六十一話 狙われた孤高のトラ





 

 さて。

 セルゲイは、バーベキューパーティの翌日、四十度の高熱を出した。

 バーベキューパーティの片づけを終え、家に帰ってひと眠りしたら起き上がれなくなっていたのだ。

 グレンとルーイに肩を貸してもらい、(身長百八十九センチで、筋肉もそこそこあるセルゲイの重さは大したものだ。)病院へ行ったが、「インフルエンザ――ではないですね」と言われ、注射を打って薬をもらい、そのまま帰宅した。

 そして、一週間寝込んだ。

 インフルエンザではないにしても、風邪だったらうつるので、セルゲイはエレナを傍に寄らせなかったが、エレナの作ってくれるおかゆには大変助けられた。

 

 ルナが一度、見舞いに来てくれた。

 アズラエルの目を盗んで来るのは大変だったろう。ルナの作ってくれたゼリーは冷たくて美味しかった。しかし、ルナにうつしてしまっても大変なので、早々に帰らせた。なにしろ、(あのヘビー級の過去をのぞけば)一度も風邪を引いたことがない自分に取り付く風邪だ。

 一週間後、朝目覚めたら、いったいあれはなんだったのだろうと思うくらい、頭がすっきりしていた。熱は平熱に下がっていた。カレンも「鬼のかく乱」とかなんとか言って笑っていたが、一応心配はしてくれたのか、平熱に下がった今日も、

 「出歩いていいの? 今日くらいゆっくりしてたら?」

 と言ってきた。

 「いや、だいじょうぶ」

 

 二、三キロ痩せてしまったし、一週間、トイレに行く以外は立つのも億劫で、寝てばかりいたせいで、なんだか足もむくんで歩きにくい。体じゅうがギシギシいった。グレンが、「ジムに行く」と言っていたので、つきあうことにした。軽く汗をかけば、体の感覚も戻るだろう。

 「病み上がりでだいじょうぶか?」

 シャワーを浴びたグレンが、素っ裸でミネラルウォーターを飲みつつ言ったが、やはりセルゲイは、「だいじょうぶ」と言ってトレーニングウェアを着こんだ。

 

 「セルゲイさん、朝ごはん食べれるかい? おかゆ作って――、」

 エレナが入ってきて、グレンの素っ裸を見て固まる。グレンの顔を直視してからゆっくり目線が下に降り、腰のあたりで停止し、またグレンの顔を見た。おかゆを放り投げなかったのは賢かった。彼女は冷静に(でもぎこちなく固まったままグレンをなるべく見ないようにし)、テーブルにおかゆを置くと、バタバタ−っと逃げていった。言い捨てていくのを忘れずに。

 「グレン! 隠しとけっていったろう!?」

 「俺の美しい裸体をタダ見か!? 高くつくぞ!」

 「いやあああ! その格好で追いかけてくんじゃないよ!」

 つい、猛獣の習性で追いかけたグレンは、またしてもキリンと大型犬に仕留められた。

 「あははは」

 セルゲイは笑った。実に、一週間ぶりに笑った。

 

 

 K35区から車で一時間ほど。

 野外スポーツができる大きな運動公園や、体育施設がそろっているK07区に二人はいた。

 グレンが通っているジムがある大きなビルは、地下に射撃場もあり、プールや入浴施設も完備された、宇宙船内では一番大きな施設だった。

 グレンとセルゲイはまずジムへ行き、トレーニング・マシーンで一通りのメニューをこなし、軽く汗を流した。そのあと、地下の射撃場で三十分ほど撃ちつづけて、休憩を取った。

 完全防音の射撃場を出、エレベーターで二階の休憩所へ行く。

 休憩所は全面ガラス張りで、一階の大きなプールが一面に見渡せる。自販機もあったが、グレンとセルゲイは、コーヒースタンドでコーヒーを買い、休憩所の椅子に腰を下ろした。

 

 「ここのプールも広いな」

 「そうだね」

 「俺、ルーイに水泳教わってんだ、今」

 「ああ。彼はインストラクターだもんね。ルーイはここで臨時講師やってるの?」

 「いや。ここじゃねえ。アイツが行ってるのはK15のほうのプールだ。ガキ連れの母親が良く来るとさ」

 「へえ」

 セルゲイは冷たいコーヒーを飲み、ようやくトレーニングウェアの上を脱いでTシャツ姿になった。心地よい疲労に、身体の感覚はほぼ戻っていた。

 

 「……ほんと、ここが宇宙船の中だって、言われなきゃわからないよね。こんなでかい宇宙船が、宇宙のなか地球に向かって進んでるんだなんて。実際、信じられないな」

 「そうだな。――それにしてもおまえ、やっぱり元軍人だったんだな」

 「え? ああ、私がL19の軍事教練学校にいたって、そっちの方が信じられないって?」

 「そうはいってねえよ。……射撃の腕のことだ。なかなかじゃねえか」

 百発百中とは言わないが、セルゲイの射撃の仕方は慣れたもののそれだ。学生時代とはいえ、ある一定の期間、銃を撃ちつづけてきた経験のある、手慣れた所作。

 素人と軍人は、銃を持つところから差が出る。

 「そう? ありがとう。でも私は短銃は苦手なんだ。どっちかいうと。スナイパー・コースにいたから」

 「そうだったのか」

 「狙撃手になるはずだったんだけどね。でも、私は軍人はやめた方がいいって、お義父さんに言われて、やめた」

 「なんで」

 「……う〜ん。今思えばなんでだろうね? 私は軍人には向いてないって思ったらしい。担任は私を狙撃手にしたくて一生懸命だったんだけど。でもまあ、立派な軍人のお義父さんがそういうんだからそうなのかなって、卒業一年前から進路切り替えて医学部行ったんだ」

 「……おまえ、エルドリウスさんの言うことなら何でも聞くのか? よく行けたな。医学部、難しいだろ?」

 「そんなことないよ。だけど、向いてないっていうなら向いてないのかなって思っただけだ。なんとか医学部も入れたしね」

 ほややんと笑うセルゲイの顔には、苦労の影もない。グレンは、

 「……おまえはやっぱ、大物だよ」と肩をすくめ、コーヒーを飲み干した。

 

 「グレンは、アズラエルとは同じ学校だったの?」

 ふいにアズラエルの話をされ、グレンは戸惑った。

 「――あ? ああ……、一応な」

 「アズラエルがひとつ下で、アカラの第一軍事教練学校?」

 「ああ」

 「ふうん……」

 セルゲイは、頷いた後、自販機でミネラルウォーターを二本買った。片方をグレンに渡す。「……サンキュ」

 「……グレン。少し、アズラエルのことを教えてくれない?」

 彼は、ラガーで飲んでいたときも、あまり自分のことは話さなかったから、とセルゲイは笑った。

 

 

――傭兵一家の息子、というのはそれなりにいる。だが、親がやり手の傭兵で、軍部に顔が利くようになり、自分の息子を将校の息子がいる、ランクが上の軍事学校に入学させることができるほど出世しているのは、少数派であることは違いない。

アズラエルが入っていたのは、ドーソン家の嫡男であるグレンと同じ、L18の首都国家アカラの、第一軍事教練学校だ。

つまり、将来L18の中枢を担うであろう将校候補たちが、多数在籍しているエリート校だったのだ。