シャイン・システムで真砂名神社手前――吉野がわの扉から出たピエトとツキヨは、階段のほうを見て、絶句した。
「――ルナ!」
ツキヨは思わず、口を覆った。上空に、幾重ものいかづちが鳴り響く階段の中央近く、ルナが天秤にもたれかかるようにして、倒れていた。大勢の人間が、ルナごと天秤を持ち上げようと、四苦八苦している。
その天秤の片方の皿には、おもわず息をのむほどの黒い石が、塔のように積み重なっているのだった。
「ルナ!!」
叫んで駆けつけようとしたピエトは、ミシェルに止められた。
「ミシェル兄ちゃん」
「落ち着け――ルナは無事だ。ただ、つかれて寝てるだけ」
「ピエトォ!!」
ネイシャも、紅葉庵のほうから駆けてきた。タンクトップとショートパンツ姿のネイシャは、汗まみれで、髪もボサボサ。身体のあちこちに擦り傷をつくっていた。
「おまえ、だいじょうぶかよ」
ピエトは思わず言った。ネイシャはニッと笑った。
「あたしはまだ元気。みんなズタボロだけど」
見れば、ミシェルもシャツの腕をまくり、顔は薄汚れていて、スラックスも泥だらけだった。
「みんな、なにをしてるの」
「あの天秤を、頂上までみんなで運ばなきゃいけないんだ」
ネイシャは肩をぐりぐり回しながら言った。
「よかった――ピエトもツキヨおばーちゃんも来てくれて。みんなもう、けっこう限界……」
よく見ると、階段下に、たくさんの人間が行き倒れている。最初からがんばっていたヤン達五人や、オルティスやフランシス、デレクは、大路にひっくり返っていた。
「いったい、なにが――」
ツキヨの言葉は、そこまでで消えた。
五月も末だというのに、急に肌寒い空気が階段のほうから吹いてくる。真冬のつめたさだ。身を震わせていると、ビキビキと、吉野のほうまで薄い氷の膜が張ってきて、おもわずピエトとネイシャは飛び跳ねて避けた。
「ペリドットさんだ」
「え?」
世界が氷結されたもとは――石炭が積み上がった皿だった。氷の塔と化している。
ピエトが絶句してそれをみつめていると、パキッとひび割れる音がした。離れたピエトたちのほうまでそれは聞こえてきた。
黒石の三角柱は、氷ごと、みるみる中央部分から砕けて結晶化し、消えていく。
「それーっ! いまだ、上げろ!!」
ペリドットがルナを抱きかかえ、女たちが、天秤を押し上げていた。そのなかにはエマルの姿もあった。
「エマル……!」
ツキヨが、娘の名をつぶやいた。
「じゃあ、アンタら、地球行き宇宙船にいたのか?」
「ソ、ソルテさんも!?」
「今期のか? あ、いやつまり――いま、地球に向かってるやつ」
「そうです!」
ケヴィンは思わず大きな声を出して、あわてて身を縮めた。
疲れはてた双子が、洞窟のすみで、こっそり身を寄せ合って、携帯電話を見つめていた矢先だった。レーションとミネラルウォーターを持ったソルテがやってきて、双子の隣に座り込み、話しかけてきた。
「よお。ゆっくり眠れた?」
マヌエラはともかく、ジンもオルドも怖いし、ピーターはどことなく威厳があって話しかけづらいし、マックはゲームに夢中だし――それに、軍の者は、彼らだけで固まって、このあとのことを算段している。ケヴィンたち双子に出る幕はないので、すみにかくれていたのだった。
双子は、ソルテがもとDLだと言われても、あまり怖さの度合いも分からない。ずいぶん人なつこく話しかけられて、緊張もすぐに解けた。もともとだれとでも仲良くなれることだけが得手のケヴィンは、真っ先に笑顔になった。
ソルテは、「あんたらどこから来たの。軍人じゃねえな」とマヌエラと同じようなことを言い、「俺たちはL52から来ました」とケヴィンが言うと、目を丸くした。
「L52!? なんでまた――」
驚かれるのは無理もない。双子は、変わりばんこに、ここへ来る原因となった出来事を話した。
オルドとは、バンクスを捜しに軍事惑星へ来たときに知り合ったのだが、彼が親身になってたすけてくれたのは、自分たちの友人が、オルドの恩人だったことが原因だ。そして、その友情は、地球行き宇宙船での出会いがきっかけだというと、ソルテは目を丸くした。
そして言ったのだ。自分も、地球行き宇宙船に乗っていたと。
「ははあ~、あんたたちも、地球行き宇宙船にねえ」
ソルテは何度もうなずき、
「俺たちは、K16区に住んでいたんだ」
「K16区……」
「娘と乗ったからね。まわりも親子連ればっかだったなァ」
「そうですか。俺たちは、K27区にいました」
「へえ……マタドール・カフェなら、行ったことがある」
「あっ、し、知っています!」
マタドール・カフェには、娘と行ったことがあると、ソルテは話した。彼の話しぶりで、双子はすぐに分かった。彼が娘を――ルシヤという名のひとり娘を、とても大事に思っていることを。
「ふたりでよく、中央区ちかくの――K12区だっけ? ショッピングモールに行ったよ。俺たちゃどこかで、すれ違っていたかもしれねえな」
「そうですね。俺たちも、ショッピングモールにはよく行きました」
こんなところで、地球行き宇宙船の思い出話をすることになろうとは。不安と恐怖でくたびれていた双子は、すこし救われた気がした。
「K27区か……」
ソルテは少し考えたあと。
「ルナって子――知らねえよな?」
「ルナっち!?」
また、ルナの名が、初対面の人間の口から出た。
ケヴィンは悲鳴のような声を上げた。ギラリとオルドがこちらをにらんだ気がして、あわてて首をひっこめた。
「知ってる?」
ソルテは、自分で聞いておきながら、驚いた顔をした。
「ル、ルナっちと知り合いですか」
「ルナって名前はめずらしくもない。俺の知ってるルナと、アンタの友人は一緒かな?」
たしかに、ルナという子は、K27区にもうひとりいた。
「アズラエルという、傭兵が恋人の、ルナっちですけど……」
アルフレッドが恐る恐る言うと、「マジ!? ビンゴ!」とソルテが叫んだ。
ルナという名前はめずらしくもないが、アズラエルという傭兵が恋人のルナは、ひとりしかいないだろう。
「アズラエルも知ってるってことは、じゃあ、クラウドは? グレンやセルゲイ! バンビに、オトガイに――シュナイクル!」
ソルテは矢継ぎ早に名を上げた。
「俺の娘と同じ、ルシヤって名の子も、」
「最初の四人は、知ってます」
アルフレッドが、うなずいた。だが、バンビ以降の名は、知らない。
「内緒だぞ――ぜったい、ここだけの話」
ソルテは双子に顔を寄せて、声を低めた。ピーターたちのほうを気にしながら。
「ルナは、俺の娘の、ルシヤの命の恩人だよ」
双子は、目を見開いた。
「そんで、クラウドとバンビって男は、俺の恩人だ……」
ソルテは、目を細めて両手を見つめた。
「ハンシックの連中と、ルナたち……あいつらがいなかったら……」
俺も娘も、今、ここにはいねえ。
ソルテは、つぶやいた。
オルドもだったが、まさか、こんなところで、またルナのことを恩人だという人間に出くわすなんて。
ケヴィンとアルフレッドは、地球行き宇宙船がL系惑星群にもどってきたら、なにがなんでもルナと会わなければならないと決意した。
それまで、L系惑星群が救われていればの話だが――。
「そ、そのバンビって人は知らないけど」
アルフレッドは言った。
「僕たちは、バーベキューパーティーをしたんです。そこで、クラウドさんたちとも知り合った」
「ええっ!? バーベキューなんかしたの。いいなァ」
ソルテは、本気で羨ましそうな顔をした。
「ハンシックで?」
「い、いいえ。K27区の公園で」
「いいなァ。いつごろ? ――俺たちは、はやい時期に降りることになったから。降ろされちまったんだ。そうだな――リリザを過ぎた、その先だ。ほんとうは、地球に行きたかったんだが」
「バーベキューパーティーは、年が明けて、二月のことです」
「じゃあ、俺たちはもういねえな」
ソルテは苦笑いした。そして聞いた。
「――ルナは元気」
「はい!」
ケヴィンはうなずいた。
ソルテは、「そうか、よかった」と言って笑った。
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