マクタバの目の前で、部屋いっぱいの光はやがて、空色をやどしながら、徐々にちいさくなっていく。

 つややかに磨き立てられた床に現れたものは。

 空色の光の中にあったのは、ひとかかえもある化粧箱だった。

 マクタバは、ほんとうにまだ、それがなんなのか分からなかった。

 「ユハラム様――これは」

 「受け取るがよい。そなたのZOOカードだ」

 「え!!!」

 マクタバは叫び、硬直した。

 「お受け取りなさい」

 ユハラムは、怯えたような彼女の顔を見て、もう一度言った。

マクタバは、何度もユハラムと化粧箱を交互に見、ユハラムが微笑みをたたえるばかりなのを見てやっと――ユハラムを何度も振り返りながら、おそるおそる、化粧箱に寄っていった。

 マクタバは、一メートルも離れたところで、止まった。そして、ゴーグルを動かしながら、しげしげと観察した。

 

 そこには、空を鏡で見ているかのような、この世のものとは思われぬ、うつくしい箱があった。透明な箱に空が映り込み、ゆったりと雲が流れている。見ているだけで心が晴れ渡るような青空だった。陶器の真白い錠には、女神のレリーフが彫られている。

 マクタバは、触るのがおそろしいような気がして、何度も触れようとしては、手をひっこめた。

 「マクタバ、そなたのZOOカードです」

 いつのまにかそばまで来たユハラムが苦笑していた。マクタバは、言葉まで失ったように、何度もユハラムを見た。

 「真砂名の神が、そなたを認めたのだ」

 「……!!」

 それでも、まだ触れることができないマクタバに、そっと寄り添い、ユハラムは告げた。

 「これから、太陽と真昼の神の神殿、月の女神の神殿、夜の神の神殿をめぐらねばならぬ。そなたはZOOの支配者となったのだから。そして、来年、そなたは地球行き宇宙船に乗る。アンジェリカさまとペリドットさま、ルナさまのもとで学ぶがよろしかろう」

 「う、うそ……」

 信じられなかった。マクタバには、まだ――。

 「うそではない。そなたは“パズルの設計者”。パズルはZOOカードのなかの占術とはいえ、そなたがさずかったものに変わりはない。時期が来れば、サルディオーネとして任命されよう」

 「ユ、ユハ、ユハラムさま……」

 「つつしんで、お受け取りなさい。おまえのものです」

 「わ、わたしの……?」

 マクタバはやっと、指先を箱に触れさせた。

 「わたしの……」

 

 マクタバは、王宮のまえで、パズルとカーダマーヴァ村を捨てた。パズルにかけたいままでの人生を捨てたも同然だった。

 まさか。

 まさか、ZOOカードがさずかることになるとは、思わなかった。

 

 ユハラムは、告げた。

 「アンジェリカさまも、そなたをお認めになったのですよ」

 「アンジェリカ、さまが」

 かつて、マクタバはアンジェリカに挑むような真似をした。それを許してくれるというのか。

 ――いいや。ZOOの支配者とは、大樹。

 最初から、マクタバを責めてなどいなかった。アンジェリカは、憐れんでいただけであった。

 マクタバをすべて見抜いていた。あの宇宙儀のサルディオーネのように。マクタバの焦りを、悲壮を、苛立ちを――すべてお見通しであったのだ。

 マクタバははじめて、恐れ多さに震えた。

 ZOOの支配者となるということは、アンジェリカのようであらねばならぬということである。マクタバは、果たして、自分が、自分を貶めたものを許せるか、分からなかった。

 

 「ああ」

 しかし今は、ZOOカードをいただいたことが、この上なく幸せだった。

箱に触れた指先を見つめ、そして、それが本物だとわかると――箱に覆いかぶさった。

 「ああ」

 それからは、言葉にならなかった。マクタバは、箱を抱きしめて、号泣した。

 窓の外にはハヤブサがいて、マクタバのむせび泣くのを見守っていた。

 

 

 

 「――おお」

 イルゼは目覚めた。

 長く床に伏していた彼女が目を開けたのを見て、そば仕えの娘は、「イルゼ様!」と喜びの声を上げた。

 「ケヴィンとアルフレッドを呼びなさい」

 イルゼは、死期が近づいた者とは思えない、はっきりした声で娘に告げた。

 

 明け方ちかくだった。双子はオルドにたたき起こされ、あくびをしながらシュラフから抜け出た。

 「さ、さっき寝たばっかりですよ……?」

 「呑気な奴らだ」

 オルドはあきれ声をこぼした。

 「イルゼという婆さんが、やっと起きたらしい。話を聞きに行くぞ」

 「……」

 「シャキっとしろ!」

 ぐずぐずしている双子の襟首をつかみ、オルドは立たせた。

 首長のほうの双子は、幾人かの戦士とともに、すでに集会場にいた。ケヴィン首長の顔色も、そう悪くはなかった。足を引きずってはいるが、しっかり立っている。

 カナコの姿は見えない。

 

 「なんていうか、俺たちとはくらべものにならないくらいイケメンで、高身長だよな」

 眠たげな顔のケヴィンは、首長ふたりを見ながら、ぼそりと、アルフレッドにだけ聞こえる声で言った。双子の弟も同意した。

 「僕たちの遺伝子が、なにがどうなってああなるのか、聞いてみたい気はする」

 「三千年もあったら、突然変異くらい起こすかもな」

 「三千年前は、僕たちもイケメンだったかも」

 「おまえも夢見たんだろ。イケメンで高身長だった?」

 「……残念ながら、今と同じずん胴で、やせチビで、ごくふつうの顔だったよ」

 「デスヨネ」

 双子が考えたことといえば、首長兄弟くらいイケメンだったら、ルナとミシェルをオトせていたのかなあということだった。

 「でも、あんな迫力あるイケメンだったら、マイヨもナターシャも、好きになってはくれなかったかも」

 「それはいえる」

 双子はそれで納得した。このくだらない会話がオルドの耳にも入っていたなら、ちぎれるくらい耳をひねりあげられていたかもしれない。

 

 「おはようございます、祖よ」

 「あ、あ、はい、おはようございます」

 首長をはじめ、ラグバダ族は、大柄な体を折り曲げて礼をした。都会育ちのほうの双子も、ふかぶかと礼をした。ラグバダ族は、ピーターたちにはかなりそっけないのだが、ケヴィンとアルフレッドにはずいぶん親切で態度がぜんぜんちがうので、双子は逆に居心地の悪い思いをしていた。

 今だって、挨拶をしたのは双子のほうに向かってだ。

 ピーターたちがあまりに気にしていないのが救いだった。

 「イルゼが目覚めました」

 首長兄弟は、やはり双子に向かって言った。

 「会っていただきたい」

 



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