二百二十五話 月



 

 シャイン・システムで真砂名神社手前――吉野がわの扉から出たピエトとツキヨは、階段のほうを見て、絶句した。

 「――ルナ!」

 ツキヨは思わず、口を覆った。上空に、幾重ものいかづちが鳴り響く階段の中央近く、ルナが天秤にもたれかかるようにして、倒れていた。大勢の人間が、ルナごと天秤を持ち上げようと、四苦八苦している。

 その天秤の片方の皿には、おもわず息をのむほどの黒い石が、塔のように積み重なっているのだった。

 「ルナ!!」

 叫んで駆けつけようとしたピエトは、ミシェルに止められた。

 「ミシェル兄ちゃん」

 「落ち着け――ルナは無事だ。ただ、つかれて寝てるだけ」

 

 「ピエトォ!!」

 ネイシャも、紅葉庵のほうから駆けてきた。タンクトップとショートパンツ姿のネイシャは、汗まみれで、髪もボサボサ。身体のあちこちに擦り傷をつくっていた。

 「おまえ、だいじょうぶかよ」

 ピエトは思わず言った。ネイシャはニッと笑った。

 「あたしはまだ元気。みんなズタボロだけど」

 見れば、ミシェルもシャツの腕をまくり、顔は薄汚れていて、スラックスも泥だらけだった。

「みんな、なにをしてるの」

 「あの天秤を、頂上までみんなで運ばなきゃいけないんだ」

ネイシャは肩をぐりぐり回しながら言った。

「よかった――ピエトもツキヨおばーちゃんも来てくれて。みんなもう、けっこう限界……」

よく見ると、階段下に、たくさんの人間が行き倒れている。最初からがんばっていたヤン達五人や、オルティスやフランシス、デレクは、大路にひっくり返っていた。

 「いったい、なにが――」

 ツキヨの言葉は、そこまでで消えた。

五月も末だというのに、急に肌寒い空気が階段のほうから吹いてくる。真冬のつめたさだ。身を震わせていると、ビキビキと、吉野のほうまで薄い氷の膜が張ってきて、おもわずピエトとネイシャは飛び跳ねて避けた。

 「ペリドットさんだ」

 「え?」

世界が氷結されたもとは――石炭が積み上がった皿だった。氷の塔と化している。

 ピエトが絶句してそれをみつめていると、パキッとひび割れる音がした。離れたピエトたちのほうまでそれは聞こえてきた。

 黒石の三角柱は、氷ごと、みるみる中央部分から砕けて結晶化し、消えていく。

 「それーっ! いまだ、上げろ!!」

 ペリドットがルナを抱きかかえ、女たちが、天秤を押し上げていた。そのなかにはエマルの姿もあった。

 「エマル……!」

 ツキヨが、娘の名をつぶやいた。

 

 

 

 「じゃあ、アンタら、地球行き宇宙船にいたのか?」

 「ソ、ソルテさんも!?」

 「今期のか? あ、いやつまり――いま、地球に向かってるやつ」

 「そうです!」

 ケヴィンは思わず大きな声を出して、あわてて身を縮めた。

 疲れはてた双子が、洞窟のすみで、こっそり身を寄せ合って、携帯電話を見つめていた矢先だった。レーションとミネラルウォーターを持ったソルテがやってきて、双子の隣に座り込み、話しかけてきた。

 「よお。ゆっくり眠れた?」

マヌエラはともかく、ジンもオルドも怖いし、ピーターはどことなく威厳があって話しかけづらいし、マックはゲームに夢中だし――それに、軍の者は、彼らだけで固まって、このあとのことを算段している。ケヴィンたち双子に出る幕はないので、すみにかくれていたのだった。

双子は、ソルテがもとDLだと言われても、あまり怖さの度合いも分からない。ずいぶん人なつこく話しかけられて、緊張もすぐに解けた。もともとだれとでも仲良くなれることだけが得手のケヴィンは、真っ先に笑顔になった。

 ソルテは、「あんたらどこから来たの。軍人じゃねえな」とマヌエラと同じようなことを言い、「俺たちはL52から来ました」とケヴィンが言うと、目を丸くした。

 「L52!? なんでまた――」

 驚かれるのは無理もない。双子は、変わりばんこに、ここへ来る原因となった出来事を話した。

 オルドとは、バンクスを捜しに軍事惑星へ来たときに知り合ったのだが、彼が親身になってたすけてくれたのは、自分たちの友人が、オルドの恩人だったことが原因だ。そして、その友情は、地球行き宇宙船での出会いがきっかけだというと、ソルテは目を丸くした。

 そして言ったのだ。自分も、地球行き宇宙船に乗っていたと。

 

 「ははあ~、あんたたちも、地球行き宇宙船にねえ」

 ソルテは何度もうなずき、

 「俺たちは、K16区に住んでいたんだ」

 「K16区……」

 「娘と乗ったからね。まわりも親子連ればっかだったなァ」

 「そうですか。俺たちは、K27区にいました」

 「へえ……マタドール・カフェなら、行ったことがある」

 「あっ、し、知っています!」

 マタドール・カフェには、娘と行ったことがあると、ソルテは話した。彼の話しぶりで、双子はすぐに分かった。彼が娘を――ルシヤという名のひとり娘を、とても大事に思っていることを。

 「ふたりでよく、中央区ちかくの――K12区だっけ? ショッピングモールに行ったよ。俺たちゃどこかで、すれ違っていたかもしれねえな」

 「そうですね。俺たちも、ショッピングモールにはよく行きました」

 こんなところで、地球行き宇宙船の思い出話をすることになろうとは。不安と恐怖でくたびれていた双子は、すこし救われた気がした。

 

「K27区か……」

ソルテは少し考えたあと。

「ルナって子――知らねえよな?」

「ルナっち!?」

また、ルナの名が、初対面の人間の口から出た。

ケヴィンは悲鳴のような声を上げた。ギラリとオルドがこちらをにらんだ気がして、あわてて首をひっこめた。

「知ってる?」

ソルテは、自分で聞いておきながら、驚いた顔をした。

「ル、ルナっちと知り合いですか」

「ルナって名前はめずらしくもない。俺の知ってるルナと、アンタの友人は一緒かな?」

たしかに、ルナという子は、K27区にもうひとりいた。

「アズラエルという、傭兵が恋人の、ルナっちですけど……」

アルフレッドが恐る恐る言うと、「マジ!? ビンゴ!」とソルテが叫んだ。

ルナという名前はめずらしくもないが、アズラエルという傭兵が恋人のルナは、ひとりしかいないだろう。

「アズラエルも知ってるってことは、じゃあ、クラウドは? グレンやセルゲイ! バンビに、オトガイに――シュナイクル!」

ソルテは矢継ぎ早に名を上げた。

「俺の娘と同じ、ルシヤって名の子も、」

「最初の四人は、知ってます」

アルフレッドが、うなずいた。だが、バンビ以降の名は、知らない。

 

「内緒だぞ――ぜったい、ここだけの話」

ソルテは双子に顔を寄せて、声を低めた。ピーターたちのほうを気にしながら。

「ルナは、俺の娘の、ルシヤの命の恩人だよ」

双子は、目を見開いた。

「そんで、クラウドとバンビって男は、俺の恩人だ……」

ソルテは、目を細めて両手を見つめた。

「ハンシックの連中と、ルナたち……あいつらがいなかったら……」

俺も娘も、今、ここにはいねえ。

ソルテは、つぶやいた。

 

オルドもだったが、まさか、こんなところで、またルナのことを恩人だという人間に出くわすなんて。

ケヴィンとアルフレッドは、地球行き宇宙船がL系惑星群にもどってきたら、なにがなんでもルナと会わなければならないと決意した。

それまで、L系惑星群が救われていればの話だが――。

 

 「そ、そのバンビって人は知らないけど」

 アルフレッドは言った。

 「僕たちは、バーベキューパーティーをしたんです。そこで、クラウドさんたちとも知り合った」

 「ええっ!? バーベキューなんかしたの。いいなァ」

 ソルテは、本気で羨ましそうな顔をした。

 「ハンシックで?」

 「い、いいえ。K27区の公園で」

 「いいなァ。いつごろ? ――俺たちは、はやい時期に降りることになったから。降ろされちまったんだ。そうだな――リリザを過ぎた、その先だ。ほんとうは、地球に行きたかったんだが」

 「バーベキューパーティーは、年が明けて、二月のことです」

 「じゃあ、俺たちはもういねえな」

 ソルテは苦笑いした。そして聞いた。

 「――ルナは元気」

 「はい!」

 ケヴィンはうなずいた。

 ソルテは、「そうか、よかった」と言って笑った。

 



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