二百三十話 ルナから、みんなへ



 

 ――13年後――

 

 「ヨアン! 準備できたの? ルシェに任せきりにしないでね!」

 ナターシャは、トランクに服をつめていたはずが、いつのまにかスケッチブックに色鉛筆を走らせているひとり息子を、ついに追い立てた。

 放っておけば、すぐ絵を描きだしてしまう。息子の良いところを伸ばしてあげたいのはやまやまだが、もうすぐ担当役員が迎えに来てしまうし、しっかり者のルシェ――ケヴィンとマイヨの一人娘に、ヨアンの面倒ばかり見させるのも気が引ける。

 おまけに、といってはなんだが、来週、ついにナターシャのケーキ店がオープンするのだ。その準備で、ナターシャは目が回るほど忙しかった。

 

 「ああ、ルシェ、いいのよ、ヨアンにやらせて」

 ヨアンの代わりに、トランクに彼の衣服をつめこみはじめたルシェを止め、ナターシャは怒鳴った。

 「ヨアンっ!!」

 息子の細い肩がびくり! と揺れ、いやそうな顔で、スケッチブックを閉じた。

 「ママが、むかし小さな声しか出なかったなんて、大ウソだ」

 「ウソつきはあなたよ! ヨアン!」

 ナターシャは、きっちりと言い聞かせた。

 「担当役員さんが来るまで、荷造りを済ませるって、ママと約束したわよね!? ルナにもアズラエルにも、おもいっきり厳しくしてもらいますからね!」

 「サイアク」

 生意気盛りの一人息子は、鼻を鳴らして、乱暴に服をつめだした。

 「地球行き宇宙船なんて、金ももらえるし、ショッピングセンターはいくつもあるんだろ。服なんか持っていったって、しかたがないじゃないか」

 「ヨアン!!!!!」

 ついに、ナターシャの雷が落ちた。

 

 「パパとアルおじさんの友達なんでしょ? あたしたちの担当役員さん」

 「そうよ」

 「ママは、会ったことがある?」

 「一度だけ」

 マイヨは、娘のルシェに、微笑んだ。そして、こっそり耳打ちした。

 「ルナは可愛らしかったし、アズラエルも、そんな怖いひとじゃないわ。ピエロは赤ちゃんのときに会ったことがあるの。今は、とんでもないイケメンだけど。ピエト君も、そうだよ」

 「ホントに!?」

 ルシェは、楽しみが増えたように、こっそり飛び跳ねた。

 

 「そういえば、あれきり、会ってないのよねえ……」

 マイヨはなつかしむように目を細めた。

 十三年前、地球行き宇宙船が航海を終え、L55に帰還して――ケヴィンとアルフレッド、ナターシャとマイヨで、ルナたちを待ちかまえた。そして、L52にもどって、長い長い話をした。マイヨの腹にルシェが宿ったのは、そのころだ。

 マイヨはルナたちと初対面だったが、出会った感想は、ルシェに話した内容そのまま。

 あのときは、お互いに、とてつもない話をしたものだ。

 カーダマーヴァ村や、王宮での思い出、マイヨとの出会い、それからL43での体験――デッド・トライアングルの話を聞くのは二度目だったが、伊達にケヴィンは小説家ではない。臨場感あふれた語りは、いまでも背筋がこおるほどだ。

 そして、ルナたちの話も、信じられない話の連続だったが――離れていたところで起きた二つの出来事が、パズルのピースがはまるように符合して。

 「パパたちは、ホント、よく帰ってきたよね……」

 ルシェもこぼした。

 

 あのころ出会った、ソルテ親子とは、いまでもよい友人だ。ピーターやオルド――秘書室のひとたちも。そして、フライヤも。

ルシェもヨアンも、年に一度の軍事惑星への旅行は、とても楽しみにしている。

 だが、これから四年間は、娘たちを彼らに会わせることはできない。オルドの、すこし残念そうな顔が思い浮かぶ。あの怖い感じのピーターの秘書は、存外、ルシェとヨアンを可愛がってくれているのだ。

 

 そう。

 今日は、ケヴィンとマイヨの一人娘、ルシェと、アルフレッドとナターシャの一人息子のヨアンが、地球行き宇宙船に乗る日だ。

 二人の担当役員が、ルナだと知ったときの、マイヨとケヴィンのおどろきは、表現できないものがあった。

 「あたしたちは、知ってたわ」

だが、ナターシャとアルフレッドは笑ったのだ。

 「サルディオネさんっていう人が、そう言っていたのよ」と――。

 

 「ただいま! シャンパンを買って来たよ」

 「アルコールありとなしが……。足りないかな? ルナっちはまだ?」

 買い物に出かけていた双子が、帰ってきた。マイヨは玄関に向かって叫んだ。

 「まだ来てないよ」

 「そう? じゃあ、サラダでもつくろうか――アボカドは?」

 ケヴィンとアルフレッドが、大荷物を抱えてキッチンに入ってくる。

 「ナターシャのケーキはいつでも完璧だし、チキンはあるし、ラザニアは焼くだけ。アズラエルさんが、L03のサラダが好きだっていうから、つくってあるよ。レモンと生ハムも」

 「アズラエルは来ないよ」

 「え? そうなの?」

 

 「パパ! ママがうるさいんだ!」

 ヨアンが、いつも味方になってくれるはずのアルフレッド・パパにしがみついたが、

 「ヨアンが言うことを聞かないからだ」

 「宇宙船の“パパ”は、メチャクチャ怖いぞ。ヨアンも、すこしはわがままがおさまるかもな」

 とケヴィンがウィンクした。宇宙船の「パパ」がだれなのか、ヨアンもとっくのむかしに聞いている。パパやママのともだちであるアズラエル。もと凄腕の傭兵。

 ルナに会うのを、ルシェはとても楽しみにしていたが、彼女もヨアンも、アズラエルに会うのはすこし怖かった。

 

 インターフォンが鳴った。

 「あ、はいはい……」

 マイヨが出ようとし、ルシェが、「もしかして、担当役員さん!?」と目を輝かせた。その声を聞きつけたナターシャが、だれよりも早かった。猛然と玄関に突撃していく。

母親の勢いに、ヨアンもぽっかりと口を開けて、その姿を追った。

 「ルナ!!!」

 「こんにちは――うっきゃ!」

 ドアが開くなり、ナターシャに飛びつかれたルナは、びっくりして、うしろにひっくり返りそうになったが、なんとか持ちこたえた。

 「ルナ! ウソでしょ――ぜんぜん変わってない」

 「ナターシャも!」

 「だって、十三年ぶりなのよ!?」

 カットソーにジーンズ、エプロン姿のナターシャ、そして、濃いグレーのスーツ姿のルナは、服装こそ変わっていたが、十三年前、地球行き宇宙船の航海直後に出会ったときと、なにひとつ変わっていない気がした。

 ルナはあいかわらず、ほわんほわんと、綿毛のような、雰囲気だ。

 「ルナ、会いたかったわ」

 「うん! あたしも」

 ルナは、おおきな花束を、ナターシャに渡した。

 「開店おめでとう。オープン・セレモニーには間に合わないけど」

 「……ありがとう!」

 

 廊下から、双子も駆けてきた。

 「ルナっち!」

 「ルナちゃん――いや、もうルナちゃんって年じゃないな。ルナでいい?」

 「もちろん! ケヴィン、アル、久しぶり!」

 ケヴィンとアルフレッドも、ルナと固く握手を交わした。万感の思いを込めて。

 ルシェとヨアンが、若いころにもどったような両親を、廊下の奥から、こっそり見つめていた。

 



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