5月26日の夜――星海には、木星が見えている。
黄金の天秤の星守りは、12個すべてが、色の濃淡はあれども、すべて光を宿していた。
真砂名神社の階段下は、おおぜいの人間でごったがえしていた。
商店街の皆々と、屋敷のメンバーにくわえ、バーベキューパーティーにはかならず勢ぞろいする店の店長たち、派遣役員もふくめ、たいそうな人数が。
ピエロにつきそっているピエトとツキヨ、チャンとオルティスのかわりに、グレンとアンの病室を行き来しているリンファン以外のメンバーが――そこには結集していた。
「みんな、聞いてくれ!」
クラウドの怒号が、ざわめきをかき消した。黄金の天秤のまえには、ルナがいた。ここに集まった全員は、みな黄金の天秤の儀式のために集められたことを知っている。
「みなさんどうか、お手伝いしてください!」
ルナが、宣言した。ルナにならんで、ペリドットとアンジェリカ、クラウドとアズラエル、アントニオとセルゲイ、カザマが立っている。
「いまから、この天秤をあたしが担いで、階段を上がります」
ルナの言葉に、聴衆はざわめいた。
「でも、とっても重いので、あたしひとりじゃ無理です! どうかお手伝いしてください!!」
「ルナちゃん」
ナキジンが代表して聞いた。
「いったい、なにをしようとしておる」
「黄金の天秤の儀式とは、どうやるんじゃ?」
カンタロウも聞いた。
「天秤を担いで、階段を上がるんです!」
ルナの言葉に、ふたたび皆はざわめいた。
「階段をじゃと――」
ナキジンの言葉は、途中で途切れた。
ルナの言葉が合図ででもあったかのように、階段は急に、様相を変えた。みるみる、黒曜石に染まっていく。ナキジンたちは戦慄した――見間違いようのない、これは。
地獄の審判がはじまる合図だった。
階段の上には、寿命塔が立っている。しかし、その両脇に現れたのは、夜の神と太陽の神ではなかった。
「あれは」
ナキジンたちは口々に叫んだ。
「ラグ・ヴァーダの女王様と――」
「“バラス”だ」
石像ではあったが、すぐにわかった。アストロスで対峙したアズラエルとセルゲイには、はっきりと。
寿命塔の両脇にあらわれたのは、ラグ・ヴァーダの女王と、武神であるバラスだった。
ふたりが手にする錫杖と剣から、すさまじい雷がとどろいて、黒曜石の階段を割りはじめる。
「な……なにコレ」
リサとキラも絶句してその光景を見つめ――アニタは、口を開けたまま呆けていた。
二度目のクラウドたちも、はじめて見る者も、立ち尽くして動けなくなった。
ナキジンたちも、さすがに地獄の審判の雷に打たれたことはない。
「ルナ、これはいかん――」
「安心して! 雷は、あたしたちを傷つけません!!」
ルナは叫んだ。
「雷が消してくれるのは、これです!!」
ルナが指した先には、黄金の天秤があった。左の皿には逆三角錐、右の皿には正三角錐――とたんに、正三角錐が、消えた。
正三角錐が消えた右の皿に、すさまじい勢いで、黒曜石のかたまりが降ってきた。それは石炭のようにうずたかく積み上がり、またたく間にルナの身長を越した。
「これは、“人類の罪”」
ルナは言った。
「この階段は、罪を消してくれます。これを持って上まであがらないと、トリアングロ・デ・ムエルタが世界を覆いつくします」
「ルナさん」
チャンがここにきて、はじめて口をきいた。
「それは、いま軍事惑星とL03の地方で起こっている、動物が巨大化した現象のことですか」
「そうです」
ルナはうなずいた。
「大きなものが小さくなり、ちいさなものが大きくなる。草食が肉食を捕食し、大地をかけ、周遊していく。十日たてば、今度は草木たちが動物を捕食する。最後はバクテリアが無に帰すのです」
戦慄が、はっきりと皆を襲った。あらたなざわめきが、静謐を乱す。
「13日目には、すべてが滅びる。大地だけが残る」
「あと4日しかねえじゃねえか!!」
寿命塔がカウントしている数字を見て、ラウが絶叫した。
「みんなで、これを階段の上まで運びます」
だが、だれもが動こうとしなかった。それほどまでに、階段をおそう雷撃はすさまじかったのだ。チャンもクラウドも、確信していた。
(あのときの地獄の審判より、苛烈だ)
ルナは、くるりと皆に背を向けて、階段のほうを向いた。黒いはずの階段すら、白く見せてしまうような雷撃の嵐――怖くないわけではなかった。
ルナは竦む足を、必死で奮い立たせていた。
(うさこ)
ルナは、月を眺める子ウサギを想った。そのとたん、ルナのめのまえに、月を眺める子ウサギは現れた。
――わたしを。
自分を、信じて。
月を眺める子ウサギはそう言った。ルナは「うん」と力強く返事をした。
「見てて!!」
ルナは威勢よく叫び、天秤棒に手をかけた。――だれもが目を疑った。アズラエルならまだしもルナが、おおきな石炭のかたまりを、これでもかと皿に積み上げた天秤棒を、担ぎ上げたのだ。
「んしょ」
「ルナ、大丈夫なのか!?」
「ま、まだ平気」
アズラエルのほうが泡食ったが、ルナはよろよろと階段まで進み、足を上げた。
「見ててね!!」
ルナが一歩、階段に足を乗せると、ひときわ太く、強烈な雷鳴がとどろき――いかづちが、黒曜石のかたまりを直撃した。
皿の黒曜石は一気に砕け散り――消滅した。
「ぴぎーっ!!!!!」
「ルナ!!」
ルナはその衝撃にもんどりうって階段から投げ出された。リサとキラが悲鳴のような声を上げる。ルナはひっくりかえって転がったが、すかさず起き上がって、ふたたび天秤棒に手をかけた。
ルナは、衝撃で転がっただけで、たしかにケガはしていなかった。雷が、ルナを打つことは、なかった。
「ホントじゃ」
「いかづちは、あの黒いかたまりを消すだけじゃ」
カンタロウとナキジンの顔に、笑みがもどった。
一度なくなったはずの黒曜石は、ゴロゴロという雷鳴のような音をさせて、ふたたび皿に積み上がった。先ほどより、うずたかく――そびえたつほどに。
おそらくこれが、繰り返されるのだと皆は悟った。
一段上がるごとに、皿の上の、「罪」という名の石炭は消えていく。百八段ある階段を上がり切れば、すべての罪が許されるようになっている。
システムは、いつもどおりだ。
「分かった」
クラウドが叫んだ。
「よし、みんな、手伝うぞ……」
「ぺげっ!!!」
ルナは、そのまま二段目に上がろうとして、べしゃっと顔面から倒れ込んだ。
「ルナちゃ、」
「ルゥ!!」
「ルナ!!!」
「ルナちゃん!!」
「ルナあ!!!」
「「「「「ルナさーん!!!!!!」」」」」
クラウドにアズラエル、ペリドット、セルゲイに、アンジェリカに加えて、野太い五人衆の声が重なり――。
「お、おも、おもいいいいいい」
ルナは天秤棒の下から這い出て上の段に上がり、必死で上に引っ張ろうとするが、まったく動かなかった。
「手伝ってーっ!!」
ルナの悲鳴と同時に、どっと皆が群がった。
ナキジンが叫んだ。
「待て、待てい! この階段を上がったことがないモンはおるか!」
ちらほらと手が上がった。
「よおし、そいつらは、ぜったい階段には触れるなよ。それ以外の力自慢は、前へ出い!!」
ナキジンとカンタロウが、階下の皆を仕切る中、最初に駆け付けた人数は、いっせいに天秤へ手をかけた。
「リサたちは、こっちを持ってくれ!」
「うん!」
「みんな、せーのだ、せーので、担ぎ上げるぞ!!」
クラウドとヤン達五人が、黒曜石が積み上がったほうの皿と、皿をつりさげる鎖に手をかけた。リサとキラとアニタは、プリズムが乗った方の皿を三人で持った。アズラエルはルナの背に回り、ペリドットと一緒に、天秤棒をつかんだ。
セルゲイは、つかむところがなかったし、アンジェリカは、セルゲイとペリドットに止められた。
「バカ! おまえは階下にもどってZOOカードをつかえ! こんなところで産む気か!」
「アンジェちゃんはもどりなさい」
セルゲイが、アンジェリカを抱えて、階段を降りた。
「せーのっ!!!!」
「うおおおおおおおお」
「うがあああああああ!!!!!」
「なによコレ重おおおういいいいい!!!!!!」
「ピぎいイイイイイイイイイ」
絶叫が、宇宙と黒曜石の階段にひびいた。
――黄金の天秤の儀式が、今、始まろうとしている。
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