン首長は、意識を失うまえにはいなかった集団を、用心深く見回した。カナコをかばいながら。
「マデレード博士、あなたが連れて来たのか?」
「いいえ。ぼくは相談役で――ああ、そうだ。申し遅れましたが、ぼくはママレードと改名しました――そうですね、なにから話しましょうか。ご報告がたくさんあるんです。じつは、L43の本当の名を知る、あなたと同じ名前の――」
「ケヴィン首長ですね? 俺は、ピーター・S・アーズガルドと言います」
ピーターは、ママレードの言葉をさえぎったが、彼は文句を言わなかった。
「カナコを、逮捕するために来たのだな」
ケヴィン首長は、ピーターの腕章を見て言った。そして、深い嘆息を落とした。
「逮捕など、むだだ」
「なぜ、無駄だと?」
「――世界はまもなく、トリアングロ・デ・ムエルタによって滅びるからだ」
裁判も、監獄星もない。世界は、もうすぐトリアングロ・デ・ムエルタに飲み込まれる。
ケヴィン首長は、淡々と告げた。
「どういうことです?」
凍りついた満座にかわって、ピーターは尋ねた。
「トリアングロ・デ・ムエルタは、この星だけの生態系ではないのですか」
ケヴィン首長は、その質問には答えなかった。
「カナコの姉が、カナコに会うことは叶うまい。――いま会えてよかったのだ。地球行き宇宙船がL55に帰るまでには、すべての人類が消えているだろう。トリアングロ・デ・ムエルタは、おそらく13日を過ぎれば、L43を滅亡させ、L44とL42をおそう。そのままひろがり、やがて世界をおおいつくすだろう」
カナコの顔も、青ざめた。双子とマックは、「そんなのイヤだ!!」と声をそろえて叫んだ。
「どういうことだよ、ルナッちは、そんなことちっとも――!」
ルナとのやり取りの録画を双子も見せてもらったが、ルナはそんなこと、ひとことも言わなかった。
「俺は、世界が破滅するそのときまで、クリアしてみせるぜ!?」
マックは皆に背を向け、携帯ゲームをはじめた。その姿をあっけにとられた顔で見ていた双子だったが、ついに絶望的な顔で、メソメソと泣き出した。
「なんで、こんなことになるんだよお……」
世界の滅亡を真っ先に見届けるために、こんなところへ来たわけではない。
「帰りたい……」
「ナターシャとマイヨに会いたい」
「パパとママに」
「ルナッちと一度でも付き合っとけばよかった」
「なんでぼくたち、こんなところに来ちゃったんだろう――」
外には、地獄の光景がひろがっている。あと13日間もこれがつづくのだ。しかも、これが世界をおおい、そのころにはケヴィンたちも土にかえっているときた。
「だから、寄り道なんかせずに、“バンクス”さんにそのままついて行けばよかったんだよ!!」
半泣きで、弟の肩を揺さぶりながら絶叫したケヴィンの胸ぐらを、いきなりつかんだものがいた――同じ名前の、ラグバダ族首長だった。
「……なぜ、L43の本当の名を知っている」
「へ?」
ケヴィンは、つるし上げられたまま、マヌケな返事をした。
「なぜ、本当の名を知っていると聞いている!!」
「なァんだ、ケヴィンさん!! やっぱり知っていたんじゃないですか!!!」
大興奮で、ママレードが手を叩いた。
「え? ほ、ほんとうの名? そ、そんなもの――」
ケヴィンはがく然としていたが、首長のほうはもっとがく然としていた。目がこぼれ落ちそうだった。
「L43の真実の名は、ヴァン・クスだ」
「――ええ!?」
腰を抜かしたケヴィンは絶叫し、放り出されて尻もちをついた。アルフレッドとともに、自分を見下ろす、背の高い男を見上げた。
「同じ顔をしている」
「ふ、双子ですから」
「おまえの名は」
ケヴィンは、聞かれたので自己紹介をした。
「ケヴィンです」
首長は壮絶な顔で固まったが、やがてその顔が、希望に満ちた表情に変わってきたのを、双子は不思議な顔で見つめた。
「では、もしや、おまえの名は」
期待に満ちた顔で名を聞かれたアルフレッドは、おそるおそる、こたえた。
「アルフレッド、です……」
希望は、確信に変わった。
「ケヴィンと、アルフレッド――我々と同じ、双子――」
「え?」
「“黄金の天秤は、地球の神にわたしました”」
ピーターが、決定打を落とした。
「――なんだと?」
「俺は、そうつたえるよう、言われただけです。でも、じっさい、黄金の天秤は、俺がある女性に送ったものだ。彼女から、そうあなたにつたえるよう、言われた」
ケヴィンの顔色は、見違えるように良くなった。抗生物質が効いてきただけではないだろう。
すくなくとも、ケヴィンたち双子の存在と、黄金の天秤というものの存在が、彼に希望を与えたことはまちがいなかった。
彼はしばらく黙し、わずかなすき間に座り込んだ。
「われわれは、助かるかもしれん」
しんじられない、と言い、壁に背をもたせかけ、外を眺めた。滑稽なほどちいさなライオンの群れが、チョコマカと走り去っていく。
「L43の真実の名を知る“祖”が帰ってきた。そして、黄金の天秤が現れた」
彼は決然と、告げた。
「なんとかして、バラスの洞窟にもどらねば。そして、みなに伝えなければならん」
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