「うーっさうっさ。うーっさうっさ、うさうさうさうさうさうさ……」

 

 次の日の朝である。

ルナは、アズラエルが作った、チーズとハムの大きなサンドイッチを三つも食べ、コーンスープを二杯のみ、ヨーグルトと紅茶と、器に盛られた山盛りのトマト・サラダを完食した。

「いっぱい食べるよ! 元気出さなきゃ!」

そういって、アズラエルの分のオレンジを掻っ攫った。

アズラエルは文句は言わなかったが、「いつになく、食うな」と呆れた声で言った。

ルナはそれから、おかしなウサギダンスを披露しながら片づけをし、ミシェルに「なんか変な生き物がいる」といつも通りスルーされ、クラウドからは「ルナちゃんのカオスが今日はMAX」という診断結果を得た。

 

カオスだかどうかは知らないが、ルナの様子がおかしいのはアズラエルにもわかった。

昨夜、隣の部屋から聞こえてくるすすり泣きは、ルナもアズラエルも聞いた。イチャついているときのそれではなくて、ミシェルは泣いていたのだ。不穏な来訪者が、よほど怖かったのだろう。アズラエルもクラウドも、ようやくそこで思い出したのだ。ルナもミシェルも、軍事惑星群の人間ではない。あんなでかい銃とナイフを持った夜間の来訪者など、一生出会うこともないはずの、ゆるくて平和な星の人間だということを。

今朝、ミシェルの目は腫れていた。昨日泣いたら、すっきりしたのか、今朝のミシェルは元気だった。

ルナは昨夜、泣かなかった。だが、眠れていないのはアズラエルにもわかった。

ずっと、身体をもぞもぞさせながら、――震えていた。

 

 ルナは空元気、というか元気なそぶりをしているのだが、一度も笑っていない。元気に「おはよう!」と言い、ずっとうさぎダンスは踊っているが、アズラエルから離れないのだ。まるで、親に引っ付いて離れない子供である。

 

 朝食の片づけをし、クラウドが駐車場から車を出してきた。クラウドが運転席に、ミシェルが助手席に乗ったところで、ルナも後部座席に乗ろうとしたのをアズラエルが止めた。

アズラエルはルナのぷにぷにした頬を両手で包み込み、

 「――おまえ、だいじょうぶか?」

 今日、一度も笑ってねえぞ、と心配そうに言った。

 

 「だいじょうぶ!」

 「……昨日、怖かったんだろ?」

 「怖くないもん!」

 「どうしたの? 早く乗りなよ」

 「うん!」

 ミシェルの声に、ルナはさっさと後部座席に乗った。仕方なく、アズラエルも座ったが、ルナはアズラエルが入ってくると、隣にではなく、アズラエルの膝に乗った。そして、アズラエルのムキムキな両腕を、シートベルトのように自分の腹のあたりに置き、「……怖くないもん!」ともう一度宣言した。アズラエルの両腕につかまったまま身動きしない。

その顔はやはり笑ってはいない。むっつりと頬を膨らませ、まるで怒っているようだ。アズラエルはため息をつき、窓の外を眺めた。ルナがこういう顔をするときは、かなり意固地になっているときだ。

こういうときは、放っておくに限る。

 

ルナが聞かなかったので、結局アズラエルは、グレンのことは話せずじまいだった。

 

 グレンが搬送された病院は、中央役所の近くにある、宇宙船内いち大きい病院――エレナが入院したところだ。区画ごとに病院はあるが、耳鼻科や皮膚科などの病院か、個人経営の小さな病院ばかりである。夜間の診療はない。夜間に倒れた患者は、中央病院のほうへ運ばれるのが普通だった。

 病院へ着くと、クラウドは駐車場へ車を置きに行くために、ルナたちを玄関先で降ろした。

 受付に行ってグレンの病室を聞き、エレベーターに向かおうとしたら、声をかけられた。

 

「おはようございます」

 「おう、おはよう。嬢ちゃんたち。元気か?」

 ルナたちに声をかけたのは、花束を持ったカザマと、バグムントだった。

 

 「だいじょうぶでしたか? 昨夜は大変でしたね」

 カザマがルナとミシェルの肩を撫で、抱きしめた。カザマからは、花と香水のいい匂いがする。お母さんみたいだ。さっきまで元気だったミシェルの涙腺が、またゆるんだ。ルナも、口をヘンな風に尖らせ、泣くのを我慢していた。

 「あとで話しますけれども、昨夜の犯人たちは今日中にも宇宙船を降ろされますからね。だいじょうぶですよ」

 

 「病室はこっちだ。行こうぜ」

 バグムントが、カザマの持っていた花束を代わりに持った。彼の案内で、ルナとミシェルはカザマと話しながら、バグムントはアズラエルと並んで、五階の病室へ向かった。

 

 「チャンは昨夜からずっとつきっきりだ。まるで献身的な恋人だぜ」

 「おまえは?」

 「今来たばっかだよ。ミヒャエル乗せてきたんだ。今朝チャンに電話したんだがな。グレンは元気そのもの。どっこも異常なし。致死量の麻酔食らっときながら、ピンピンしてやがる」

 「化け物か」

 「ふつうは、良くて一週間昏睡状態だとよ」

 エレベーターに乗って、五階へ。長い廊下を右、左に曲がって、グレンの病室へ。エレナの時のように、そこは個室だった。

 病室に近づくと、ルナが我慢しきれない子供のように、てててっと走って行く。いつもならヤキモチを爆発させているところだが、アズラエルは、今日は黙っていた。

 

 「グレン!!」

 ルナはノックもせず、バタン! と盛大にドアを開けた。

 「――おう。……て、ルナ!?」

 グレンはベッドに半身を起こして座ってい、びっくり顔でルナのほうを眺めていた。チャンもだ。

 

 「グレン! グレンだいじょぶ!?」

 ルナがグレンのベッドに寄る。グレンの身体には傷もなかったし、包帯もまかれてはいなかった。薄いブルーの病院服を着て、ベッドに座っているだけだ。

 「問題ない。だいじょうぶだ」

 そういって、ルナの頭を撫でてくれた。ルナはほっとして、――やっとほっとして、涙がぼたぼたと零れてきた。

 

 「泣くな。別に怪我はしちゃいねえ。飯も食ったし、」

 「足りない、と言って、二人分も食べたのはあなたぐらいですよ」

 いつも無表情なチャンだったが、ルナには、微笑んでいるように見えた。チャンもまた、グレンの無事を喜んでいるのだ。

 ルナはグレンの分厚い左手を両手で握り、「グレンが元気で良かった」とまた泣いた。

 

 「グレンってば、あたしに心配かけてばっかり!」

 ルナの頭には、かつて夢の中で見た、グレンがガルダ砂漠で大けがをして、包帯ぐるぐる巻きでベッドに座っていたシーンが蘇っていた。