二百二十六話 地球の涙



 

 「祖よ、イルゼが呼んでいる」

 命が助かったことの安心と喜びとを噛みしめていた双子は、ふいに呼ばれて、あわてて涙を拭いた。ケヴィン首長が立っていた。あわてて天幕のほうへ向かった双子は、従者の少女たちが、みんなそろってしゃくりあげているのを見た。助かったことの、喜びの涙ではないことはすぐに分かった。

 「イルゼさんっ……」

 双子は、天幕に飛び込んだ。ピーターもそこにいた。

簡素な寝台には、横たわり――最期のときを迎えようとしている老婆がいた。つい先日までの、若々しいおもざしは、そこにはなかった。年齢相応の老人が、息を引き取ろうとしている姿にしか見えなかった。

 

 「祖よ」

 イルゼが差し出した手を、双子はにぎった。

 「われらのために、この地へ来ていただき、本当にありがとうございました」

 彼女は、涙を流していた。

 「お、俺たちは、なにも――」

 ケヴィンは言いかけたが、イルゼは首を振った。

 「あなたは、“なんのためにここへ来たのか”と仰っておられましたね」

 「聞いていたんですか」

 ケヴィンは真っ赤になった。

 

 『祖だなんだと言ったって、俺たちにできることなんか、なにもありゃしないよ』

 ――いったいなんで、俺たちはここにいるんだ。

 

 ケヴィンは確かにそう言った。自分たちがなにもできないことの悔しさから出た言葉だった。せめて、銃くらいつかえたら。不本意とはいえ、足手まといにしかならないのに、なぜこんなところにいるのかが分からなかったからだ。

 だがイルゼは、思ってみない言葉を口にした。

 

 「あなたたちは、わたくしたちの命を、救ってくださったのですよ」

 「……え?」

 

 ケヴィンたちが来るまで、この地のラグバダ族は、イルゼに黄金の天秤がさずかるのを待っていた。イルゼもそうだった。この星すべての住民――ラグバダ族とDLの命を天秤に乗せ、人類の罪と相殺してもらおうと思っていたのだ。

 だが、一向に黄金の天秤は現れず、青銅の天秤にはヒビが入る一方――ついに、イルゼと首長たちは決意した。

 このままデッド・トライアングルに飲み込まれ、無残と苦痛に彩られた死を遂げるくらいなら、皆でともに死にましょうと。

 

 「なんですって……!?」

 双子は絶句した。

首長たちも、沈痛な顔でうつむくのみだった。彼らは、たしかにそれを、覚悟していたのだ。

 「あなたたちが来なければ、われわれは、この洞窟で、みんなそろって死んでいたでしょう」

 ケヴィン首長がカナコをひとり、追ったのも、ラグバダ族全員が死を覚悟したあとだった。部族の皆は、ケヴィンがカナコとともに死すことを、許してくれたのだ。ケヴィン首長がカナコと、双子を連れてもどったとき、集会場では、いつ、どうやって命を絶つかを算段していたのだった。

 まさに、ギリギリだった。

 伝説につたえられていた「祖」が現れ、「黄金の天秤は地球の神に預けられた」というメッセージのおかげで、集団自決は止められた。

 だが、あと一時間でも遅かったなら。

 ケヴィンたちは、屍の山の中に、飛び込んでいたかもしれない。

 「……!」

 アルフレッドが腰を抜かして、ストン、と座り込んだ。

 

 「世界が救われても、われわれはここにいなかったでしょう。祖が来てくれたゆえに、助かったのです。われわれは生きたのです」

 イルゼは、何度も言った。

 「どうか――それをお忘れなきよう――」

 

 双子が握り込んでいたイルゼの手から、すっと力が抜けた。

 「イルゼさん!」

 イルゼは、永久の眠りについていた。ケヴィン首長が、そっとしわがれたまぶたをその手で閉じた。少女たちの号泣はふかくなり――嗚咽が、天幕内に木霊した。

 彼女のそばから一時も離れることがなかった空色の箱から、色彩が消えていく。それは、おどろくほど速やかに、ただの鉄の箱になった。

 

 「イルゼが身まかった」

 ケヴィン首長がつぶやいた。

 「どうか、最後まで見送らせてください」

 今までなにも言わなかったピーターが、ぽつりと言った。やすらかに逝った老女を見つめて。

 デッド・トライアングルによって、生きながら獣たちの餌となるのではなく。

 それは、ひどくおだやかで、安らかな最期だった。

 「嬉しく思う――イルゼも、われわれも」

 ケヴィン首長は、ピーターに、そう言った。

 

 ――イルゼとの別れの儀式は、じつにシンプルに、そしておごそかに行われた。

 デッド・トライアングルの終了と同時に、ふたたびこの地に降り立ち、ピーターを迎えに来たレドゥ大佐の一行も、葬儀に参列した。

 不思議なことに、洞窟内の通路にも、洞窟の外にも、動物たちの遺体は跡形もなかった。あれは幻だったのかと思うほど、動物たちの気配はない。生きたものも、死んだものも。

数時間前までの恐怖が現実であったことを知らしめるのは、崩落した鍾乳洞の半分と、穴が開いた天井、そして、ソルテが倒した何頭かのウシと、集会場にいたヒツジだけだ。

 イルゼと――それから、たったひとり、デッド・トライアングルの犠牲となった戦士の遺体が炎に焼かれ、天へ昇っていくのを、双子は黙って見つめていた。いつも、なにかしゃべらずにはいられないケヴィンでさえ、ひとことも口を利かなかった。

 外は、数時間前までの喧騒がウソのようにしずかだった。

密林を進んだときにはいなかった、蚊やコバエがあたりを飛びかうのを、なぜか神聖な目で見つめる双子だった。

 とくに祈りの言葉も、儀式らしい営みもなく、遺体は送られた。あまりにも簡素な葬儀に、レドゥ大佐が気を利かせて、軍の作法に法った儀式をした。五人の兵を並べて、空砲を空に向かって発射した。

 井桁の火を見つめながら、夜を迎えた。

 双子は洞窟には入らず、外で座り込んでいた。

 宇宙は吸い込まれるように広く、満天の星空が視界を埋め尽くしていた。

 いきなりだれかが、アルフレッドの隣に腰かけた。だれかと思ったら、オルドだった。

 

 「オルドさ……」

 「礼を言い忘れていた」

 彼もまた、シンプルに言った。

 「ミート・パイをありがとう」

 まさしく今さらである。オルドはまだ、ひときれも口にしていない。だが、双子は驚きのあまり、言葉を失った。

 「これからL22に来るときは、かならず俺に連絡をつけろ。つかなかったら、寄るんじゃない。また、こんなことに巻き込まれないともかぎらねえだろ」

 オルドの冗談かもしれなかった。めずらしい軽口に、やっと双子は笑った。

 「そうします」

 「ミート・パイ持参なら、いつでも歓迎だ」

 「――え」

 「ピーターの好物は、フルーツタルト」

 「え」

 「アイツは舌が肥えてるぞ。気をつけろ。それから、ミート・パイをつくってくれた、おまえの彼女が同行してくるんなら、俺が直接もてなそう」

 「……」

 「あのホテルは、おまえらにかぎり、ミート・パイとタルトで宿泊料にしてやる。ピーターがそうするだろう。なにせ、いっしょに修羅場をくぐった仲間だからな」

 双子は、あまりのことに、呆気にとられていた。

 「じゃ。帰りの宇宙船はべつになるが、おまえらはきっとまた、すぐ来るだろ」

 オルドはそういって、さっさと立って、去ろうとした。

 「オルドさん!」

 双子は叫んだ。

 「すぐ、また会いに行きます!」

 オルドは背を向けたまま、手を振った。

 

 



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