――地球に、着いたのだろうか。
世界はどうなったのか。救われたのか。みんなはどうなったのか。
ルナはひとりで、砂地にたたずんでいた。
夕日が沈もうとする海を眺めていた。見たことのない海だった。故郷でも、地球行き宇宙船の海でも、E353でも、アストロスの海でもなかった。
夕日に照らされて、岸辺がキラキラと光っていた。
ルナは、そのきらめきが、まるで涙のように見えた。
(あれは)
波が砂地を舐めていく、ほんの近くに。
ふたりの男女がいた。
男性のほうはほんとうに小柄で、シャツに黒いパンツという、シンプルな格好。女性のほうは、背が高く、大柄だ。男性よりも背が高い。赤毛のひっつめ髪――まるで自信がなさそうに、背を曲げていた。
(ああ)
「そこのひと、歓迎の宴はもう、はじまっていますよ」
ルナは気づいた。ユキトおじいちゃんと、ツキヨおばあちゃんだ。
ユキトは、ツキヨに呼ばれて顔を上げ、彼女の顔を見て、急に頬を赤らめた。そして、何ごとかを言った。地球には、こんなに美しい人がいるんですね、とかなんとか――。
(ツキヨおばあちゃん! ユキトおじいちゃん!!)
ルナはふたりにすがりつこうとした。砂地を走った。だが、足をとられたように、いくら走っても、ふたりとの距離は縮まらない。
(おばあちゃん! おじいちゃん!)
「よく来れたね、最後まであきらめずに」
「はは、俺、諦めだけは悪いんです」
「ねえあんた、何も食べないの。宴は始まってるんだよ」
「あ、いや――俺は、すこし、この海を見ていたくて」
「じゃあ、あたしが何か持ってきてあげる」
「え!? そんな、悪いよ、」
「いいのよ。あの、でも、そのかわり――あたしも、ここにいていいかしら」
「そっ! それは、それはもちろん! もちろんいいよ!!」
「ねえ、あんたの名前は?」
「俺、ユキト・K・アーズガルド。L18から来ました。……君は?」
「ツキヨ・L・メンテウス」
(おばあちゃん! おじいちゃん!)
ルナは目を開けた。
そして、力を振り絞って、身を起こした。
――最後まであきらめなかった者だけが、地球にたどり着ける。
「アズ、アズ、起きて」
そうして、アズラエルを揺り起こした。アズラエルも、うめきながら、ようやく目を開けた。
「ツキ、ヨ、おばーちゃんを、病院に連れていって」
はっと飛び起きた。
「ばあちゃん!!」
アズラエルは、ぐったりとしているツキヨを抱き起こした。ひどくつめたい。だが、まだ、息はある。彼は出せるかぎりの大声を張り上げ、階下に叫んだ。
「だれか来てくれ!」
いつのまに来ていたのか、ペリドットの妻が駆け上がってきて、ツキヨを背負った。彼女はラグバダ語しか話せないので、アズラエルに向かってなにかわめきながら、階段を駆け下りていった。「だいじょうぶだ、あたしに任せろ」とでも言っているようだった。彼女は、ラグバダ語が分かる原住民仲間といっしょに、シャイン・システムに飛び込んでいった。
「ルゥ」
アズラエルが、ぐったりしているルナの頬を両手でつつんだ。
「おまえは大丈夫か」
――ねえ、神様。
清らかな心の持ち主が、たったひとりもいないとするなら、ここにいる皆はなんなのだろう。
「うおぉ、寝てた」
ララがガバっと飛び起きてよだれを拭き、「このお嬢ちゃんも下に置いてこようか」とルシヤを抱えようとしたが、彼女はルナのスカートにしがみついて離れなかった。
「ルナは……ルナはあたしが守る……」
と寝言を漏らしている。
――神様は、清らかな心の持ち主がいるなら、助けてくれるんでしょう。
三つ星の平和を願って、イシュメルをラグ・ヴァーダの女王に送り届けた、ピーターさんの前世のように。
彼も今世、眠れない苦しみのなかで、軍事惑星のバランスを取ろうとがんばっています。
見えない、重い――天秤を担ぎつづけて。
世界は、闇だけれども。
いまここで、だれかのために、力尽きるまで頑張っているみんなは。
ペリドット、アントニオも起き出した。動物みたいに首をぶるぶる振って、水分を払い飛ばした。
「リサ、キラ、しっかりして」
クラウドが、揺すり起こす。
「下に降りていなさい」
セルゲイも、ビショビショの髪をかき上げながら起き、ふたりを連れて行こうとしたが、首を振った。
――ユキトおじいちゃんは、ツキヨおばあちゃんとのしあわせを投げ捨てて、革命に立った。地球に逃げようと思うほど――ずっと怯えていたのに。
愛するユキトおじいちゃんを追って地球を発って、帰れなくなったツキヨおばあちゃん。エマルさんも軍事惑星群に行ってしまって、ずっと孤独に過ごしてきたおばあちゃん。
いまも、心臓の病気があるのに、あたしを、守って――
「ルゥ!」
アズラエルはルナの頬を叩いたが、起きない。
アニタが、うなりながら這い上がってきたのを見て、「ゾンビかよ」とミシェルが突っ込み、ロイドが思わず笑った。
だが、アズラエルの焦り声に、皆の顔色が変わった。
「ルゥ! ルゥ、しっかりしろ!」
ルナは目をひらいたまま気絶しているかに見えた。アズラエルが必死で揺すり起こしているが、真っ白になった顔は仰向けのまま、なにも見てはいなかった。瞳孔が動かない。手はだらんと垂れ、天秤棒からずるりと――落ちた。
「ルナ!!」
ララの絶叫――ついで、リサとキラの金切り声。
――ねえ、地球の神様も、見ていたでしょう。
二人の出会いを。
「ルゥ!!」
アズラエルが抱きしめた。
「ルゥ――頼む」
死なないでくれ。
「やめて――やめて」
リサが泣きすがった。
――だから、どうか。
せめて、ツキヨおばあちゃんとユキトおじいちゃんの、想いだけでも、認めてください。
「ルゥ――!」
アズラエルの悲痛な絶叫とともに、アニタの膝も、ガクリと折れた。
「ウソでしょ……」
「冗談じゃない! ルナ、息をしなさい!!」
セルゲイがアズラエルの手からルナを奪い取り、心臓マッサージをはじめた。
「死なせないぞ――!」
「うわあああああ」
リサとキラが号泣し――アントニオが、呆然とそれを支えた。ペリドットも、立ちすくんでいた。
クラウドも、信じられない状況に、崩れそうな足を必死でこらえていた。
「ルナ、起きなさい」
セルゲイの人工呼吸も意味をなさない。
だれもが信じられなかった――信じたく、なかった。
「ルナちゃ……」
身を乗り出したクラウドは。
ふと――彼は、気づいた。
雷鳴が、やんでいる。
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