「祖よ、イルゼが呼んでいる」
命が助かったことの安心と喜びとを噛みしめていた双子は、ふいに呼ばれて、あわてて涙を拭いた。ケヴィン首長が立っていた。あわてて天幕のほうへ向かった双子は、従者の少女たちが、みんなそろってしゃくりあげているのを見た。助かったことの、喜びの涙ではないことはすぐに分かった。
「イルゼさんっ……」
双子は、天幕に飛び込んだ。ピーターもそこにいた。
簡素な寝台には、横たわり――最期のときを迎えようとしている老婆がいた。つい先日までの、若々しいおもざしは、そこにはなかった。年齢相応の老人が、息を引き取ろうとしている姿にしか見えなかった。
「祖よ」
イルゼが差し出した手を、双子はにぎった。
「われらのために、この地へ来ていただき、本当にありがとうございました」
彼女は、涙を流していた。
「お、俺たちは、なにも――」
ケヴィンは言いかけたが、イルゼは首を振った。
「あなたは、“なんのためにここへ来たのか”と仰っておられましたね」
「聞いていたんですか」
ケヴィンは真っ赤になった。
『祖だなんだと言ったって、俺たちにできることなんか、なにもありゃしないよ』
――いったいなんで、俺たちはここにいるんだ。
ケヴィンは確かにそう言った。自分たちがなにもできないことの悔しさから出た言葉だった。せめて、銃くらいつかえたら。不本意とはいえ、足手まといにしかならないのに、なぜこんなところにいるのかが分からなかったからだ。
だがイルゼは、思ってみない言葉を口にした。
「あなたたちは、わたくしたちの命を、救ってくださったのですよ」
「……え?」
ケヴィンたちが来るまで、この地のラグバダ族は、イルゼに黄金の天秤がさずかるのを待っていた。イルゼもそうだった。この星すべての住民――ラグバダ族とDLの命を天秤に乗せ、人類の罪と相殺してもらおうと思っていたのだ。
だが、一向に黄金の天秤は現れず、青銅の天秤にはヒビが入る一方――ついに、イルゼと首長たちは決意した。
このままデッド・トライアングルに飲み込まれ、無残と苦痛に彩られた死を遂げるくらいなら、皆でともに死にましょうと。
「なんですって……!?」
双子は絶句した。
首長たちも、沈痛な顔でうつむくのみだった。彼らは、たしかにそれを、覚悟していたのだ。
「あなたたちが来なければ、われわれは、この洞窟で、みんなそろって死んでいたでしょう」
ケヴィン首長がカナコをひとり、追ったのも、ラグバダ族全員が死を覚悟したあとだった。部族の皆は、ケヴィンがカナコとともに死すことを、許してくれたのだ。ケヴィン首長がカナコと、双子を連れてもどったとき、集会場では、いつ、どうやって命を絶つかを算段していたのだった。
まさに、ギリギリだった。
伝説につたえられていた「祖」が現れ、「黄金の天秤は地球の神に預けられた」というメッセージのおかげで、集団自決は止められた。
だが、あと一時間でも遅かったなら。
ケヴィンたちは、屍の山の中に、飛び込んでいたかもしれない。
「……!」
アルフレッドが腰を抜かして、ストン、と座り込んだ。
「世界が救われても、われわれはここにいなかったでしょう。祖が来てくれたゆえに、助かったのです。われわれは生きたのです」
イルゼは、何度も言った。
「どうか――それをお忘れなきよう――」
双子が握り込んでいたイルゼの手から、すっと力が抜けた。
「イルゼさん!」
イルゼは、永久の眠りについていた。ケヴィン首長が、そっとしわがれたまぶたをその手で閉じた。少女たちの号泣はふかくなり――嗚咽が、天幕内に木霊した。
彼女のそばから一時も離れることがなかった空色の箱から、色彩が消えていく。それは、おどろくほど速やかに、ただの鉄の箱になった。
「イルゼが身まかった」
ケヴィン首長がつぶやいた。
「どうか、最後まで見送らせてください」
今までなにも言わなかったピーターが、ぽつりと言った。やすらかに逝った老女を見つめて。
デッド・トライアングルによって、生きながら獣たちの餌となるのではなく。
それは、ひどくおだやかで、安らかな最期だった。
「嬉しく思う――イルゼも、われわれも」
ケヴィン首長は、ピーターに、そう言った。
――イルゼとの別れの儀式は、じつにシンプルに、そしておごそかに行われた。
デッド・トライアングルの終了と同時に、ふたたびこの地に降り立ち、ピーターを迎えに来たレドゥ大佐の一行も、葬儀に参列した。
不思議なことに、洞窟内の通路にも、洞窟の外にも、動物たちの遺体は跡形もなかった。あれは幻だったのかと思うほど、動物たちの気配はない。生きたものも、死んだものも。
数時間前までの恐怖が現実であったことを知らしめるのは、崩落した鍾乳洞の半分と、穴が開いた天井、そして、ソルテが倒した何頭かのウシと、集会場にいたヒツジだけだ。
イルゼと――それから、たったひとり、デッド・トライアングルの犠牲となった戦士の遺体が炎に焼かれ、天へ昇っていくのを、双子は黙って見つめていた。いつも、なにかしゃべらずにはいられないケヴィンでさえ、ひとことも口を利かなかった。
外は、数時間前までの喧騒がウソのようにしずかだった。
密林を進んだときにはいなかった、蚊やコバエがあたりを飛びかうのを、なぜか神聖な目で見つめる双子だった。
とくに祈りの言葉も、儀式らしい営みもなく、遺体は送られた。あまりにも簡素な葬儀に、レドゥ大佐が気を利かせて、軍の作法に法った儀式をした。五人の兵を並べて、空砲を空に向かって発射した。
井桁の火を見つめながら、夜を迎えた。
双子は洞窟には入らず、外で座り込んでいた。
宇宙は吸い込まれるように広く、満天の星空が視界を埋め尽くしていた。
いきなりだれかが、アルフレッドの隣に腰かけた。だれかと思ったら、オルドだった。
「オルドさ……」
「礼を言い忘れていた」
彼もまた、シンプルに言った。
「ミート・パイをありがとう」
まさしく今さらである。オルドはまだ、ひときれも口にしていない。だが、双子は驚きのあまり、言葉を失った。
「これからL22に来るときは、かならず俺に連絡をつけろ。つかなかったら、寄るんじゃない。また、こんなことに巻き込まれないともかぎらねえだろ」
オルドの冗談かもしれなかった。めずらしい軽口に、やっと双子は笑った。
「そうします」
「ミート・パイ持参なら、いつでも歓迎だ」
「――え」
「ピーターの好物は、フルーツタルト」
「え」
「アイツは舌が肥えてるぞ。気をつけろ。それから、ミート・パイをつくってくれた、おまえの彼女が同行してくるんなら、俺が直接もてなそう」
「……」
「あのホテルは、おまえらにかぎり、ミート・パイとタルトで宿泊料にしてやる。ピーターがそうするだろう。なにせ、いっしょに修羅場をくぐった仲間だからな」
双子は、あまりのことに、呆気にとられていた。
「じゃ。帰りの宇宙船はべつになるが、おまえらはきっとまた、すぐ来るだろ」
オルドはそういって、さっさと立って、去ろうとした。
「オルドさん!」
双子は叫んだ。
「すぐ、また会いに行きます!」
オルドは背を向けたまま、手を振った。
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