六十二話 策略




 

 「――ダメです!! 無理です! これでは……!!」

 「ええい!! 止めるんだ、早く!!」

 

 ユージィンの怒号に、部下はすさまじい勢いでENTERキーを叩くが、画面は止まらない。

 「止めろと言っているだろう!!」

 「止めています!! 止まらないんです!!」

 悲鳴のような部下の声。どのキーを押しても止まらない。コンピューター・ルームの大画面を文章が流れていく。人の視力では到底追えない速度で。

 

 「――だから、言ったではありませんか」

 

 ざらりとした、ユージィンの機嫌を悪化させる、低い声が後ろから届いた。

 

 「止めることができるのは、三回が限度。しかも、その都度IDを入力しなければならない」

 

 シエハザールの言葉に、汗と涙が一体化した部下は、慌ててIDを打ち込む。ふたたびENTERキーを押すと、やっと、流れる画面が止まった。部下は、安堵して、大きな息を吐き、背もたれに身を預けた。汗が、軍服をべったりと皮膚に張り付かせていた。

 部下のわずかな休息すら許さず、ユージィンは怒鳴った。

 「最初の部分はどうなった! 消えたのか!?」

 慌てて身を起こした部下は、ディスクの内容をチェックし、「……消えました」と強張った声で答えた。

 ユージィンの血走った目が、こちらへ襲い掛かってくるような印象を受けて部下は席を立った。ユージィンが彼を突き飛ばすようにして、ディスクの中身が表示された手元のブラウザを見ると、たしかにディスクの内容が減っている。わずかなものだが。

 

 ユージィンは、部下を怯えさせた鋭い目で、今度はシエハザールのほうへずかずかと歩み寄った。シエハザールはコンピューター・ルームを睥睨するように、後方の壁に寄りかかって、大画面と、ことの顛末を眺めていた。

彼はいま、L03の民族衣装は来ていない。その上背のある体をL18のグレーの軍服に包み、軍帽を目深くかぶっていた。三つ編みができるほど長かった髪も、短く切りそろえられ、見かけだけならば、どこからどう見ても軍事惑星群の将校である。

彼の装束に違和感があるのは一か所だけ。彼の腰には、L03特有の、柄に宝石がたくさん埋め込まれた豪奢な長刀が下がっている。短銃のホルダーの代わりに。

 ユージィンは彼に一メートル以上近づかないように、ほどほどのところまで近づき、銃口を向けた。

 L03の、指名手配中の革命家の側近だというこの男は、怪しい術を使う。しかもこの長刀を抜けば、戦場慣れした軍人すら一刀のもとに切り捨てる腕前の持ち主だ。不用意に近づけない。ユージィンは、用心深く彼の動向を探りながら、睨みつけた。

 

 「パスワードを教えろ」

 

 この男が、とつぜんユージィンの前に現れたのは去年の十月だ。

 L03の革命家、メルーヴァ・S・デヌーヴの側近だと名乗り、マリアンヌのディスクを持っているかと、開口一番に聞いた。ユージィンは、奪い返しにきたのかと用心したが、そうではないと彼は言った。

 シエハザールは、マリアンヌの日記を自分も読みたいのだと告げ、それを解読するのに必要なら、手助けをしようと言ってきたのだ。

 そして、こうも言った。

 その中には、貴方が知りたがっているL18の予言はひとつもないと――。

 シエハザールは、マリアンヌが子供のころから日記をつけていたと言い、それをディスクに焼いたものがそれだと言った。メルヴァは内容を知っているが、自分は知らない。だからその内容が知りたい、と。

 最初は断ったユージィンだったが、彼はそのディスクのIDを教えてくれた。IDさえあれば、読めるということも。だが、普通の人間では読めない。これを読むには、特別な人間が必要だということも。

 

 ユージィンは、シエハザールを監視下に置き、心理作戦部A班への出入りを許した。だが、気を許したわけではない。

 ユージィンは、引き金を引き、もう一度シエハザールへ告げた。

 「いいか。パスワードを吐くまで、ここから出ていけると思うなよ」

 シエハザールは肩を揺らして笑った。「知りません」

 「ウソをつくな」

 「何度も言ったように私はパスワードは知りません。IDだけでも中身は見れる。よいではありませんか」

 「貴様は、今の顛末を見ていなかったようだな。あれを読める人間がどこにいるというのだ」

 文字面が黒い点にしか見えないほどのスピードで流れていく。目で追うこともできない。

 

 「――クラウドという男は、読めると言ったでしょう。彼はどうしたんです」

 

 クラウド奪回は失敗した。あれを――普通の人間は字を追うこともできないこの文面を読むのには、クラウド軍曹の特殊能力が必要だった。クラウドの持つ、尋常でない速読の力と、いったん読んだら絶対忘れない、恐るべき記憶力が。

 このディスクを読むのに、クラウドが必要だと言ったのもシエハザールだった。彼の言うとおり、ユージィンはクラウドを連れ戻そうとした。グレンを連れ戻すと見せかけ、クラウドを捕獲する。月日と金ばかりかかって、それは失敗した。

 仕方ないから、強引に中身を見ようとしたところで、これだ。ユージィンの不機嫌も、無理もない。

 

 「マリアンヌ様の日記は、パスワードがあっても、あのスピードで流れるのは変わりません」

 「言い逃れか」

 「いいえ」

 否定したのは、シエハザールではない。L31のシステム・エンジニアだ。

 マリアンヌに頼まれ、この日記を編集した男。彼は恐る恐る言った。

 「彼の言うとおりです。この日記は、パスワードがあれば、IDを入力しなくても途中で一時停止ができる。それだけです。一時停止できる回数は三回。それは私が編集したのですから、間違いはありません」

 

 心理作戦部A班は、ずっと、この「マリアンヌの日記」の解読に努めていた。

 マリアンヌが所持していた、一枚のディスク――。

 マリアンヌの手紙とともに、ダグラスが、ドーソン一族が隠したマリアンヌの所持品。

 日記、と書かれていたそれは、たかが日記のくせに、IDとパスワードがなければ中身が閲覧できないよう厳重にロックがかけられた、秘密のディスクだった。

 

 マリアンヌの予言が書かれた手紙、L18の滅びについて書かれたあの手紙と、このディスク。マリアンヌはこれらを残して、世を去った。

 ディスクは、何としても中身を確認しなければならない。あの手紙に書いていた内容の詳しい事実が書いてあるのかもしれないからだ。

 L18の、ドーソン一族の、滅びの予言。

何か手がかりが書いてあるのかもしれない――。

 ユージィンは、躍起になってそれを調査した。

 

 L03という惑星は、科学技術を放棄した惑星であり、その文明は原始に近く、近代文明などというものからは程遠い。そんな惑星で育った下級予言師が、これほど精密なロックを施したディスクを作れるわけがない。そう思った。その予想は当たっていた。日記をディスクに焼きこんだのは、L31のシステム・エンジニアだった。

 彼は、大金を積まれて、日記をディスクに焼く仕事をしたのだという。

 彼の話は、こうだ。

 

 マリアンヌというL03の女性が、唐突にL31の書庫保管センターを訪ねてきた。その書庫保管センターの紹介で、自分はマリアンヌに会った。

 彼女は、自分の所持した十数冊にも及ぶ日記を、一枚のディスクに焼き込み、IDとパスワードでロックしてほしいと依頼した。

 そのほかに要求されたシステムも、奇妙奇天烈で、彼は戸惑った。たしかに要求されたロックをディスクに施すことはできるが、相手はパソコンを見たこともないはずのL03の田舎娘だ。どうしてそんな方法を思いついたのか。

さらに、紙媒体をコンピューターへ入力するのだ。文字量の多さに彼はうんざりした。分厚い百科事典のような日記が十冊以上ある。

「……日記をディスクに焼きこむには、私たちがその日記を読まなくてはならないですけど、いいですか?」と聞いた。日記というのは、依頼者のプライバシーの結集だ。そういえば、やっぱりやめるというかもしれないと思ったのだ。

だが彼女は迷わず首を縦に振ったので、しかたなく彼は引き受けた。パソコンも知らないくせに、ディスクに焼きこんでどうするのか。

そう思ったが、支払われた金額が、破格の金額だった。彼が作業のために五人の人手を雇っても、まだ十二分に釣りがくるほど。彼の半年分の給料と同じ額だ。

彼は金額に見合う仕事をした。二週間で仕事を終え、ディスクを彼女に渡した。