『地球行き宇宙船アース・シップ・マーサ・ジャ・ハーナ号、午後3時32分、地球に到着しました。――地球行き宇宙船アース・シップ・マーサ・ジャ・ハーナ号、……』

 

 L歴1417年5月31日の午後3時32分――宇宙船は四年間の運航を経て、地球に到着した。

 アナウンスが、船内の街のあちこちで聞こえていた。

 

 グレンが目を覚まして最初に見たものは、なぜか、スーツとはちがう――黒い礼服を着たチャンが、グレンの遺影みたいなものを抱いて、こちらをにらんでいる姿だった。

 「!?」

 起き抜け早々――グレンはなにかを吹きかけた。あまりのことに。驚きすぎて、腹に力が入って、痛みにうめく羽目になった。

 

 「おはようございます」

 チャンが無表情で言った。

 「はじめまして。わたしはチャン・G・レンフォイと申します。あなたの担当役員になります」

 「……は?」

 初対面のような口を利くので、グレンは思わず口を開けた。チャンの格好に遺影――ふくめて、ツッコミどころは、山ほどあった。

 

 「じつは、地球到着を目前にして、わたしの担当船客が死亡しまして」

 チャンはわざとらしく、ハンカチを目に当てた。涙の一粒たりとも出てはいなかった。

 遺影とその恰好は、嫌みのつもりか。ずいぶん手の込んだ嫌みだ。

 「今にも地球に着くっていう時期にですよ? 小賢しい浅知恵をつかって、出て行こうとしたんです。まあ、お見通しでしたが。やることが単純というか、まあ、猪口才というか、とにかくバカで。――そう、救いようのないバカでしてね」

 「おい」

 さすがにグレンのこめかみに、青筋が走った。

 「あっさり、死んでしまったんです。参りました。ホント、担当役員泣かせの、はた迷惑な船客でした……」

 「締め上げるぞ」

 グレンは文句を言ったが、「みんなは、尻と顔を殴るつもりだといってましたがね」とチャンは無表情で告げた。

 「わたしも、ルナさんという方と、頭突きを誓いましてね――まあ、とにもかくにも、死んでしまったんで、わたしは、新たにあなたの担当になりまして……」

 俺は生きてるぞ、と言いかけたグレンは、窓の外に、とてつもない存在感を誇示している青い球体が、青空に透けて見えているのに気づいて、思わずつぶやいた。

 

 「地球に、着いたのか」

 

 看護師の声がした。グレンの名を呼んでいる――。

 「グレンさん――“グレン・B・エクトバル”さん」

 すこし、ちがっていた。

 「は?」

 「あら、お目覚めになったのね。検温のお時間です」

 看護師が、開いたドアから、ひょこっと顔を出した。

 

 「どうも。“グレン・B・エクトバル”さん、担当役員の、チャン・G・レンフォイです」

 チャンがしれっとした顔で右手を差し出したので、呆然と握手をした。

 看護師が、グレンの体温を測り、顔色をたしかめて、「あとでお医者様に見てもらって、だいじょうぶそうなら、地球に降りても平気ですからね」と微笑んで去っていくのを、グレンは最初から最後までアホ面で眺めていた。

 看護師と入れ替わりに、だれかが病室に到着したようだ。

 「グレンさん、奥様が来られたわよ――だいじょうぶ。心配なさらないで、お元気ですから」

 サルビアが顔を出したのを見て、「奥様ァ!?」とグレンが叫び、チャンはさっと立って、

 「どうも。“サルビア・B・エクトバル”さん」

 と礼をした。

ついていけていないのは、グレンだけだった。

 「どうぞ」

 チャンが促した。サルビアはにっこり笑い――グレンめがけてツカツカと進んできたかと思うと、右手を振り上げた。

 パシッと乾いた音がして、まるで威力のない平手打ちが、グレンの左頬に直撃していた。

 

 「あなたと――いう人は!!」

 サルビアの目を、涙が伝っていた。

 「あなたほど、手がかかって、目を離せない人はいません! わたくしが、見張ります! これから先も、ずっと、ずっと――」

 

 サルビアは、泣き崩れた。グレンは、どうすることもできないまま、グレンの膝に突っ伏して泣く、サルビアを見つめた。

やがて、ちいさく苦笑した。

 「……奥さん?」

 グレンがサルビアを指さし、小声でチャンに聞いた。

 「自分の奥方をお忘れで?」

 「悪い。記憶喪失みたいだ」

 死んで、生き返ったばかりだからなァ――。

 グレンはそうつぶやいて、サルビアの頭を撫でた。

 

 

 

 ゴーン、ゴーン、とまるで教会の鐘が揺れる音がしていた。それは、ゆっくりと――尽きぬ合図のように、鳴り響いた。

 地球到着を知らせる鐘の音。それは、船内全域に響きわたっている。

 

 「……ぷぴっ」

 ルナは、目覚めた。屋敷の、自分のベッドの上で。

 「ルナ!」

 ピエトの声が聞こえたが、真っ先に見えたのは、ピエロの笑顔のドアップだった。いまにもよだれが落ちそうな――。

 「ぴぎっ!?」

 

 「ルナが目覚めた! ルナが!!」

 ピエトがドアを開け、階段を駆け下りていく音が聞こえる。

 「ピエロも元気になったよ」

 ルナの上にピエロを置いたのは、レディ・ミシェルだった。アズラエルも室内にいた。

 「ルゥ」

 ほっとしたアズラエルの顔。

 「よくがんばったな」

 彼はふたたび、ルナの頬を大きな両手でつつんだ。

 

 あのあと、レディ・ミシェルともども、階段の半ばあたりで卒倒し、ふたりそろって屋敷にかつぎこまれたのだった。

 ひと晩経って、いまは三時半を回っている。日付は、5月31日――。

 

 「地球に、着いたんだよ、いま」

 「!!」

 ルナは飛び起きた。窓の外には、晴れ渡った青空に透けて、地球の輪郭がくっきり見えている。

 「どこから言おうか」

 ミシェルは笑った。ピエロの両手を猫の手みたいに躍らせながら。

 「ピエロの風邪は治ったし、アンさんも起きた。アダムさん? っていう、アズラエルのおじいちゃんも病気が治ったそうだし、バクスターさんも、元気に目覚めたんだって」

 「じいちゃんのほうは、軽く当たったらしいから、多少リハビリがいるらしいが、バクスターさんは、確実にヤバかったのに、リハビリも必要なくて元気に動いてるって、ドローレスさんから連絡があった」

 「パパから……」

 ルナは目をぱちくりさせ、「グレンは?」と聞いた。

 「グレンも、無事」

 ミシェルはウィンクし、ピエロを万歳させた。

 「まず、サルビアさんに、一発目をもらってるとこだと思うよ?」

 

 



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