グレンは、まるで自分と一緒だな、と皮肉に思ったものだ。

 自分も一生、ドーソンの名がついて回る。

 ドーソンという、一族の檻から逃れられない……。

 

 (――女、か)

 

 サルディオネが姉だというのだから、そうなのだろう。

自分が男だと思っていたあのサルーディーバは、女だったのか。

 

 グレンは、ケーキを渡した、L03の女予言師を思い出した。あの女も写真で見たサルーディーバと同じ褐色の肌で、なかなかの美人だった。

 

 ――まさか、なあ。

 

 グレンが、去っていくタクシーの後姿を見つめていると、背後から聞きなれた、可愛い声がした。

 

 「グレン?」

 ルナだった。いつのまにか足元にいた。小さすぎて目線に入らなかったといえば、たぶんこのうさこちゃんは怒るに違いない。

 「だれか帰ったの?」

 去っていくタクシーの背を、ルナも目で追いかけながら聞いた。

 「ああ。サルディオネさん」

 「ええ!? 帰っちゃったの!?」

 ルナはがっかりした。

 来たときに軽く話したくらいで、まだぜんぜんゆっくり話していない。さっきミシェルやリサたちと話していたときに仲間に入ればよかったと、ルナは後悔した。そのころ、ルナは、アズラエルとグレンとセルゲイとカレンに囲まれて、身動きが取れなくなっていたのだ。

 

 「なあ、ルナ」

 「うん?」

 「サルーディーバって、女なのか?」

 「え?」

 ルナは、そのつぶらな目を真ん丸にした。可愛い、とグレンはヤニさがりそうになって、堪えた。

 「グレン――男の人だと思ってたの?」

 確定した。サルーディーバは、女か。

 「どんな女だ?」

 「……」

 ルナが、そこでやっと、言っていいものかどうか悩みだしたようだった。グレンは苦笑し、

 「いや。いい。言いたくなければ。……さっきサルディオネさんと話しててな。驚いたんだ。彼女が姉さんっていうから、まさか女だとは思わなくてな」

 「サルディオネさんとお話してたんだ」

 サルディオネさんが、サルーディーバさんはお姉さんだって言ったんだ。ルナは、ちょっと安心した顔をすると、ぷくっと頬を膨らました。

「あたしもサルディオネさんともうちょっと、お話したかったなあ」

「おまえは、ほんとにいつまでたっても、ガキみてえだな」

グレンが苦笑するので、ルナは慌ててほっぺたを元に戻した。

「……どうせあたしは、大人っぽくないもん」

「ン?」

拗ねたのか。

グレンはルナの頭を大きな手で撫でた。

ルナはしばらく頭をもじゃもじゃ、撫でられていたが、やがてみんなのいる方を眺め、

「――バーベキューパーティーって、楽しいね」

「そうか? ……そうだな。こういうのも、久しぶりだな」

ふたりで、みんなが騒いでいるバーベキュー会場を眺めた。ふたりでしばらく、そうしていた。ルナが佇んで眺めたまま何も言わないので、グレンも黙ってそうしていた。ルナの肩を抱いたまま。

 

 「――で、おまえはリズンで何してたんだ」

 「焼きそばつくるから野菜切ってたの」

 「やきそば? なんだそれ」

 グレンが聞いたこともない料理名に首をかしげていると、アズラエルがリズンから出てきた。手に大きなトレイを抱えて。なかには刻んだ野菜が山盛りだ。

 「おい、ヒマなら手伝え」

 アズラエルがグレンに向かって言った。

「この段ボール持ってあっちに運んでくれ」

 グレンは素直に、アズラエルの足元にある段ボールを持ち上げた。

 「ルナちゃん。あと、材料これだけ?」

 セルゲイまでリズンのドアから出てきた。大きなトレイの上には、フライ返しや調味料が乗っている。

 

 「うん。それだけー」

 「じゃあ行くぞ」

 アズラエルがすたすたと歩き始めたが、ルナはまだ、丘の上から見える、公園内の光景をぼーっと見つめていた。

 

 「おいルナ? どうした?」

 グレンが怪訝そうにルナを振り返る。アズラエルも足を止めてルナを見た。

 

 暗くなった公園には電燈が灯り、バーベキューをやっている場所も、懐中電灯と公園の電燈で、みんなの楽しそうな光景がはっきり見えた。

 ふいに、その光景が、なにかに重なって見えたのだ。

 

 なぜだろう。

 

 ルナは、じんわりと涙が滲んだ。

 

 ずっと、ずっと昔。

 はるかな昔。

ルナはこうして、夜に開かれる楽しそうな宴を、じっと眺めていたような気がするのだ。

そう、今の自分のように。

だけど、あのころ、自分はその宴の仲間には入れなかった。

みんなの前に、自分は姿を現してはいけなかった。

 

――楽しそうな、砂浜での宴会が毎夜神殿から見えます。月の神である妹神は、いつもそれを羨ましそうに眺めていました。「行きたいのかい?」兄神は言いました。「でも、それはいけないよ。私たちは神様なのだから」。不用意に、人びとの前に姿を現してはいけない。そう、優しく言いました。でも妹神は、寂しかったのです。一度でいいから、あの楽しそうなお祭りに参加して、自分も、あの楽しそうな歌をみんなと歌ってみたい。そう思っていました――。

 

 兄神に止められていた。

 行ってはいけない、と。

自分は、あの宴に参加することはできなかった。

 だから――。

 

――あれは、いったい、どれほどの昔だっただろう。

 

あの、「はじまりの物語」は――。

 

 「ルナちゃん?」

 

 ルナは、はっと顔を上げた。

 横にセルゲイがいて、優しくルナを見守っていた。

 「どうしたの? ルナちゃん。行こう?」

 

 「……行っても、いいの?」

 

 なぜだか、ルナは聞いた。なんとなく聞いてみたかった。

 不安げなルナにセルゲイは少し驚いた顔をしたが、「……いいよ」と穏やかに微笑んだ。

 

 「一緒に、行こう」

 

 セルゲイが、片手でトレイを持ち直し、ルナの小さな手を握る。

 「何言ってんだ、おまえ」

 アズラエルが、ルナの頭をぽんと叩いた。

「ほら、行くぞ。……みんな待ってる」

 グレンも、柔らかな笑顔でルナを促す。

 

 「――うん!」

 

 ルナは、セルゲイの大きな手を握り返し、ゆっくりと、丘を降りた。

 

 みんなの大きな笑い声に歓声。ラガーの店長とデレクの勝負だ。デレクはあんなに細いのに、大きなラガーの店長をひょいひょいとひっくり返してしまう。

 「何やってんだ! オルティス! やっちまえ!」

 ヴィアンカの応援がひときわ大きかったが、それでもやっぱりラガーの店長は、デレクに敵わなかった。

 

 まだまだ、宴は終わらない。夜になったら終わるはずの宴は、明け方まで続いた。

 明け方になって、やっとおしまいになったバーべキューパーティーは、いつのまにかブランケットにくるまれて寝てしまった女の子たちを起こさないように、アズラエルたちと男性役員たちとで片付けられた。

 始めのときと違って人数が多かったので、片付けはあっというまに終わった。

 

 最後までリズンに残ったアズラエルとグレン、セルゲイに、アントニオがコーヒーを出してくれた。淹れたてのコーヒーを飲みながら、四人は何を話すともなく、幸せそうな寝顔のルナを眺めていた。ルナは、何度か四人の手で運ばれて動かされているが、一回たりとも起きなかった。完全に熟睡だ。

 「……幸せそうな寝顔だねえ」

 何の夢見てるのかな、とアントニオが言うと、

 「バーベキューパーティーの夢だろ」とアズラエルが笑った。

 

 

 ルナは夢を見ていた。

 幸せな、夢。

 

 かつて仲間に入れなかった遠い記憶の宴で、ルナは兄神と、――それから、船大工の兄と弟と、手をつないで踊っていた。

 海辺で変わった楽器を打ち鳴らし、宴をしているみんなは、ミシェルやリサたち、クラウドや、ラガーの店長、ヴィアンカ、役員の人たち、エレナやジュリ、カレンやルーイ、ナターシャやアルフレッドたち……。

バーベキューパーティーに集った仲間たちだ。

 みんないる。

 サルディオネもサルーディーバさんも。

 今日は来てくれなかったキラとロイドもいた。

 アントニオとカザマさんも、優しい笑顔でみんなを見ている。

 

 ――今まで見た中で、いちばん楽しくて、幸福な、夢だった。