「あのさ、俺だけじゃないだろ。セルゲイさんだって俺と一緒のはずだ」

 セルゲイは目をぱちくりとさせ、アズラエルがじっとりとした目で自分を見ているのに気付き、本格的に顔を赤らめた。

 「いや――その、私は、神様とかは関係ないと……、」

 「セルゲイ。おまえが照れたって不気味なだけなんだよ」

 「て、照れてるわけじゃないよ……。いい大人が、――恥ずかしくって」

 自分の狼狽ぶりが脳内に蘇ったのだろう。セルゲイは大きな肩をしゅんと落として、小さくなっていた。

根拠もなくいきなりルナが危ないなどと叫びだして――何を言っていたんだろう、自分は。

 「セ、セルゲイもあたしを助けに来てくれたの?」

 ルナがセルゲイを下から覗き込むと、セルゲイは白い頬をますます真っ赤にした。

 「ありがとう、セルゲイ」

 ルナがぎゅうっと抱きつくと、セルゲイも幸せそうにルナを抱きしめた。隣のアズラエルが、今にも噛みつきそうな形相をしていたが。

 

 「セルゲイさんも神官とかなの?」

 ミシェルの疑問に、セルゲイが向かいで大きく首を横に振っている。アントニオは笑いながら言った。

 「セルゲイさんには、ルナちゃんセンサーがあるってこと」

 「ルナセンサー?」

 

クラウドは、その会話には加わらずに、立って電話のほうへ行き、受話器を手にしていた。彼が押したボタンの番号は、エーリヒの邸宅の、自室の番号だ。

「クラウド、どうした」

「エーリヒに電話する」

どう考えても、自分が襲われたのは、心理作戦部関連であることは違いない。クラウドは黙っていられなかった。今回は早めに気づいてミシェルを隠すことができたが、次回もこううまく行くとは限らない。これから先、一緒にいるミシェルに何かあったら困る。

絶対、エーリヒは何か隠している。

こちらに危険が迫っているのだから、すべてとは言わずとも、手掛かりくらい聞き出せないか。

明日まで、待ってなどいられなかった。

呼び出し音が数回鳴り、相手は出た。

 

「やあ、エーリヒ」

『……宇宙船とL18では時差があったかな?』

「丸一日と、二時間ほどね。こちらは深夜三時。そっちは一時ころだろう。貴方は起きているはずだと思って」

『なるほど。しかし深夜に電話する詫びの一つもあっていいと思うが。私が心理作戦部に詰めているかもしれないとは、考えなかったのかね』

「まあ、それも考えた。エーリヒ、雑談のために電話したんじゃない。俺はたった今、宇宙船内の自室で、傭兵たちに襲われた」

『ほう』

エーリヒが電話の向こうで、身を乗り出すのが分かった。

「人数は三人。彼らは俺が心理作戦部B班であることと、名前を確認して、ついてくるよう命じた」

『どこへ』

「それは言わなかったし、聞き出せなかった。関連する出来事はある。――ユージィンは傭兵グループのヘルズ・ゲイトを宇宙船へ送り込み、彼の甥であるグレン・J・ドーソンを拉致しようとした。それが実行されたのも今夜だ。詳しいことは分からないが、俺が襲われた件とグレンの件とは、関わりがあると考えられる――ユージィンが仕組んだこととして」

『そうかね。なるほど』

「エーリヒ。俺に危険が迫るということは、俺の愛する人や、身近な人々にも被害が及ぶことがあるということだ。俺の身近な人はアズラエルだけじゃない。それはわかってるだろう」

いい加減、知っていることを教えてくれ、俺は襲われたんだと凄もうとしたクラウドの言葉は、エーリヒの投げつけた爆弾によって遮られた。

 

『クラウド、君はマリアンヌ嬢から教わったパスを持っているね?』

 

クラウドは、一瞬で背筋が凍った。クラウドは、マリアンヌから聞いたパスワードのことは、ひとことも報告していない。エーリヒは何でもないことのように言う。

『おそらく、ユージィンが狙っているのはそのパスワードとID。そして、君の能力。並外れた速読の力と記憶力だ』

「……エーリヒ。俺は貴方に、そのことは報告していない」

『私も、君からは聞いていないね』

エーリヒは面白そうに言ったが、クラウドの隠し事を、怒っている節はない。

『構わないよクラウド軍曹。君が私に何を秘密にしようがそれは君の自由だ。だが、君が教えたはずのないことを私が知っていても、それは私の自由』

「パスワードの内容を?」

『知らないよ。だが教えてくれなくてもいい。私には必要ない』

「いったい、心理作戦部で何が起こっているんだ。俺の能力を、ユージィンが必要としているのか? だから、俺の拉致を?」

『たぶんね。ユージィンは君を心理作戦部へ連れ戻し、『あるもの』を解読させようとしている。私のところにも君を呼び出すよう依頼が来たが、君はバカンス中だと断っておいた。グレン氏のほうはよくわからんが、たいてい、人材不足のドーソンだから、ひとりでも人数が欲しいと言ったところかね。君が今、詳しいことを知る必要はない。君は自分の身体とそのパスワードを大事に、宇宙船という名の頑丈な金庫にしまっておきたまえ。いつか役立つ日が来る』

「エーリヒ、」

『これだけは告げておく。ドーソン一族の栄華はもはや終わる。もって、一、二年といったところだ。君が宇宙船旅行を楽しんでいる間にケリはつくだろう。ユージィンは焦り過ぎている。焦った鷲は、獲物など取れん。もう傭兵を宇宙船へ送り込む資金はないだろうしね。君もグレン氏も、しばらくは安全だ』

「……俺にできることは、今はない?」

『ないと言ったろう、クラウド。バカンスを楽しみたまえ! あ、でも報告書は毎週忘れずにね。いずれ、私のほうから君に会いに行こうと思う。ではな、おやすみ』

エーリヒは、一方的に電話を切った。

彼のマイペースには慣れていたつもりだったが、久しぶりにイラッとした。

 

――どうして、俺がマリアンヌから謎のIDとパスワードを受け取ったことを知っている?

いや、エーリヒにはすでに「謎」ではないのかもしれない。

ユージィンが欲しがっているのは俺の能力だと?

速読法と、記憶力――。

 

なぜ、俺は蚊帳の外なんだ。自分がこうして狙われているというのに。

 

クラウドが腹立ちまぎれに受話器を電話機に叩きつけると、ミシェルが怯えたようにこっちを見ていた。クラウドは慌てて、「だ、だいじょうぶ。……びっくりさせてゴメン」とミシェルを抱きしめた。

 

(――バカだな)

エーリヒの言葉が頭に蘇る。ユージィンのことではなく、自分に向かって言われたような気がした。

焦った鷲は、獲物は取れん。

(……これじゃ、俺もユージィンと一緒だ)

 

焦っているのはユージィンだけじゃない、俺もだ。

 

「ねえ。クラウド」

ミシェルが心配そうに覗き込んでいた。「あたし、何にもできなくて、ごめんね」

クラウドは、思わずミシェルを抱きしめた。

「なんにもできないなんて。……ミシェルがそばにいてくれるだけで、俺はほっとするよ」

 

俺だけならどうにでもなる。

――ミシェルを、危険にさらすのが怖い。

クラウドは、自分の焦りの理由を、冷静に分析していた。

ミシェルだけは守らなければ。なにがなんでも。

 

アズラエルも、自分の特殊仕様腕時計で、バーガス夫婦と通信していた。ルナがセルゲイの膝の上で、アズラエルのほうをじーっと見つめている。

どうせ、俺に関心があるのでなくて、この腕時計がどんな仕組みになっているか、興味津々なのだろう。

この小悪魔ウサギめ。

今すぐセルゲイの膝から降りろと言いたかったが、ルナのぼけっとした顔つきに、色気も何もあったものではなく、嫉妬ばかりしている自分が馬鹿らしく思えてきた。

セルゲイが膝に乗せているのは、一匹のウサギだ。