……L22の、小さな軍事教練学校。 都市のはずれにあるその学校は、廃校寸前の寂れ具合だった。金がなくてここに入った若者も、そのうちここを見限ってほかの大きな軍事教練学校に入った。都市部へ行けば、まともなところはいくらでもある。学費が安いここで基本的な授業を受け、本格的な軍事教練や体技は都市部の大きい学校へ行って習う――。L8系あたりからくる人間には、そういう貧乏学生がたくさんいた。 風前の灯であるようなここが、なかなか廃校にならないのは、恐ろしく学費が安いから、とりあえず人は切れないのと、ドーソンの名を持つ校長がいるからだった。 バクスター・T・ドーソン。 この廃校寸前の、軍事教練学校の校長の名である。 なぜドーソン家の人間が、L22の、しかもこんなはずれの小さな学校の校長を? もっとも、ここはドーソンの流刑地だと、一部の将校の間では有名だ。 学費が極端に安いこの学校は、ドーソン一族の私費で賄われている。ここの校長に収まるのは、ドーソンの身内で、消すこともできず、さりとてL18にいてもらっては困るという厄介な人物ばかりだった。隠居所という名の牢獄だ。
グレンがドーソン一族の直系だということは、その父であるバクスターも当然そうである。彼は、本来ならばL18の首相になっていてもおかしくない立場だ。傍系であるユージィンになど比べるべくもない。すでに死してはいるが、バクスターの父で、グレンの祖父である男は、二度もL18の首相をつとめたガチガチのドーソン一族だった。 第三次バブロスカ革命の、ユキトたちへの処分を下したのも彼である。 バクスターも無論その父に習い、ユージィンよりも冷酷非情で、彼が父の跡を継いでL18の首相になったら恐怖政治になる、と噂が立つくらい、ドーソン史上最悪の人物欄に名を連ねていたのだ。かつては。 ――あの、地球行き宇宙船に乗るまで。 父は、息子があの得体のしれない地球行き宇宙船に乗った後、変貌してしまったことにも、娼婦だったという女を勝手に妻にしたことにも嘆きながら世を去ったが、グレンのことは可愛がっていた。あんなに恐ろしい男でも、孫は可愛かったとみえる。ジュリのことは、絶対に認めなかったが。 今、本来ならL18のトップに立つはずの息子が、こんな辺境の田舎に左遷させられていると知ったら、彼はどれだけがっかりするだろうか。 父が今のバクスターと同じ年ぐらいのころは、いちばん活動的だった。首相もつとめていた時期もこのころだ。本来なら、バクスターもそんな父同様に、いまごろは首相となっていたかもしれなかったのに。 バクスターが左遷させられたのも、無理もない。 誰もがそう思った。 直系の立場でありながら、ドーソン一族を誹謗中傷する(ドーソン側から言わせれば)バブロスカ革命の本などに、あれほどはっきりと名を連ねていては。 編集者であるバンクスも迷い、何度もバクスターにその意思を確認した。だが、バクスターは名を載せた。載せることを許可した。 あれはL19のロナウド家の支援を得て、L22で発行された本だったが、L18では流通していない。それは当然だった。L18では本を持っているだけで処罰の対象になる。だからといって、L18の人間が読んでいないというわけではないが。 近々、バンクスが、二冊目を刊行しようとしている、という噂だけがあるが、その本にバクスターの名は今度こそ並ばないだろう。 ドーソン一族は、バクスターを厳重な監視下に置いていた。 バンクスも、ここには近づけなかった。エルドリウスが、思い出したころにやってくることがあるが、彼との会話はみな傍受され、記録される。 バクスターに自由は、なかった。 その日の夜は、月が明るかった。 軍事惑星群は、辺境の惑星群と並んで、太陽からかなり離れた位置にあるため、気温も低い。夏でも二十度以上は上がらない。四月になろうというのに白い息を吐きながら、バクスターは学校の校長室で書類をまとめていた。ランプをひとつ、机の上で灯しているだけだったが、月がひどく明るいせいで、ランプすら必要ないと思われた。ランプの火はわずかだが、かじかんだ手を暖めてくれる。今年はずいぶん寒い。 バクスターは暖房をつける気にはなれなかった。暖かくなったら、この場で眠ってしまいそうだ。 延々と紙に判を押し、バインダーに閉じるだけの単調な作業をくりかえし、バクスターは疲れを覚えて席を立った。今学校には自分ひとり。コーヒーを淹れてくれるだれかもいない。バクスターは、ケトルで湯を沸かし、丁寧にコーヒーをドリップした。 ジュリの淹れてくれるコーヒーは、おいしかった。 グレンは、考えたこともないのだろう。あの何でもこなす母親が、最初はなにもできなかったなんて。いや、グレンは母親のことは覚えていないかもしれない。なにせ彼女が死んだとき、三歳だったのだ。 コーヒーすら、彼女は知らなかった。淹れ方を知らないのではなく、見たことも、飲んだこともなかったのだ。 バクスターが教えた。字も、読み方も書き方も。コーヒーの淹れ方も。ミルクと砂糖を入れたら苦いのがすこし薄くなる、――ジュリは、砂糖とミルクをたっぷり入れたコーヒーが好きだった。 彼女は驚くほど勤勉で、教えたことはすぐに覚え、何でも知りたがった。 もっと教えてあげたかった。もっと広い世界を見せてあげたかった。 ――地球に、連れて行ってあげたかった。 L44という名の牢獄から救い上げられた彼女の、自由な人生はなんと短かったことだろう。その命を奪ったのは、自分に他ならない。――自分が、彼女をL18に連れてこなければ、彼女は死ぬこともなかったのに。 彼女の担当役員であったマックスは、いまだに手紙をくれる。ジュリが死んだあたりは、後悔とかなしみで、地球行き宇宙船のことは思い出したくなかった。今なら、ひとことふたことでも返せるような気がしたが、検閲に掛けられて、まともにマックスのもとには届かないだろう。 バクスターが、何度目かしれぬ後悔に打ちひしがれそうになったとき、ガチャリとドアノブが回される音がした。立てつけの悪いドアがギイ、と軋んだ。 グレーの軍服の男が、入ってきた。 上背はあるだろう。背の高いバクスターとほぼ変わりがない。片頬にキズがあるが、まだ若い。二十代前半のようだが、――前線経験が多いのだろうか、なんらかの苦難を経て、急激に老けこんだ顔をしている。挙句に、髪は白髪だ。グレンや自分のような銀髪、ではない。白髪だ。こんなに若いのに。 よほどの修羅場をくぐったな、とバクスターは察した。 「ノックはどうしたのかね」 「バクスター・T・ドーソン大佐……でしょうか?」 彼は分かってはいるが、一応確認するように問うた。バクスターは、いよいよ、その時が来たかと思った。「……そうだが」 「――少し、待ってくれないかね。……せめて、このコーヒーを飲み終えるまで」 バクスターはそう言って彼に背を向け、窓の外をながめた。 さっきまで星がこうこうと瞬いていた外の景色は、砂嵐に変わっていた。この地区は砂漠の入り口だ。砂嵐も珍しくないが、せっかく最期の晩なのに、砂嵐はひどいだろうとバクスターは思った。さっきまで、あんなにきれいな星空だったのに。 だが、自分の最期には、ふさわしいのかもしれない。 ジュリに会うまで、自分の人生はこの砂嵐のようだった。 |