アンジェリカは、まったくもって元気で、ぶうたれていた。

 「地球の涙を見逃した……」

 だが、アニタが撮った映像を見て、すぐに機嫌を直した。

 「あたしは、来期があるもんね! つぎこそ、生で見てやる!!」

 “地球の涙”は、到着後すぐにしか見られない、貴重な現象なのである。しかたがないとはわかっていても、アンジェリカは悔しそうだった。

 「一時はあぶなかったけど、母子ともに元気で、安心したよ」

赤ちゃんは、アントニオに似た、ふわふわの金髪だった。抱かせてもらったルナは、綿毛のような金髪を、ちょいと触った。

 「いやあ、これは将来、爆発するぞ」

 そう言いながらも、父親はデレデレだ。

 「ミルクのときしか、あたしに返してくれないの」

 母親は、あっさりしたものだった。

 「でも、あたしに似なくてよかったな。すくなくとも、不細工にはならない」

 アンジェリカは言い、そのことになにか言おうとしたセルゲイたちを止めた。

 「べつに、不細工じゃないとか、そういったことを言って欲しいんじゃなくて――名前を聞いてよ。子どもの」

 「え? もう決めたの」

 ルナは思わず言った。

 「生まれる前から決めてたの。男だったらシェハザール、女だったら、マリアンヌって」

 メルヴァの名前は、つかうことができなかった。メルヴァは、L03とL系惑星群では、ひろく、「革命家」の意味につかわれるからだ。それも、英雄的存在としてではなく、どちらかというと、戦争をもたらすといった、負の意味合いで。

 アストロスでは、メルーヴァの名は多い。メルーヴァ姫が平和の象徴だからだ。しかし、L系惑星群では、まるでちがう意味になってしまう。

 「シェハの名前も、じつは、だいぶ悩んだの」

 シェハザールの名も、メルヴァの側近として、だいぶ有名になってしまった。L系惑星群を危機に陥れた革命家の名を、子につけようとする人間はあまりいないだろう。

 「生まれたのが、女の子で、すこしほっとしたよ。マリアンヌって名前は、めずらしくはないから」

 でも、どうしても、彼らの名前をつけたかったのだと、アンジェリカは言った。

 

 「……サルーディーバって名には、ならんのか」

 グレンがふと、思いついて聞いたのだが、アントニオが首を振った。

 「サルーディーバの概念自体が、おそらくはこれから、変わっていくかもしれない」

 ふたりの子に、サルーディーバではなく好きな名をつけるように連絡してきたのは、なんとサルディオーネたちだった。ユハラムとともに、L03を守っている、王宮の主。

 「お二人がそう仰るのだから、好きな名をつけようと思って」

 アンジェリカも、嬉しそうに言った。

「だけど、俺の娘だから、“サルーディーバ”の姓は継ぐ」

 マリアンヌ・アース・マーサ・ジャ・ハーナ・サルーディーバ。

 それが彼女のフルネームだ。

 

 「金髪の、マリーちゃんか」

 セルゲイは微笑み、抱いてもいいかとふたりに聞いた。アントニオもアンジェリカも、「もちろん!」と言った。

 ルナは、アントニオに似た、ふわふわ金髪の新生児に、あいさつした。

 「マリーちゃん、はじめまして」

 君はきっと、しあわせになるよ。

 

 ルナたちは、アンジェリカが退院したら、すぐ地球のホテルで会うことを約束して、病院を出た。ツキヨは一足先に退院していて、すでにいなかったのだ。四人はまっすぐ、真砂名神社に向かった。

 「おお、ルナちゃん!」

 紅葉庵には、ナキジンと――それから、セシルとベッタラがいた。

 「どうしたの、ふたりで」

 セシルは言った。

 「いろんなことをまとめて、神様に感謝しにきたの」

 セシルの頬はバラ色に染まり、興奮のために火照っていた。

 「聞いて――ああ、だめ。わたし、あとでみんなに話そうと思っていたけど、だまっていられない。今話すわ――わたし、宇宙船の役員になることになったの!」

 「ええっ」

 セシルは、ベッタラとともに、彼の故郷に向かうはずだったのでは?

 「ベッタラさんもよ!!」

 ほころぶような、セシルの笑顔。対してベッタラは、複雑な顔をしていた。

 

 「それが、ワタシは、ペリドット様に、お願いされてしまったのです」

 ベッタラは、デラックス白玉あんみつソルジャーを頬張りながら、照れくさそうに言った。

 「いつかワタシに、K33区の区長をまかせたいと仰る。それで、宇宙船に残ってくれないかというのです」

 ルナたちは、顔を見合わせた。ベッタラは、神妙な顔で言った。アイスを口に運ぶのに、迷いはなかったが。

 「ワタシは、村の長となる立場でしたが、故郷にもう、パコはいませんし、……なによりもワタシは、村を長く離れすぎた」

 「ベッタラさん……」

 どことなく、肩を落としているようにも見えた。

 「ラグ・ヴァーダの武神との対決があったから、仕方がありませんが、長は、ギォックがなるでしょう。ワタシの居場所は、おそらくもうない。よく考えてもみれば、セーシルも、ワタシも、ここにしか、居場所はないのです」

 それに、ここに残る方が、セーシルも喜ぶ、とベッタラは、やっと笑顔を見せた。

 「じゃあ、おまえも屋敷に住むのか」

 「いいえ、ワタシは、K33区で」

 「あたしも、ベッタラさんといっしょに住むわ――でも、あの、その、じつは、あたしも、ルナちゃんの補助役員に――」

 「ええっ!?」

 ルナはぴーん!! とうさ耳を立たせた。

 「え!! やっぱりもう、満員!!」

 セシルは驚き顔をしたが。

 「え、えーっと、アルとシシーさんは、なるってゆってくれてるの。それで、補助役員は五人までだから、まだだいじょうぶ」

 ルナは指を折って、数えながら言った。

 「じゃあ、よろしく!!」

 セシルは、ルナの両手を取って、ぶんぶん上下に振った。

 

 ふたりは、これからK33区に寄ってくるのだといって、先に去った。

 ナキジンたち商店街のみんなと挨拶を交わして、四人は上がった――階段を。

 世界を救ってもらったことと、アンたちの命を救ってもらったことに、あらためてお礼をしにきたのだった。セシルたちが、宇宙船に残ることができたことも含めて。

 当然ではあったが、先日の、黒曜石と化した階段の面影はどこにもなかった。

 黄金の天秤は、真砂名神社の奥殿に安置されている。ふたたび出番が来るまで、眠っているのだ。

 ルナが、K19区の役員になるまで。

 

 (かみさま)

 ルナは、ぺこりと頭を下げた。

 (ありがとうございました)

 

 ――風はあまりにも、さわやかにそよいでいた。

 地球の海で感じたものと、同じく。

 

 



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