「私にも、いただけませんか」

 将校は、敬礼するでもなく、そう和やかに言って手を差し出した。自分にもコーヒーをくれと言っているのか。バクスターは彼が、グレーの軍服は来ているが、中身は軍服通りでないことを悟った。傭兵か? やれやれ、自分は傭兵に殺されるのか。せめて、ドーソン一族の誰かにしてほしかった。

 将校だったら、上官の前では直立不動で敬礼の姿勢を崩さない。それはどんな落ちぶれた者に対してもだ。彼らは、そういう姿勢が骨の髄まで染みついている。

 コーヒーをねだる時間など持ち合わせない。名を確認して敬礼し、拳銃を抜いて一発バン! だ。それで終了。

 

 「君は傭兵かね」

 「いいえ」

 バクスターは新しいカップにコーヒーを注ぎ、彼に振る舞いながら言った。

 「では、どこの誰だ」

 「……貴方は、何やら勘違いをしておられるようだ」

 軍服の男は温かなコーヒーを一口飲み、微笑んだ。

 「私は、貴方の処刑にやってきたのではありません」

 殺しに来たのではない。ドーソンの何者かに命ぜられて、自分を暗殺しに来たのではないのか。

バクスターは安堵の深呼吸をした。どうやら、まだ生きていてもいいらしい。

「君は誰だ」

改めて問うた。

 

 「ごちそうさまでした」

 彼は飲み終わると、カップを棚の上に置いた。あれは、放っておけばあとでドーソンの者が調査に来た時に、持ち帰るだろうか。

「私は、メルーヴァ・S・デヌーヴといいます」

 「……L03の革命家の?」

 不審げに言うと、メルヴァはまた、先ほどと同じ正体不明の笑みを口に刻んだ。

 「革命家になるんですね、私は。……私たちがしたことは、L03から長老会を追い出し、新たな政権をたてようとしただけなのですが。現職のサルーディーバ様もご無事ですし、L18の介入さえなければ、無血革命だったのです」

 

 L05に逃げた長老会の依頼でL18が軍を出さなければ、死者は出なかった。

 

 「私に言っても無駄だ。この通り私は左遷された立場で――」

 ドーソン家に、私の立ち位置はすでにない。そう言おうとしたが、

 「私は貴方に、L18の軍隊をL03から引かせろとお願いしに来たのではありません」

 「言っておくが、私に頼み事などしても無駄だ」

 私はドーソンの者に監視されていて、ここを動けない。バクスターはそう言ったが、

 「そうおっしゃられますが、やはり貴方はドーソン一族の正式な長になるべき人物。あなたのために動くものが、皆無とは言えないでしょう」

 メルヴァは断りもせず、ゆったりと肘掛椅子に座って足を組んだ。

 バクスターは、メルヴァに容易に背を向け、さっきメルヴァが飲み干したカップと、自分のを流しへ置き、水を流した。カップに残ったコーヒーは水で洗い流されていく。バクスターはカップを洗い、片付けた。メルヴァはそれを見て、小さく眉を上げただけだ。

 ここに自分が来た証拠は、ちゃんと隠滅してくれるらしい。

 

 「知っていますよ。貴方はここに物資を届けに来る軍人や、古い執事たち――彼らを使って外部と連絡を取っている。昔の貴方は恐れられていたが、地球行き宇宙船からもどって生まれ変わった貴方には、味方が大勢いる。エルドリウス氏とも懇意でしょう? 貴方は、完全に翼をもがれているわけではない」

 「だとしてもだ。……私に君の願いを聞き入れる義務が?」

 「私は――貴方の息子を二度、助けた」

 バクスターの背が、ピクリと動いた。

 「一度目はガルダ砂漠で。――二度目は、先日、地球行き宇宙船内で」

 「あそこは、L系惑星群一警備が厳しい」

 バクスターの声は上擦った。「命の危機に晒されることなどないはずだ」

 

 「絶対に安全な場所など、どこにもないのですよバクスター大佐」

 メルヴァはまるで、哀れな者を安心させるように、ねこなで声で言った。

 「貴方の息子を連れ戻そうと、ユージィンが傭兵を送り込んだのです。もっとも、それには裏もありますが。彼は致死量の麻酔を受けて昏倒した」

 「――無事なのだろうな!?」

 「ご心配なく。無事です。私が、グレン様のボディーガードに、襲撃の時刻を知らせたゆえ彼は助かったのです」

 バクスターが、大きく息を吐いて壁に寄り掛かった。

 「まったく、親の心子知らずとはこのことでしょうね」

 「……」

 「貴方は、これほどグレン様を大切に思われているのに。――グレン様は、貴方を恨んでいます」

 「それは無理もないだろう」

 バクスターはあっさり認めた。帰ってきた息子を抱き上げてやりもしなかった。あのときの息子の傷ついた顔を、バクスターは忘れたわけではない。その後も、避けるだけ避けた。そのうち、息子はバクスターに対して心を閉ざした。それは、バクスター自身がそう望んだことだ。

 

 「……何が望みだ」

 メルヴァは、肘掛椅子から立ち上がり、L03特有の礼を取った。三度腰を曲げ、お辞儀をする。バクスターにはそれが分かった。これはL03では、最高位の感謝を示すに値する。

 

 「感謝します、バクスター大佐。どうか、私に、傭兵を紹介してほしい」

 「傭兵だと?」

 最高位の礼をされて、どんな無理難題を頼まれるかと思っていたバクスターは、拍子抜けした。

 「傭兵?」

 「そうです。けれど、ただの傭兵ではありません。長期的な戦略眼をもち、戦場でのゲリラ作戦の経験も多い、とても賢い傭兵です。なぜ彼が将校でなかったのかと惜しまれるような――」

 バクスターの頭に、一人の傭兵の名が浮かんだ。

 「そうです。その方です」

 頭の中身を見透かされたバクスターは、苦い顔をした。

 「不躾だな君は。勝手に人の頭を覗き見るなと躾けられなかったのかね」

 「失礼いたしました。ですが、彼です。彼を紹介してほしい」

 「私を通すより、直接アダム・ファミリーに依頼したほうがいい。いいかね? この校長室での会話はすべて傍受され――、」

 ふいに、バクスターは気づいた。この砂嵐はいつからだ? ますます激しさを増す風が、ピシピシと窓を軋ませている。

 「……今の時間、盗聴は、できません」

 バクスターは、めのまえで得体のしれない笑みを浮かべているこの革命家が、はじめて薄気味悪く感じた。

 

 「それだけではない。L53にある、貴方の私邸を貸してほしい」  

 

 バクスターは思い出した。L53に、自分名義の避暑地があることを。父から譲り受けた広大な牧草地と別荘がある。そこはいまは、執事が管理しているはずだった。グレンが生まれたての頃、家族三人で一度だけ行った。

 さすがにそこまでは、ドーソン一族の手は伸びていない。というより、今ドーソンは、L18内部のことだけで手一杯だ。別の惑星にある私邸などにかまけている余裕はない。

 

 「私邸など、いくらでも貸してやる。あそこは私が死ねばL53の土地になるだろうからな。だが、傭兵のほうはべつだ。私を通すより君が正式にアダム・ファミリーに依頼手続きをふんで、」

 「アダム氏は、依頼を選びます。アダム・ファミリーは、基本的にメフラー商社を通じた、軍部からの仕事しか受けない。私が彼にお願いしにいったところで、私という人物を信用し、依頼を受けてもらうまでには時間がかかる。彼は一年ほど私の身辺調査をしてから初めて依頼を受けるでしょう。私にはそんな時間はないのです」

 「私を通したところで同じだ。あの男は頑固で――!」

 「でも、アダムは貴方に恩がある」

 いつのまにか、自分の目線と同じ位置に、メルヴァの顔があった。ぞっとする、紫の目。