「なんだかよくわかんないけどね、あたしたちだって、頑張ってるのよ!!」
天秤を担いでいたとき以上に、アニタのこめかみには血管が浮いていた。
「なんとかなるわよ、なんとかなる! ずっとあたしはそう言ってきたでしょ、あんたたちに!!」
アニタは、資金が足りなくて、無料パンフレットの存続が危ぶまれたときも、どんどん皆が降りて行って、サークルの人数が少なくなっていっても、あきらめなかった。そう言って、皆を励まし続けてきた。
『アニタさ……』
なにを思ったか、ソルテが、ケヴィンの携帯の音量を最大にした。アニタの声は、洞窟内に響き渡った。
「ルナちゃんも頑張ってる!! この四日、天秤をにぎりっぱなし! 気絶しては起きて、天秤を運んでるわ。頂上は遠いけど――ほんと遠いし、天秤は底抜けに重いわ! 痔になりそう! でも、ぜったい間に合う!! 上げてみせる! あと数時間だけど、ぜったい――あたしも、屋敷のみんなも、クシラも、知らない人も、ヒューマノイドまでそろってがんばってる! 上がらないはずがないわ、ぜったいよ!!」
アニタの大声は、ケヴィンたち双子だけでなく、洞窟内にいる皆にも、元気と希望を植え付けていくようだった。イルゼも、それを微笑みながら聞いていた。
「デッドなんとかとかよくわからないけど、みんなでやったら、なんとかなると信じてる!」
アニタの声も急に涙交じりになった。
「このあたしに――このあたしにカレシができたんだよ!? 信じられる!? このあたしにカレシができるくらいの奇跡が起きるんだから、なんとかなるわよぜったい!!!!」
『アニタさん……』
「この宇宙船は奇跡が起きるの!! その、奇跡が起こる場所に、天秤はあるのよ! そして、あたしなんかにも奇跡を起こしてくれたみんなががんばってる! だから、信じて待ちなさい!!」
『う――うん』
アニタは鼻水も涙も一緒くたに、Tシャツでぬぐった。
「じゃ、これから、あたしもまた担ぎに行ってくるから。――あんたたちも、がんばんなさい」
電話は、切れた。
「アニタ……アニタさん……」
アルフレッドが、号泣していた。ケヴィンも、涙をこらえた。
なんとかなる。
そうだ――ルナたちも、地球行き宇宙船で、がんばっているのだ。
「今のは、地球行き宇宙船から?」
ピーターが真横にいたので、ケヴィンは「うわっ」と尻ずさった。ピーターは苦笑した。
「ごめんごめん。ルナと喋ってたの」
「ちがいます……アニタさんってひとです。俺が、宇宙船で無料パンフ発行してたときの、編集長さん……」
「天秤を運んでいるって? そう言ってなかった」
「あ、はい……」
「黄金の天秤を運んでいる? いったい、どんなつかいかたをしているんだ?」
気づけば、ケヴィンたち双子は首長らにも囲まれ、おおぜいの視線を浴びていた。
「天秤を――運ぶ。地球行き宇宙船で――頂上?」
ピーターは、ふと、思いついたようにつぶやいた。
「まさか、真砂名神社の階段を上がっているのか?」
オルドもはっとした。
「おまえが上がったっていう、罪を減らしてくれる階段か?」
「なんだそりゃ」
ジンは聞いた。ピーターは、「これは推測だが」と前置きして、言った。
「地球行き宇宙船の真砂名神社というところの階段は、上がった者の前世の罪を許すというつくりになっている――もしかしたら、ルナたちは、その階段を上がっているのかも」
黄金の天秤を、担いで。
そこで、首長ふたりも、そしてソルテも、ようやく分かった。
「まさか、黄金の天秤に、人類の罪を乗せて上がっているのか――!?」
皆の顔が見合った瞬間だった。
「首長! イルゼ様が――」
――日付が変わるまで、あと三時間。
日付が変われば、13日が過ぎ、世界をトリアングロ・デ・ムエルタが襲いはじめる。
アニタは、階段の真ん中で倒れていた。意識はなかった。
アニタだけではない。大勢の人間が、大路、階段、あるいは店舗の中で倒れていた。意識のある者も、もう、一歩も動けなかった。ベンチや地面に座り込み、顔も上げられないでいた。声を出すことも、できなかった。
いきなり降りだした雨は、想像以上に皆の体力を奪っていった。
ルナは、うつろな意識の中で、なんとか重いまぶたを開けた。もう時間など分からなかった。皆の気合や、叫びや、「せーの」という掛け声だけが、耳の奥で反響していた。
ただ、これだけは分かっていた。身体をねじって頂上のほうを見る。雨でぼやけた目は、寿命塔の数字まで見えなかったが、分かっていた。
まだ、目的地である青い球体は、見えていない。
つまり、リミットは来ていない。
右手には、褐色の大きな手が重なっていた。アズラエルが、天秤棒につかまって白目をむき、ピエトがルナの左隣で倒れていた。
「ピ、ピエ……」
ごめんね。
ルナの目から涙がこぼれた。
やはり、無理だったのだろうか。
ペリドットやアンジェリカ、イルゼが決意したように、大勢の犠牲がなければ、本来ならば救われなかったはずの罪は、そう簡単には消えないのだろうか。
(みんな――みんな、腕が千切れそうなほど、がんばったのに)
足元を見れば、ペリドットやアントニオ、屋敷の皆が、ぐしょぐしょに汚れて気絶していた。ルシヤも、ルナの足元を守るように、折り重なって倒れている。
(起きなきゃ)
ルナの腕は、天秤に硬直したまま動かない。
(運ばなきゃ――天秤を)
あたしひとりでも。
だが、身体は、動かなかった。
ふと、ルナは気づいた。ルナの背は、つめたくなかった。
だれかがルナを後ろから守るように抱きかかえ、仰向けに倒れていた。
ルナの腹に回った腕は、痩せ枯れている。いままで、ルナと天秤を、力強く引き上げつづけた男たちの腕ではない。
「ツキヨ、おばーちゃ、」
ルナは声を出そうとしたが、出なかった。雨に濡れたツキヨはすっかりつめたくなっている。
「おばーちゃ、おばーちゃ……」
ルナは泣いた。必死で手を動かして、アズラエルを揺すった。
「アズ、アズ……」
だれか来て。アズ、ペリドットさん、クラウド、おばーちゃんを助けて。
おばあちゃんを、病院に連れていって。
だれも起きなかった。
「おばーちゃ……」
ルナは、雨を浴びながら、意識を失った。
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