「アズラエル、グレンは?」 それが、任務の合図だった。 アルベリッヒが、買い物のおともを捜して、書斎に来た。書斎には、アズラエルとメンズ・ミシェルの二人だけ。グレンはいなかった。ミシェルは、「ラガーかルシアンじゃねえの」と答え、「そうか」とあっさりアルベリッヒもあきらめた。 グレンはバイト先が多いし、屋敷に姿がなくても、だれも違和感を持たない。現にいまもそうだった。二日ほど経って、「あれ? グレンって一度でも帰ってきた?」とだれかが言いだすのが通常だろう。 シュステーマ・ソーラーレに突入して三日経過した。 アズラエルはそろそろ「時期」だと思っていた。――いや、遅すぎたくらいだ。 アルベリッヒとミシェルの会話を聞き流し、携帯電話の、クラウド式探査機アプリを起動する。 ラガーにもルシアンにも、護衛術の教室にも、中央区役所にもグレンはいない。集会場にも、病院にも――。 ついにアズラエルは、探索区間を最大にして、地球行き宇宙船全体を検索した。 いない。 ――地球行き宇宙船から、グレンの姿が消えていた。 「アズラエル、買い物につきあってくれないかな」 アルベリッヒが、ついに言った。 「俺が行くよ」 ミシェルがパソコンの前から立った。アズラエルも立った。 「おまえも行くのか」 おもわずミシェルは聞いたが、アズラエルは「いや」と首を振った。 「急用を思い出した」 「え?」 ふたりの声が返されるまえに、アズラエルはものすごいスピードで書斎を出て、自室に向かっていた。 猛スピードでスーツに着替えたアズラエルを、帰ってきていたピエトが呆気にとられた顔で見ていた。ピエロもよだれまみれの顔で――。 ルナは相変わらず、すやすやと眠っている。 「どこ行くの、アズラエル」 「中央区役所」 役員になるための講習がのこっていたのだろうか。ピエトとピエロの頭を、一度ずつ撫で繰り回して部屋を出ていくアズラエルの首には、役員証がかけられていた。テオやシシーも、かけているやつだ。 「いってらっしゃい! アズラエル!」 あわててピエトは言ったが、アズラエルの姿はあっというまに三階から消えていた。 だれもいない応接室に飛び込み、シャイン・システムで中央区役所のロビーへ行くと、申し合せたようにヤンとラウが待機していた。 チャンが寄こしたのだろう。話が早くてたすかる。 「アズラエルさん」 「極秘任務ってどういうことですか」 アズラエルの顔を見るなり怒鳴ったふたりに、アズラエルは返事の代わりに一枚の用紙を差し出した。任務要綱をななめ読みしたふたりは顔色を変え、文末のサインを見て、さらに驚愕し、言葉も失った。 「この宇宙船の“船長”の極秘任務だ」 ヤンとラウは顔を見合わせた。 「……特務機関は、このことを?」 「さあ。だが、話はつけてあるんだろう。俺は、仕事を全うするだけだ」 アズラエルは、ヤンとラウとともに、シャイン・システムに入った。そして、宇宙船出口のK15区最南端のボタンを押した。 「でも――これは――こんなのって――」 ラウが困惑顔で、口をもごつかせた。アズラエルにも気持ちはわかる。ヤンも下を向いて顔をこわばらせていた。 「……本気なんですか、アズラエルさん」 「なにかの冗談でしょう?」 ついに、ラウは訴えた。泣きそうな顔で。 「冗談なんかじゃねえ」 アズラエルは、固い声で言った。 ――任務要綱は、グレン・J・ドーソンの“抹殺指令”だった。 (時間を稼げるとしたら、二日くらいだな) グレンはそう算段していた。大股で歩きながら、首からかけた役員証をひきちぎり、トイレに入って着替える。スーツから、Tシャツとジャケット、ジーンズの格好に。ピアスを外し、目立つ銀髪はキャップでかくしたので、すぐに見破られることはないだろう。大きなボストンバッグを持ってトイレから出てきた男は、ただの旅行者にしか見えなかった。 地球の太陽系の外郭、天体の密集したエッジワース・カイパーベルトから出て、地球行き宇宙船の最後の補給地、エリアA001へ。そこからエリアA012に飛んで、冷凍睡眠装置の宇宙船でアストロスに向かう。 グレンが屋敷にいないことを、最初に気づくのは、アルベリッヒかクラウドあたりだろうか。メンズ・ミシェルかもしれない。気づかれたら最後、追手がかけられる。だが、いま彼らは黄金の天秤の儀式に、アンの昏睡、ルナやアンジェリカが倒れたことで、てんてこまいしている。すぐには気づくまい。 担当役員であるチャンの許可なしに地球行き宇宙船を出るには、これしか方法がなかった。 地球の太陽系内に入れば、船客は、もう勝手にもどることはできない。エッジワース・カイパーベルトの外と中を行き来できるのは、地球行き宇宙船の役員だけ。 だからグレンは、役員の資格を取ったのだ。 そして、待った。 宇宙船が、シュステーマ・ソーラーレの内に入るのを。 チャンもグレンが役員の資格を取ったことは知っているが、まさか、グレンの目的までは知るまい。 (すまん、チャン) 船客ならば、勝手に降船できないが、役員であるグレンは、まったく簡単にここまで来ることができた。スーツ姿と、役員証ひとつで。拍子抜けだった。いくら役員でも、もっと理由だのなんだのを追及されるかと思っていたが。 グレンは、L18にもどらなければならない。 (エセル、待ってろ) おまえを衰弱死なんてさせない。俺は、おまえを責めてなんかいない。いいや――レオンもメグも、だれもかもだ。 (エセルを地球行き宇宙船に乗せたら、そのあとは……) そのあとのことは、グレンは考えていなかった。 生き残ったドーソンの子どもたちのために、なにかできるだろうか。 分からない。すぐに監獄星行きだろうか。それとも、裁判の余地はあるのだろうか。 オトゥールやカレンがかばってくれても、嫡男を、ドーソンの宿老どもが――監獄星にいる宿老たちが、放っておくわけはなかった。死なばもろとも。ともに地獄に引きずり落そうとすることくらいはするだろう。 ありもしない罪をでっちあげて、巻き添えにすることくらいは。 そして、傭兵たちが、ドーソンと名のつくものを許すはずがなく、グレンは身内に引きずり落とされるまえに、どこかの傭兵に刺されてのたれ死ぬかもしれない。 危険しかない軍事惑星に帰ろうとするのは、ただ。 ただ、自分だけが、地球についてのうのうと暮らしていくことなどできなかった。 いとこたちはすべて監獄星のツヴァーリ凍原で死に、グレンを待ち続けたレオンは、グレンのめのまえで射殺された。 ――おまえが俺たちを置いていったからだ!! レオンの叫びが、耳に残って離れない。ずっと――ずっとだ。 あれから、ずっと。 おまえに置いて行かれたときの、俺の絶望が分かるか! (すまない) それ以外に、なにが言えただろう。死のうと思った。何度も。けれど生かされた。不思議なほどに。こんな奇跡はもうごめんだと思うほど。 だが、もう決めた。分かっている。レオンの孤独を。 おまえをひとりで逝かせはしない。 グレンを生かしてくれたものは大勢いる。シンシアも、チャンも、ルーイも。 カレンも、オトゥールも。 ルナも。 サルビアも。 生かされたことは、いつでもおおきな、またはかすかな痛みとなって、グレンを傷つけた。 グレンは生かされすぎた。 何度も死にぞこない、失い、生き延びすぎた。 レオンと同じように、グレンを待っている仲間が、L18にも、監獄星にもいる。 なにもなかったように、自分だけ、地球で生きていくことなどできなかった。 (レオン、エセル、メグ、ケイト、シス、クレア……) 俺だけが、ドーソンの名から、逃げるわけにいかない。 いとこたちの名を呼びながら先を急ぐグレンは、駅に向かう通路に、不気味なほどひとがいないのを、不審に思いもしなかった。 |