『ピーター様、それだけはできません』

 L43では、ピーターがレドゥ大佐を説得している真っ最中だった。

 『あなたを置いて、われわれだけ撤退するなど』

 「L22に帰れと言ってるわけじゃない」

 『それは分かっています!』

 さすがに、レドゥ大佐は語気を荒げた。ピーターも、無理なことを言っているのは分かっていた。アーズガルド家当主を危険地帯に残したまま、この地をあとにするなど――ピーターになにかあったら、すべてはレドゥ大佐が責任を負うことになる。

 「レドゥ大佐、DLが、このトリアングロ・デ・ムエルタがはじまってから半数以上減っているのは分かってるよな?」

 『存じております』

 レドゥ大佐が気づいていないわけはなかった。彼は、今回の作戦に抜擢されるほどの、前線経験の長い優秀な指揮官である。

 『正確に申し上げれば、トリアングロ・デ・ムエルタがはじまってからではありません。二日まえのトリアングロ・デ・ムエルタで、一気に消滅したのです』

 「ほんとうか」

 船内では、DLの状況を、一秒たりとて目をそらさず見張っていた。二日前、トリアングロ・デ・ムエルタがはじまって一時間も経たないうちに、みるみるDLが消えていった。

 それはすでに、確認済みだった。

 戦艦では、住処をなくしたDLが襲撃してくることを予測して、いつでもピーターの保護に動けるよう、待機していた。

 『いつDLが攻撃してきても対応できるように、こちらでも備えてあります。ピーター様は、あとは部下に任せておもどりください――いいえ、できるなら、全員そろって撤退してください』

 「……う~ん、それはできかねる」

 『ピーター様!!』

 

 ピーターですら、この感情を持て余しているのである。ケヴィンたち双子は、「運命を感じる」のひとことで済ませることができたが、ピーターはそうはいかない。だが、ピーターもできるなら、その言葉をつかいたいのだった。

 つかえるわけなどなかったが。

 だが、ケヴィンたち双子もそうであるように、ピーターも、この地に呼び寄せられた気がしていた。

 自分は、いるべくして、この地にいる。

 だからまだ、もどるわけにはいかない。

 イルゼが言った、「銀の天秤を授かったものよ」という言葉も気にかかったが、彼女はそれ以上の説明をしてはくれなかった。

 けれども、なぜか、この地に向かおうと決意したときから、心は軽くなり、それに応じてか、身体も軽くなってきた気がするのだった。

 あわや世界滅亡かという最悪の現実を突きつけられているのに。

 飢えるほどに欲しかった眠りが、休息が、はじめてピーターにおとずれたことも、それを証明していた。

 このことも、ピーターがここのところ感じている異変のひとつであり、この地にとどまろうとする原因のひとつでもあった。

 どちらにしろ、首長たちが言ったとおり、このまま対策が見つからなければ、世界はトリアングロ・デ・ムエルタに見舞われ、どこにいようがピーターも皆も死ぬ。早いか遅いかだけのちがいだった。

 

 「レドゥ大佐、聞いてくれ」

 ピーターは、大きく息を吸って、吐いた。

 「もしDLがこちらへ来るとしたら、真っ先に向かうのはどこだ」

 『北海域近くの、小洞窟でしょうな』

 あそこが、DLの支配地域からもっともちかい。

 「そうだ。だがそこには、アダムとマックしかいなくて、しかも狭い。逃げ場はない。DLの襲撃を受け、彼らがそこから逃げてわれわれがいる大洞窟か、戦艦にもどったところで、その時点で、ルナの言ったトリアングロ・ハルディンはなくなる」

 レドゥ大佐の息遣いが止まった。

 「すなわち、君たちが待機している戦艦は、トリアングロ・デ・ムエルタから守られなくなるんだ」

 『……われわれに、どうせよと』

 「だから、星外に出て、待機」

 レドゥ大佐が、残り少ない髪の毛をむしっているような気配がした。

 『わたしの首は、あなたが飛ばしたのですぞ!?』

 「あとで文句は聞くよ。何時間でも――だから撤退してくれ、急いで」

 

 (ルナ)

 通信が切れてから、ピーターは、だれしもが何度となく口にしてきた疑問を、心中でこぼした。

 (君はいったい、何者なんだい)

 

 ピーターは、地球行き宇宙船にいたオルドを呼びもどすつもりだった。呼びもどすというよりかは、ロナウドがアンダー・カバーを捕らえた時点で、オルドの身柄を引き取るつもりだった。そして、自分のもとにもどるようオルドに言い聞かせ、それと引き換えにライアンたちも助ける――計画だった。

 だが、オルドはピーターの予想を外れ、だいぶ早い時期にアンダー・カバーを離脱して、帰ってきた。

 その理由をオルドは話したがらない。あまり多くを語りたがらないオルド。それはピーターも同様で、十年以上の歳月は、ふたりの距離をずいぶん隔てていた。

 

 けれども、ピーターはすべての理由をオルドの口から聞きたかった。なにもかもを、知ってはいても。彼が、クラウドに軍事惑星の現実とプラン・パンドラを突きつけられ、もどったことはピーターも知っていた。クラウドには、勲章をやってもいいくらいだ。

 

 なにもかも、ピーターは知っているのだ。

 オルドがなぜもどったか、どうしたいのか。

 ピーターは、オルド自身の口から、それを聞きたかった。

オルドが話さない代わりに、ピーターも、オルドに必要以上を教えなかった。

 それが、オルドを混乱させているのも分かっていた。

 

オルドがほんのわずかな本音を語ったのは、ユキトのディスクのおかげだ。あのディスクをふたりで見ているときに、オルドはぽつりと漏らした。ピーターが心配だったからもどったのだと。

その言葉がどれほど嬉しかったか、だれにも分かるわけはないだろう。

有頂天から、いきなり絶対零度に突き落とされたけれども。

ピーターが、このディスクはだれからもらったのだと聞いたとき、オルドは最初、口をつぐんだ。理由は分かった。ルナのことを、ピーターに教えたくないからだ。それは、ひとりの少女にほだされた自分が恥ずかしかったからではなくて、ルナにとって良くないことだと思ったからだった。

ピーターは、気持ちは分かったが、一瞬、心は冷えた。

オルドが、ピーターを用心し、ルナの存在を教えなかったことに。

もっともだと思う部分もあった。

自分は、オルドを手元にもどすためなら、ライアンたちをロナウドに売ることもできる。

十数年、軍人と傭兵という立場に分かれたことは、物理的な距離よりも、心の距離をひらかせていた、現実だった。

だがオルドは、ピーターを心配して、もどってきてくれた。

杞憂ではあっても。

それが、ほんとうにうれしかった。

ピーターは、オルドに本音を語らせたディスクをくれた恩人に、礼を言いたいだけだった。

 

だから、ピーターは、会うことを決めたのだ。――ルナに。

オルドには黙って。

 

社交辞令に見えようが、ひとこと礼を言って、ついでと言ってはなんだが、アダムたちをルナに会わせて、だまってもどるつもりだった。しかし、ルナの顔を見たとたんに、ピーターは、この少女と一日、なんの理由もなく過ごしてみたいと思ったのだった。行き当たりばったりに。ピーターとルナではなく、まったく何も知らない、初対面の人間同士で、話してみたかった。

結局、礼らしい礼は言えなかった。ピーターは、自分の名を名乗るどころか、偽名までつかった。

ルナには「オルドから聞いた」と言ったが、実際、ルナの情報は、ほとんどララやシグルス、カレンからのものだ。オルドからの電話で正体はバレたが、ルナの態度は変わらなかった。

 

たしかに――ルナはただものではなかった。

ピーターは眠った。はじめて。夢も見ず。

彼女の懐につつまれるようにして。

 

ルナが、眠らせてくれた。

ルナが、オルドに本音を語らせてくれた――あの、たった一枚のディスクで。

そして――これは、ほんとうかどうかは分からないが。

ルナは、眠りを妨げていたなにかを、持っていってくれようとしているのではないか。

 

『あなたの天秤、もらってあげる』

ルナは言った。

『黄金の天秤――重いでしょ』

 

あのときは、さっぱり意味が分からなかった。ただ、彼女が天秤を欲しがっているのだと思った。変わったものをほしがるなあと思ったが、彼女は欲しがったのではなかったのだ。

(ルナ、どうやら、俺が持っているのは、銀の天秤だったようだよ)

それは、軍事惑星で割れたのだとケヴィン首長は言っていたが。

ピーターは逆に、割れてよかったと思えるのが不思議だった。世界が滅びそうだというのに。なにせ、ピーターがここ数日感じているのは、まさに重荷を下ろした――という感覚だったからだ。

たとえて言うなら、長年担ぎつづけてきた天秤を、肩からようやく下ろしたような――。

おかしなことを言っているのは分かっている。

だが、それしか表現のしようがないのだ。

 

天秤は、ルナに譲った。銀ではなく黄金にしたけれど。

その「黄金の天秤」が、なぜか今、世界の命運を背負って活躍している。

 

(俺は、見届けようか、君の代わりに)

――世界が救われる、その瞬間を。

 

 



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