「なにモンだ、アイツ!?」 ララを知らない階下の連中からは絶叫が上がり、チャンは額を押さえ、悠々と歩いてきたシグルスは、他人事とばかりに紅葉庵に居座り、茶をねだった。主を手伝う気は、まったくなさそうだった。 「なんだこりゃ重いじゃないか! 腰にクる! すこしは軽くなれ!!」 ただの八つ当たりである。ララが石炭を蹴り飛ばすと、半分くらいから、ガラガラと崩れて消えた。 「!?」 だれもが、目を丸くした。 ペリドットも真顔で、「……あいつすげえな……」とつぶやいた。 「これでいい」 ララはネクタイとシャツのえりもとを緩め、もう一度、天秤を担いだ。 「ララ、ララさ、あたし、おてつだ……」 ルナはあわあわして言ったが、ララは一蹴した。 「そのキレイな手に血豆なんぞつくってみろ! 許さねえぞ!」 「ぴっ!!」 はじめてララに怒鳴られたルナは涙目になり――それでも、鎖のはしっこをつかんだ。 フーッ、フーッと呼吸だけは荒いが、なんとララは、階段をあがった。 一歩。 二十五段目に上がり、石炭を消すために雷撃が皿を直撃したが、その衝撃に眉ひとつ動かさず、ふっとばされることもなく、次の段に足を踏み入れた。 「あいつ――なんなんだ」 「……」 オルティスもデレクも絶句し、カブラギは、 「あのまま頂上まで運んでくんねえかな」 と呑気に口笛を吹いた。 「ルナはピエロより重いものを持ったことがねえんだよ!!」 ララの叫びに、ルナはたしかにそうかもしれないと思った。ピエロは重かった。 「こんな、重いものは、」 言いながら、二十六段目に足を踏み入れた。ふたたび、いかづちが石炭を溶かしていく。 「おもい、ものは、」 「あっ!!」 いきなり現れた、怪力の不審人物の正体が、やっと皆の目に見えた。階段も空も黒いから――その黄金のすがたは、だれの目にも、はっきり見えた。 大路界隈をすっかり埋め尽くすような、巨大な八つ頭の龍が、天秤をつかんでいる。 「でっけえ……」 アストロスの武神を招く儀式のときも見たが、あのときより大きい気がした。商店街の住民たちも、その迫力に息をのむ。 「おも、重いものは……」 ララの、一度も汗をかいたことがないような、白皙の額からは汗がダラダラ流れ――シャツもビショビショだ。しずくが、ポタリと階段にこぼれた。 「ララさん、平気!?」 「……ちょっと無理かも」 二十七段目で、ララはガクリと膝をついた。同時に、天秤棒も、音を立てて転がった。 「すげえ……一人で三段あがった」 皆が生唾を飲み込んでいると、シグルスが叫んだ。 「クシラ様は、ひとりで十二段いったそうですよーっ!!」 「なんだとォーっ!?」 ララが立ち上がる。意味の分からない奇声を上げながら天秤棒をつかんだ。 「キエーッ! あたしだって、十二段くらい……」 ふたたび、地面に革靴がめりこみそうな勢いで階段を上がった。 「ええーっ!?」 階下の見物人の目は、飛び出た。 ララは負けん気であと二段上がったが、それ以上は無理だった。 「ララさんだいじょうぶ!?」 ルナは、そのまま顔面から倒れ込もうとしたララをあわてて支え、その美しい顔を黒曜石に強打させることなく、膝に乗せることに成功した。 「ああーっ、ルナのにおい、ルナの膝……至福」 だまって倒れるララではない。ルナに抱き付いて堪能したララだったが、シグルスが容赦なく引きずりに来た。 「おつかれさまでした、ララ様」 「ルナああああああ」 「ララさん! ありがとうーっ!!」 ララは紅葉庵まで連行されていった。階段を降りるまで足を引きずられたララだったが、しかたなく自分で立って、歩くことにした。特別オーダーの高級スーツはもはや、見る影もなく、セットした髪は乱れ、顔には泥がついていた。取り巻きが見たら悲鳴をあげる様相である。 歴戦の猛者たちも、ララが紅葉庵に入ってくると、さーっと道を開けた。ベンチで横たわっていたクシラが、汗まみれのララを見てゲラゲラ笑っている。 「おつかれさん」 ララはナキジンからお茶を受け取り、一気に干して、お代わりをもらった。そしてベンチに腰掛けた。シグルスが、さっと横に立って、ララの髪にくしを通す。手慣れたものだった。 「ルナにあんな重いものを担がせる人類なんて、どうかしてるよ!」 「おまえも一応、その中に入ってんだよ」 アズラエルは突っ込んだ。 「人類なんて、いっそあたしが滅ぼしてやる」 「君、いま何のためにがんばったの」 クラウドにまで突っ込まれる始末だった。 しかしながら、天秤は今、二十九段目に上がっている。予想外の珍客ではあったが、なんとかもうすぐ三十段目だ。 皆ははげまされたように湧き、次のチームがすかさず階段を上がった。 「みんな! がんばるぞ!!」 「オーっ!!!!!!」 野太い掛け声が、木霊する。 それからはしばらく、一段ずつコツコツ上げる作業がつづいた。やはり、容易には上がらなかった。皆にも限界がやってきたのか、それとも、ますます天秤が重くなっているのか――。 コツはつかめてきたはずなのに、なかなか思うように進んでいかないのだった。 「――あと、二日」 クラウドが腕時計を見て苦い顔をした。もうすぐ5月28日が終わろうとしている。ララが上がってから、たった五段しか進んでいない。やっと三十四段目に入ったところで、止まっていた。 大路には、行き倒れたように転がっている者もいたし、リサやキラ、シシーは限界がきて、紅葉庵のベンチで寝ていた。 クラウドは休まず動いているし、自分も一度持ち上げるほうに加わったが、さすがに手が震えてきた。ミシェルが、タオルで汗を拭きながら言った。 「無理すんなよ、クラウド」 「ああ」 「よし、つぎの助っ人まで、俺たちも頑張ろう」 「つぎの助っ人?」 三時間ばかり休んで復活したアニタが聞いた。 「まだ、だれか来るの」 「ああ。協力をあおいだ連中で、まだ来てないのがひと組いる」 「ああ、くそ、あちい」 「邪魔だ」 ヤンたちは、さすがにパンツ一丁にはならなかったが、ついにシャツを脱ぎ捨てた。今日はチャンも怒らなかった。なにせ、連続三回チームに入った彼が、真っ先に脱いだ。地面に手をついて、息を整えている。上半身をすっかりおおう、真っ赤な龍の入れ墨に、ロイドがドン引きしていた。 オルティスもTシャツを脱ぎ捨て、デレクのシャツと蝶ネクタイ、ベストはどこかへいった。フランシスも上半身裸で、大路のど真ん中に伸びている。K33区チームは、最初から半裸のような連中ばかりである。 ニックとベッタラは、ホースで頭から水をかけあっていた。アズラエルもいつのまにか脱いでいたし、アルベリッヒも、裸の胸にサルーンを乗せて、階段付近で気絶していた。 外観のむさ苦しさは増す一方だ。 脱いでいないのは、タケルとロイドくらいのものだった。 テオは意地でも脱ぐ気はなかった。セルゲイもだった。 「あの中で脱ぐ勇気はないな……」 「そうだね」 ペリドットの引き締まった、分厚い背中をながめて、テオが言った。セルゲイは同意した。チャンも細身ながら、ムキムキである。カブラギが、「あんたイイ身体してンなあ~」とペリドットの背中をペチペチ叩き、ちょっと距離を置かれていた。 汗まみれの男たちは、あちこちで上半身素っ裸。タトゥのオンパレードだ。 セルゲイは、手で扇ぎながらつぶやいた。 「わたしはタトゥもないし」 「タトゥはなくていいんですよ」 「――ミシェルかクラウドか、アントニオが脱いだら、わたしたちも脱ぐか」 「ですね」 と言っている二人のまえで、もどってきたアントニオとカブラギが「あちィーっ!」とうめいて脱ぎ出し、ふたりはそれを見て、あきらめた。 「クラウドか、ミシェルが脱いでからで」 「うん」 「カラフルだのう。ワシも負けん」 だいぶつかれてきたナキジンのぼやき。彼は一番派手なアロハシャツに着替えてきた。 |