「……あのときのことは、どうか、もう気にしないでください。あたしたちは、姉さんの予言に従って、できることをしただけです。もともと、ガルダ砂漠の戦争の惨事の原因は、L03の長老会が正確な予言をL18に伝えなかったからだ。あたしたちは力のない若い集まりだったけど、できることはしたかった。償いにもならなかったけれど……、」 グレンは何も答えなかった。怒っているのではない。黙って、ふたりで、バーベキューパーティーが開かれている公園のほうを眺めた。ふたりともしばらく口を利かずに、そっちを眺めたままだった。 「――どっちにしろ、あの戦争のために、貴方たちもあたしたちも、大切なものをたくさん、なくした……」 「そうだな」 「……貴方が、姉さんを、サルーディーバを恨んでいなくて、よかった」 「どうして俺が、サルーディーバを恨む?」 グレンが、穏やかに言った。 「俺は命を助けてもらった。それに、あんたの姉さんのサルーディーバさんは、ガルダ砂漠の、あの戦争を止めようとして、長老会とやらに逆らったから、長い間閉じ込められてたんだろ?」 「……そうです」 「ああ、これは俺がアズラエルから聞いたんじゃなくて、アズラエルから聞いた医者が俺に話してくれた。又聞きだ。間違っていたらすまん」 「いいえ。間違っていません」 それからまたしばらく、ふたりは沈黙した。そのうちに、あたりはすっかり暗くなる。道路の電燈はリズン側にあって、二人が立っている場所は、灯りが届かない位置だ。もう、互いの表情は、目を凝らさなければ分からないほどになっていた。 「――貴方が、大晦日の夜に姉さんに会いに来てくれたことも知っている。おいしいケーキを、ありがとう」 「……え? あれ、サルーディーバさんに届けてもらったのか?」 サルディオネは、少し黙し、それから言った。 「貴方がケーキを預けた人が、届けてくれたんです」 「そうか……」グレンは、ふたたび頭を掻いた。「わざわざ届けてくれたのか」 「姉は、貴方に感謝していました」 「いや、感謝しているのは俺なんだけどな……、」 「貴方は――、」 サルディオネが、ためらいがちに言った。 「貴方は、姉に――サルーディーバに会いたいですか?」 「え?」 グレンはサルディオネを見たが、彼女はこちらを見ていなかった。おまけにこの暗がりと、身長差がありすぎるのとで、顔色をうかがうこともできない。 「いや――だって、会えないんだろ? 俺がアンタの担当役員に電話したときだって、タクシー運転手に聞いたときだって、断られたし……、」 「……そうですね。バカなことを言いました」 グレンはてっきり、サルディオネが会わせてやろうと言ってくれるのかと思ったが、そうではないらしい。サルディオネはあっさりそれを認めると、 「戻りましょう、グレンさん」 「あ? ……ああ」 「今日は姉の命で来たのです。貴方に――それだけ伝えようと。ケーキを、ありがとうと」 それは嘘だ。サルーディーバはそんなこと一言も言っていない。アントニオも、そんなことをしろとは、ひとことも言わなかった。 「こんなことを言うのは失礼ですが、……どうか、もう姉に会おうとはなさらないでください」 サルディオネが本当に申し訳なさそうに言うので、グレンは、 「もしかして、俺が会いに行ったことで、なにか無礼を」 「いいえ。そうではないです。でも、今L03はご存じのとおり革命で混乱しています。姉は、次期サルーディーバでありながら、長老会に逆らったがために、八年の蟄居を経験し、この宇宙船にもなかば追い出されるように乗りました。姉はいろいろな出来事のために、とても疲れています。なるべくなら、身辺をおだやかに保ちたいのです」 そういわれてグレンは悟った。なるべく静かに暮らしていたいところに、意外な訪問者があったら、それは驚くだろうし、ストレスにもなるだろう。 女であれば、見知らぬ男の訪問者などなおさら……。 「分かった。考えが浅くて、申し訳なかった」 「いいえ。これはあたしの考えです。姉が言ったことではありません。……ケーキを、本当に、ありがとう」 サルディオネはそれだけ言い、あとはグレンの顔を見ずに駆け出して行った。 サルディオネは、走ったせいでなく、「姉の命で来た」などとうそをついたことに心臓をバクバクさせながら、公園へ戻った。 姉が愛したグレンという男が、どんな男か見てみたかっただけだ。 さんざん迷ったあげく、今日バーベキューパーティーに行くことをサルディオネに決心させたのは、グレンの存在だ。 見てみれば分かると思ったのか。 姉が、どうしてあそこまで好きになってしまったのか。 顔だちは、整っている方だろう。 でも、あの姉が容姿だけでひとを好きになるはずなどない。 ただの軍人だ。サルディオネが、今まで腐るほど見てきたほかの軍人となんら変わらない――。 それとも。 恋を知らない自分が、見極めようと思う方が間違っているのだろうか。 アントニオは、楽しそうに輪の中で飲んでいる。サルディオネが見ているのに気付いて、手招きしたが、サルディオネがウソをついたことを咎めるような様子はなかった。自分は怯えすぎかもしれないと思ったが、なにせ、アントニオにはぜんぶ見破られてしまう。 アントニオがビニールシートから立って、こっちへやってきた。 「アンジェ、帰るの?」 あっさりそう言われて、サルディオネは拍子抜けした。 「う、うん。帰ろうと思って」 「……グレンはどうだった?」 アントニオがにっこりと笑う。……いったいどこまでこの男は、分かっているのだろう。 「まあいいさ。それより、これおみやげね。サルちゃんに持って行って」 アントニオが肉と野菜の串を何本かと、L03の濁り酒ひと瓶、袋に入れて用意してくれていた。メリッサもすでにコートを着て、帰り支度は万全だ。 「メリッサ、……あんた、飲んでてもいいんだよ?」 「いいえ。わたくしは担当役員です。しっかりご自宅までお見送りさせていただきます」 「じゃ、サルちゃんによろしくね」 アントニオや、ビニールシートにいた皆、――ミシェルやリサや、シナモンたちにも手を振られながら、サルディオネは丘の上に上がった。 アントニオは、サルディオネがここにきた目的を知っているから、もう止めなかったのか。サルディオネは、「もう姉に会おうとするな」などと余計なことを言った。それを叱られるかと思っていたのだが、何も言われなかったことに拍子抜けもしたし、ほっともした。 「また来てね!」「今度一緒に飲もうね!」というリサたちの声を聞きながら、メリッサは、 「ほんとうにあの方々は、サルディオネ様が何者か分かってらっしゃらない」とぶつぶつ言うので、サルディオネは苦笑した。 タクシーはリズン前で待っていたが、さっき会場に、ルナはいなかった。 「では、サルディオネ様、まいりましょう」 「――うん」 ルナと話をしたかったが、……仕方ない、それは、またの機会にしよう。 グレンは、まだ丘の上の道路にいた。サルディオネに気付くと、片手を上げた。サルディオネも軽く礼をし、タクシーに乗り込んだ。 ――まさか、サルーディーバが女だったとはな。 グレンは、予想外の事実に、すこし驚いていた。 確か、サルーディーバというのは、男しかなれないはずではなかったか? ずっと、グレンはサルーディーバを男だと思っていた。ルナも、サルーディーバを女だとは言わなかった。だが、ルナは、サルーディーバが男しかなれないのだということを知らないだろうし、おそらく、グレンも知っているのだと思って話さなかったのか。 アズラエルも、サルーディーバが女だと知っているのか。 自分の命を救ってくれたサルーディーバのこと、L03のことなどを、グレンはこの宇宙船に乗ってからも、かなり調べていた。いつかL03に行って、サルーディーバに礼を言いたい、と思っていたのだから、L03の情報はできうるかぎりあったほうがいい。 現職のサルーディーバも、自分を助けてくれたサルーディーバの映像も、写真も見たことはある。普通にネットを探れば、見ることができる。だが、性別に関しては記述がなかった。もともと、性差を超越した存在だということから、書かれていなかったのか。 褐色の肌の、細身の男性だとずっと思い込んでいた。中性的な容姿の、なかなかの美男だと、グレンは思っていた。 サルディオネとは似ても似つかない美形だが、理知的な双眸が、血のつながりを感じさせるかもしれない。 サルーディーバというのは、生涯独身を通し、真砂名の神に仕える男性神職だ。L03の頂点に立つ主でもある。予言されて生誕し、生まれた時からサルーディーバとして生きるのだと、そう書いてあった。
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