「ケヴィン君、アル君、先に行って!」
マヌエラは、双子に、皆と一緒に行くよううながした。
「マヌエラさんは!?」
「ピーター様を置いてはいけないもの!」
そういって、ピーターの背を見つけて走っていった。
「マヌエラさん!」
ケヴィンたち双子は、集団に巻き込まれるように、洞窟の通路へ流されていった。
「トリアングロ・ハルディン(幸運の三角形の庭)」
イルゼの手元で、ちいさなムンド(世界)が形成される。それは洞窟全域の世界を表わしていた。天秤の部屋の三ヶ所には、イルゼの従者である三人の少女が――「幸運」と「運が良い」という語句を頭文字にもつカードの人間が、配置されていた。
「ブエナ・スエルテ(幸運)」
集会場に残る戦士たちと、逃げる民に幸運の呪文をかけ、
「ムダールセ(移動)」
なるべく早く逃げられるように、民の足を速めた。渋滞を起こさぬように、すみやかに、避難できるように。
「セリャド(封印)」
動物たちの猛攻をおさえるシェルターの扉を強固にし、
「デサストレ(災厄)、ラ・ムエルテ(死神)、……ビブラシオン(振動)」
と、立てつづけに負の呪文を唱えて、動物たちの進攻を止めた。
「限界も、ありましょうが」
これですこしは、時が稼げるはず――。
イルゼの額には、びっしりと汗が浮いていた。
「イルゼ様」
そば仕えの少女が、イルゼの汗を拭いた。
そのあいだにも、つぎつぎに民は鍾乳洞へ入ってきた。ムダールセ(移動)呪文のおかげで、かなり流れがよくなったが、なにせ、扉がひとつしかないのだ。
「どうかみなさん! すみやかに、奥へ!」
トリアングロ・ハルディンとなった少女たちが声で誘導している。民は、入ってきた順番に、奥のほうへと追いやられた。
「ママレード博士! えっと、」
ケヴィンたち双子は、入ってすぐに、カナコとママレード博士に会った。
「カナコよ」
カナコの顔は青ざめていた。
「ケヴィンは!?」
彼女が、首長のほうのケヴィンを心配しているのは分かっていた。
「まだ、集会場のほうに、」
ケヴィンの言葉が終わらないうちに、彼女は人の流れに逆らって、集会場へ走っていた。
「青銅の天秤が、なにやら、最期のときを迎えている気がします」
ママレードは、目をぎらつかせながら、天秤のほうへ歩いて行った。双子は、イルゼのいる天幕に駆け付けたが。
「イルゼさん……」
「なりません! ばば様は、祈祷中です」
ふたりの少女に、はばまれた。双子は、おずおずと、洞窟のすみに寄った。なるべく、邪魔にならないように。
「祖だなんだと言ったって、俺たちにできることなんか、なにもありゃしないよ」
ケヴィンは絶望的な声を上げた。
「いったいなんで、俺たちはここにいるんだ」
ケヴィンの問いに、アルフレッドは青ざめた顔で言った。
「僕たちがかつて、バラスからあずかった青銅の天秤を、ここに残したのなら」
ふたりは、イルゼに会ったあとすぐに聞いた、バラスの伝説を思い出していた。
「最期を見届けるために来たんだよ――きっと」
「それは、青銅の天秤と一緒にほろびるってことなの」
「……」
アルフレッドは、なにも言わなかった。彼も目にいっぱい涙をためて、うつむいていた。
そうこうしているうちに、鍾乳洞は、大勢の人間で埋まった。戦士たちがきて、ピーターやオルドたちの姿が見え、カナコとともに、首長ふたりが入ってきた。
「みな、怯えるな」
首長は大声で叫んだ。
「まだ動物たちは、集会場には入ってきておらぬ」
イルゼの術式は、動物たちの猛攻を食い止めていた。
動物たちは、足場を襲うなぞの振動に歩みを止め、行き詰まりを起こし、倒れていった。けれども、先に倒れた生き物たちの、そのすき間を縫って、動物たちは進みゆく。
どこまでも――果てにたどり着くまで。
13日が経過するまで、もう一日もない。ケヴィンは腕時計を見て、青ざめた。
ルナたちは――黄金の天秤は――間に合わなかったのだろうか。
ケヴィンは、震える手で、携帯電話のボタンを押していた。最期に、マイヨの声を聞きたいと思ったのだ。だが、混乱した頭と震える指先は、電話帳から、マイヨの番号ではなく、なぜか、ルナの屋敷の電話番号を選び出していた。
アニタがちょうど、屋敷に帰ってきていたときだった。
いきなり雨に降られ、全身ビショビショになってしまったのだった。大路で寝ていた者も、大粒の雨に打たれて飛び起きた。けっこうな豪雨だった。なぜ、こんなときにと皆は嘆いたが、これは、気象部にもどうにもならない天候だった。
どうしようもなかった。アニタはリサたちの分も含め、着替えを取りに来た。
五月末、暑くなってきた頃合いなのに、紅葉庵ではストーブが出た。ペリドットを守護すると言ったエタカ・リーナ山岳の神が出てくると、周囲は一気に真冬の季節と化す。それもあって、吉野と紅葉庵ではありったけのストーブが焚かれたが、おかげで服も、よく乾いた。
アニタは、キラに言われて、キラの部屋からありったけのTシャツを持ち出し、駆け下りてきたところだった。ひとりひとりのお気に入りの服など用意している余裕はない。せめてTシャツだけでもと、いちばん持ち服の多いキラが、そう言ったのだった。
シャイン・システムに飛び込もうとしたときに、電話が鳴った。
「このたいへんなときに、だれ!?」
無視してもよかった。くだらない電話だったらすかさず切るつもりで、アニタは電話を取った。
「もしもし!?」
すさまじい形相で叫んだ。
『……ア、アニタさん?』
電話の向こうで泣きじゃくっているのがだれか、アニタは分かったとたんに、「ケヴィン!?」と叫んでいた。
ケヴィンも、どうしてアニタにつながったのか分からなかった。マイヨに電話したはずなのに。だが、電話の向こうにいるのは、なぜかアニタだった。
『あ、あれ――?』
どうして、今、ケヴィンが電話を。泣いている気がする。なんというタイミングだ。話を聞いてあげたいのは山々だが、今はそんな場合ではなかった。
「ケヴィンごめん、いま忙しいのよ! あとで電話するから――」
ケヴィンは号泣しながら叫んだ。
『ルナッち、ルナっちは!? 黄金の天秤は、どうなったんですか!? 俺たちこのまま死んじゃうの?』
アニタは絶句した。どうしてケヴィンが黄金の天秤のことを知っているのか、分からなかったからだ。
『俺今、L43にいるんです――ぎゃあ!!』
「ケヴィン!?」
ケヴィンの悲鳴が聞こえて、アニタはあわてた。
いまケヴィンは、L43と言わなかったか?
L43は、トリアングロ・デ・ムエルタのはじまりの地。
そこから世界にひろがるかもしれないトリアングロ・デ・ムエルタを食い止めるために、いまアニタたちはがんばっているのである。
どうして、そんなところにケヴィンが?
なぜ?
まったく結びつかず――想像もできなかった。
「ケヴィン、大丈夫!?」
『だ、だ、だ……』
悲鳴が上がったのは、ちょうどそのとき――鍾乳洞に、真っ黒な柱が食い込んできたからだった。天井に穴をあけ、まっすぐに突き刺さってきた。
それがアリの足だということに、ケヴィンたちは、すべてが終わってから気づくのだ。
アリの足にくっついていたちいさなトラがいっしょに落ちて来たのを見て、あちこちから悲鳴が上がり――ソルテがこちらに飛びついてきたのをすかさず電撃で焼き殺し、戦士たちは銃を撃った。
「おまえら、俺から離れるな!」
まさしく、ケヴィンたち双子すれすれの場所に、アリの足は突き刺さっていた。
電話の向こうから聞こえてくる崩落の音、銃の音――ただごとでないのは、アニタにもわかった。
「あ、あんたたち、どこにいるの……」
『青銅の天秤がある、バラスの洞窟にいるんだよお!!』
「ウソでしょ!?」
アニタの眼窩から目が飛び出た。
『ウソじゃない! ホントだよ――トリアングロ・デ・ムエルタが、もう、そこまで……』
ケヴィンはしゃくりあげていた。
『お、お、俺、俺たち――俺たち――死んじゃうの』
「……!」
ケヴィンの悲壮な声に、アニタは絶叫した。
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