「しかしだよ? それにしてもねえ? A012まで、それこそこんな、地球近くまで、グレンを狙って、刺客が送り込まれてたっていうのかい?」 エマルが不審な顔をしたので、ヤンはあわてて言いわけをしようとしたが、ミシェルが重苦しい声で言った。 「俺の命を狙って、マフィアがE353まで出張ってきたくらいだ。傭兵がドーソンの御曹司を暗殺しに来てたっておかしくはない」 「ユージィンの手先の残党ってことも考えられるかも」 クラウドも言った。グレン暗殺のために、ユージィンはヘルズ・ゲイトとアンダー・カバー、ふたつも傭兵グループを雇っていた。ユージィンがすでに死した以上、ほかにもグレン暗殺を企てている刺客があるかどうか、はっきりとしたことは分からないのだ。 「グレンは――」 ロイドは悲しげな顔で、うつむいた。 「ぼくたちのことを、ともだちだと思ってはくれなかったのかな? グレンにもかけがえのない人たちはいるだろうけれど……」 もっと、事情を話してほしかった。こっそり出ていくんじゃなく――とつぶやいたロイドのあとを追うように、アニタは、ふかく嘆息した。 「日和見に聞こえるかもしれないけど、軍事惑星のひとたちが抱えていることって、とても重すぎて、あたしにはなにも言えないわ」 アンのコンサートもひと段落し、さまざまな事後処理や事務手続きもすっかり終わり、あとは音源の権利をララに委ねる手続きばかり――これだけは、アンのサインが必要だ。アンが目覚めるのをララは待つと言ってくれた。ここまできて、やっと解放されたアニタは、ひさしぶりにキッチンに顔を出したばかりだった。 衝撃的な事態の連続に、さすがのアニタも、濃い疲労をかくせなかった。 「でも、グレンさんが目覚めたら、ひとことだけは言わせてもらうわよ?」 アニタはクマだらけの目を座らせて、断言した。 「あたしは、このお屋敷が大好き」 建物のことではなくて、この屋敷に住む、みんなが好きなの。 アニタは立ち上がって演説し、それにロイドとシシーがもろ手を挙げて同意した。アルベリッヒも涙ぐんでいた。 「それには、グレンさんも入ってるの。だれかがひとり欠けてもダメなの。このお屋敷の居心地がいい空気は、みんながそろっての空気なのよ!」 だれもが無言だったということは、この場合、みんながそう思っているということだった。 「グレンさんは、サルビアさんだけじゃない。みんなに必要なの」 疲労困憊で、逆に気分はハイテンション寄りのアニタは、鼻息も荒く告げた。 「それが分からないっていうなら、セルゲイさんが右のお尻を引っぱたいて、あたしは左のお尻を引っぱたくわ――ついでに、唐辛子入りのソーセージとルシアンのタバスコ・ウオッカでグレンさんと乾杯してやる!」 「おまえもだいたい、くたびれてンな」 呆れ声でミシェルが笑い、すこし明るい空気がもどってきた。 「……グレンの見舞いは、目覚めたらにしよう。俺も一発殴ってやらなきゃおさまらねえからな」 鼻息を荒くしてそう言い、 「ルナとアンジェには目覚めてから報告ってことになるだろうが、あのふたりはだいじょうぶだろう。そんな気がする。サルビアさんとミシェルは、地球に着いてからになるのかな。とにかく、グレンは、この四人にも一発ずつ食らうだろう、まちがいなく」 四人だけではなく、屋敷の仲間みんなから、一発ずつだ。グレンは顔と尻を腫れ上がらせることになるかもしれない。 「ネイシャとピエトには――」 「あたしから言っておくわ」 セシルが嘆息交じりに言った。 「みんなに告げて、あの二人に内緒にするのは、また仲間はずれにされたって怒ると思うんだけど……」 ロイドがおそるおそる挙手したので、リサとキラには、メンズ・ミシェルが話すことになった。 「俺、今期の研修生でよかったな」 ヤンが、ぽつりと言った。 「運命の彼女にはまだ出会えてねえけど、この屋敷のみんなと会えて、よかったと思ってます」 鼻の頭を赤くしたヤンが、一礼して、キッチンを去った。 ヤンがシャイン・システムで中央区役所に帰っていくのを確認してから、みなはどっと力が抜けたように、椅子にすわりこみ――あるいはテーブルに突っ伏した。 ともかくも、アンのコンサートという大仕事が終わったばかりである。そこへ、当のアンが倒れ、周囲の人間が病院行きになって、のこされたほうも限界だった。 ツキヨを支えながらエマルとリンファンが出ていき、それを横目で見ながら、 「おまえらホント、タフだなあ~……」 メンズ・ミシェルはあきれ顔で唸った。とにかく軍事惑星出身者と、原住民はタフだった。ふだんはそれほど変わらない気がするのだが、持久力で差が出る。エマルなどは、アンのコンサート計画が始動した最初から、まったく変わらないし、セシルも気がめいっているだけでピンピンしている。クラウドもアルベリッヒも、つかれた顔はしているが、体力はじゅうぶんありそうな様子だ。 「俺はもうだめだ。とりあえず、寝れるときに寝ておくぞ――あれ? そういや、アズラエルがいねえな」 ミシェルが伸びをしながらキョロキョロすると、ロイドがキッチンのテーブルに突っ伏して寝ていた。アニタが壁に激突しながら自室に向かおうとしているので、セシルが慌てて支えてやった。 「集会場に来てるんじゃないかな。このことは、俺がつたえておく」 クラウドもそう言って、キッチンをあとにした。 集会場にもどると、たしかにアズラエルがいた。 「みんな聞いてくれ、じつはグレンが――」 クラウドはあわただしく言いかけ、アズラエルの横顔を見て――すべてを解した。 いきなりだ。 アズラエルの顔色、通夜のように押し黙っているペリドットとアントニオ。クシラの神妙な表情。 それだけで、すべてを解した。 なにせアズラエルは、彼の幼馴染みなのだ。 「アズ、」 「クラウド、アズラエルを責めるな。頼んだのは――」 アントニオが言いかけたが、クラウドは首を振った。そして、現状だけを報告した。 「グレンの容体は安定してるそうだ。命は助かった。だいじょうぶだ」 アズラエルは背を向けたまま、こたえなかった。彼が、こらえようのないものをこらえていることは、クラウドにもわかった。 「ありがとう、アズ。きっと、グレンは生まれかわれる」 クラウドが代わりに泣いた。アズラエルの代わりに。むかしからクラウドは、アズラエルの涙を代弁してきたのだ。いつも泣けない、彼の代わりに。 ひさびさに公開された、世紀の美形も台無しになるクラウドの泣きかたに、ペリドットたちはおどろいたし、さすがにアズラエルも、呆れ声を放り投げるしかなかった。これ以上なく気分の悪い最後の任務に、うちひしがれることもできないではないか。 「もう、いいから」 ペリドットのひざ元にあるグレンのZOOカードは、銀色のきらめきを灯して、変化していた。アズラエルは、それを見ていたのだ。だから振り返らなかっただけだ。泣くのを我慢した、すさまじいしかめっ面を見せたくなかったわけではない。 クラウドはグレンのZOOカードを見て、ふたたび泣いた。とてもではないが、屋敷の連中に見せられるありさまではない。ペリドットたちも苦笑するほどだ。 グレンのカードは、変化していた。 夕日の海を背景に、銀の仔トラがポツンと寝ているだけだった。 まるで取り残されたように、置き去りにされたように。 しかし、夕日は沈み、夜がきて、朝日が昇る。 仔トラの表情に、憂いはなかった。ただ、無心に眠っているだけ。起きたらはじまる、新しい人生に希望を託して。 グレンは、サルビア同様、「ベベ(赤子)」にもどったのだ。 暗く、重い顔色で、バブロスカ監獄や黒い人間たちをにらんでいた軍人すがたのトラは。 ――孤高のトラは、もう、どこにもいなかった。 |