「飲みますか? バグムントさんも。甘いですが」

 「え? あ、俺もいいのか」

 「どうぞ」

 チャンがバグムントの分も注いで渡してくれる。匂いを嗅いで口に含み、感嘆の声を上げた。

 「なんだこりゃ。……ずいぶんいい酒だぞ」

 「シャトルマーニュ九百九十年モノです」

 バグムントはぐはあと吹きかけたが、酒が酒だったので、吐くのを我慢した。

 レストランで頼めば数十万単位のワイン。しかもかなりの年代物。

 

 「……バーベキューに持ってくる酒じゃねえだろうが!!」

 「え? でも、とっても美味しいですよ?」

 ユミコは、嬉しげに飲んでいる。

「お、オイ、待て……!」

バグムントが止めるのも間に合わず、ぐーっとユミコは飲み、瞬く間に空にした。

 オイオイ、さっき、もう飲めねえって言ってなかったか?

 

 「とっても美味しいです!」

 そりゃ旨いだろうよ。

バグムントは火のついていないタバコをくわえ直し、自分の予想が当たっていたことに心の中だけでガッツポーズをした。が、自分と同じことを考えていた奴がもうひとりいたことには舌打ちをした。

 ユミコは、おそらくまだイケる。

 ビールでなくて甘い酒なら。

 このワルいおじさんが、若造連中がユミコにビールを注ぐのを、ぎりぎりまで止めなかった理由。それは、潰れるあとひといきまでユミコを酔わせて、程よい加減で奴らを追っ払い、あとは自分が甘い酒を出して足腰立たなくさせる。そうして、連れて帰って、自分チのベッドに寝かせるつもりだったという、しょうもない理由だ。

おじさんは紳士なので、酔っている女の子に手は出さないが、ユミコのような初心な子には、男の部屋で目覚めたというのはかなりショックな出来事だろう。自分という男を印象付けるには最適だ。ユミコはたぶん自分の顔をまともに見れなくなる。――つまりは、男として意識しだすということだ。そこで、「あんなトコで無防備に酔っぱらっちゃダメだ」と説教し、「俺の前でならいくらでも酔っぱらっていいからね」などと安全なオトコをアピールして、徐々に落としていくつもりだった。

 だが。

 

 「口当たりがいいですからね……でも、アルコールは結構強いですから、気を付けて」

 「……おい、おまえ、」

 その酒持ち出してきた理由は、とバグムントはチャンに、こっそり口パクで聞いたが。

 「決まっているでしょう?」

 チャンは当然だろう、というようにバグムントをちらりと一瞥した。

 

 『……ユミコちゃんを酔わせて、持ち帰る気かおまえ!』

 あくまでも口パクである。チャンはフンと鼻で笑い、

 『言わなきゃ分からないんですか? 頭悪いな。貴方だって彼女を狙っていたんでしょう? でも残念でしたね、持ち帰るのは私です』

 眼鏡がキラリンと光る。

 『てめえええええ』

 バグムントが、(あくまでも)口パクで怒鳴る。

 『持ち帰ってどうすんだ! 食うのか!? 食う気か!』

 『据え膳を食わない男がいるんですか……? あ、安心してください』

 チャンは平然と言った。

 『私は、誠実ですから。ユミコさんは大切にしますよ? 私の、未来の妻として』

 『――!! あのなあ! ユミコちゃんは俺が、今日来た時から狙って――!』

 『バカを言わないでください。私が彼女をいつから狙ってたと思います? 去年の八月からですよ。仕事で一緒になったんです。そこから、どれだけ努力して今日にこぎつけたことか……。貴方みたいなポッと出に、横から掻っ攫われる気はありませんよ』

 

 「あの……、あたしの後ろで何を話してるんです?」

 

 ユミコに不審げに問われ、男二人は、「なんでもない」と片方は微妙な笑顔で、片方はいつも通りの無表情で、言った。

 

バグムントはちびちび飲んでいたが、チャンはとぷとぷと、遠慮解釈なくユミコのグラスに注いだ。甘い酒なら、いけるのか。ユミコは立て続けに飲んでいるが。

「ユミコちゃん、その辺にしとけ――、」

 「バグムントさん」

チャンが薄ら笑いを浮かべて言った。

 「これが、傭兵グループの出自の違いと言うんでしょうかね……?」

 

 こンの、若造……!

 

 バグムントはキレそうだったが、彼は大人だったので我慢した。

 確かに、バグムントのいた傭兵グループ「ブラッディ・ベリー」は、企業で言うと叩き上げ女社長の、二百人ほどの中小企業というところか。しかし、チャンは、「白龍グループ」――数ある傭兵グループの中でも一番老舗で大きい大企業。その幹部の息子ともなれば、このワインが安酒とは言わずとも、お気軽に飲める身分であることは違いない。

 なんでこんなとこで、格差を感じていなきゃならんのだ。

 だが――男の価値は、所属していた傭兵グループで決まるわけではない。

 「ユミコちゃん」

 バグムントは気を取り直していった。

 「甘いお酒が好きなら、――おじさん、カクテル作ってあげようか。何がいい?」

 チャンの眼鏡がキラリと光り、彼らの頭の中だけでゴングが鳴った。

 

 

 

 「……ちょっと、いいかな」

 

 グレンは、声をかけられて、振り向いた。

そこには、小柄なジャージ姿の女の子。ルナより小柄で、やせっぽちな。一瞬子供かと思ったが、理知的な表情は、子供のそれではない。美人とは到底言えない顔立ちだが、とても頭がよさそうな感じのする顔つきだ。

 

 「あ、あんた、」

 「そ。さっき受付で会ったね。サルディオネだよ」

 「あんた、そんな格好してたか?」

 「だって、カレーで汚されちゃったからね。着てきた服は」

 

 「おう、嬢ちゃんもここ来て飲めや」

 すっかり酔っぱらったラガーの店長は、ジャージを着た女の子がサルディオネだとは思わない。彼が陽気にビニールシートを叩くと、サルディオネはかすかに笑って言った。

 「あとでね。ちょっと、グレンさんを借りるよ」

 理知的な表情が和らぐと、人懐こい顔になる。グレンは、なんとなくその笑顔が可愛いな、と思ったが、口に出さず立ち上がった。

 

 サルディオネがまっすぐリズンのほうへ歩いていくので、グレンも黙ってそのあとを追った。

丘を上がり、リズンの店舗の前の道路へつくと、もうすっかり薄暗くなっていた。

陽が沈んで寒くなったらやめる、と言っていたのに、まだだれも席を立つ様子は見せない。それどころか、いつ持ち出してきたのか、反射ストーブが置かれて、ブランケットがいくつか用意されていた。バーベキューの炭火だけでも暖かかったが、ストーブがあるとまた違った。大きな懐中電灯がいくつかつるされて、人の輪を明るく照らす。

まだ薄暗がりだが、まもなく真っ暗になるだろう。

 

 「グレンさん、あたしは、サルーディーバの妹だ」

 

 唐突に、サルディオネが言ったので、グレンは目を見開いた。

 「あなたがガルダ砂漠で負傷して、アズラエルに運ばれてきたとき、あたしも姉さんと一緒にいた。あたしだけじゃない。いま革命で戦っているメルーヴァ・S・デヌーヴや、ツアオという男もいた」

 「や――、」

 グレンは、思いもかけない邂逅に、頭を掻いた。彼女がL03の高名な占い師であることは、さっきの物々しい警護で分かっていたが、まさかサルーディーバの妹とは。

 「そうだったのか……」

やがて、驚きが去ると、彼は穏やかに笑って頭を下げた。

 

 「……あのときは、ありがとう。俺は、そのおかげで今ここにこうしている」

 「そのわりには嬉しそうに見えないね」

 サルディオネは苦笑いした。

「助かって嬉しそうには見えない。現に貴方は、次の戦争に駆り出されたとき、ほんとうは死ぬつもりだったんだろう?」

 「知ってたのか?」

 「今も、貴方は死んでも死ななくてもどっちでもいいと、なかば命を投げてる」

 「やれやれ。L03の占い師には、みんなお見通しってわけか」

 サルディオネは、何か言いたげにグレンを見つめたが、考えていることとは全く別のことを、口にした。