「……かつてアダムの家族を、L18から逃亡させてやったのは貴方です」 「なぜ――それを」 このことは、誰も知らない。ドーソン一族のだれもが知らない。エルドリウスだけが知っていることだった。 十年以上昔、オコーネル政権が立ち、バブロスカ革命裁判のやり直しを命じたとき、バクスターはエルドリウスと一緒に、たくさんの革命縁者を軍事惑星の外に逃がした。惑星外でしばらく生活するための資金や、逃亡するためのチケットを与えた。 彼らはドーソン一族の網にかかって、惑星外へ出られなくなった。逃げ遅れたものは大勢いた。革命縁者が惑星外へ脱出することが禁じられたとき、バクスターとエルドリウスは監視の目を潜り、L19を通って軍事惑星外へ脱出するルートを計画し、たくさんの縁者を逃がした。 アダムの家族だけではない。ドローレスたちの逃亡を援助したのも、彼だった。 「なんてことだ。エルドリウスが吐いたのか?」 「いいえ。違います。私には分かるのです。“私に必要なもの”、すべてが」 バクスターは、この紫の目をこれ以上見ていたくなくて、目を反らした。理由のわからない恐怖に、背筋が震えた。 「アダム氏は、貴方の頼みを断れない。……知っていますよ? 物資補給のトラック運転手に変装して、三月に一度はあなたのところへ来ることを。五日後が、その予定日だ」 こんな人間が、L03にはたくさんいるのだろうか。バクスターは、よくL18の軍隊が、L03での戦で勝てていたものだと呆れ返った。 「――貴方は、私をアダム氏に紹介する。そして、彼の頼みを聞いてやってくれと頼む。それでいい。アダム氏は、二つ返事で引き受けるでしょう。彼は、貴方に恩を返したいと、常々思っていた」 「……」 「ありがとう、バクスター大佐、感謝します」 分かったと口にする前に、メルヴァは感謝を口にした。 「貴方にも決して悪いようにはしません。アダム氏と話す時も、傍受の心配はないですし、それに、」 メルヴァが片手を挙げると、ドアから体格のいい男が入ってきた。グレーの軍服を着た大柄な男だ。彼も見たことがない男だが、軍服のカラー通り、直立不動の姿勢を崩さない。 「彼はツアオ。私の腹心です。彼を通じてあなたが知りたいことはぜんぶ伝えましょう」 彼も、L03の人間か。 「君の部下を、私のもとに置いておくのかね」 「ええ。……苦労しましたよ。彼も、L18の軍人の作法を身に着けるのは」 ツアオは、体格も態度も、まるで軍人そのものだった。 「私はツアオ大尉です。バクスター大佐、よろしくお願いします」 「これからは彼が、私とあなたのつなぎになります。ご心配なく。彼は中級予言師です。貴方の頭の中身は見えません。ですが、貴方を害するものからは、予知の力を使って守ってくれます」 「バクスター大佐、ご自宅までお送りします」 「――いつから、この学校に?」 「ひと月ほど前から」 「私は君の顔を知らないぞ」 「でしょうね。この学校は、ひとの出入りが激しい。ドーソン一族が放った見張りも何人か紛れ込んでいますよ。あなたの知らない顔が。ツアオは一応、“L8系から来たもと鉱山労働者”という前歴です。お忘れなく」 「……」 「そうそう。グレン様が宇宙船内で襲われた事件のことは、ツアオから聞いてください。ツアオ、大切な話をするときは、“砂嵐”を忘れずに」 バクスターが顔を上げた時には、メルヴァはもう、目の見える範囲にはいなかった。ツアオが、直立不動で立っているだけだ。 「……なるほど、君が監視役ということか」 バクスターは呟いた。メルヴァは消えたのだが、もうバクスターは驚かなかった、むしろ、あの怪しい男がいなくなってほっとした。めのまえのツアオとかいう男のほうが軍人に近く、精神衛生上、ましだった。 バクスターが、ドーソン一族に、メルヴァたちのことを漏らさないように、監視役をおいていったのだろう。ドーソンの監視は、最近はかなり緩かった。最新式の盗聴器もなくなったし、砂嵐で傍受が妨害されても、なにもチェックが入らない。ようやく落ち着いてきたところに、監視がもう一人増えた。しかも、得体のしれないのが。 バクスターはとんでもないことに巻き込まれてうんざりしたが、それでも、……グレンの安全だけは、保障されるだろうか。 メルヴァは、おそらく自分に恩を着せるためであろうが、――結果としては、グレンを助けた。 「君は、……あれかね」 「はい、閣下」 「コーヒーは飲むかね」 「いただきます、閣下」 バクスターはその、撃てば響く返事になぜだか心癒されて、コーヒーをサーバーから注いだ。みっともなく、手が震えていた。そのコーヒーサーバーを、ツアオがいつのまにか手に取っていた。 「お疲れですね」 彼が代わりに、カップへコーヒーを注いだ。 「ご命令があれば、私が」 ソーサーにコーヒーカップを置き、律儀にくるりと回して、バクスターのほうへ寄越す。本当に、L18の軍人の作法を学んだようだ。 「ツアオ大尉」 「は、」 「君は、……そうだな、」 バクスターは冷たくなったコーヒーを口にした。 「ふつう、ドアから出ていくかね?」 「は?」 ツアオは、何を言われているか分からない、といったびっくり顔をした。 「軍人は、いかなる場合であっても動揺を顔に出してはならない」 「はっ!!」 「だから、ドアから出ていくかね?」 「はい! 閣下!」 「ならば、コーヒーを飲んだらドアから出ていき、宿舎に戻って就寝したまえ。間違っても私の前で急に消えたりするな。この部屋から出るときは、あのドアから出ていき、そして入ることだ。あのドアから出た後なら、勝手に消えていつのまにか宿舎に移動していても構わん」 「自分は!」ツアオはやっと意味が分かったようだった。 「瞬間移動はできません!」 「それが普通だ」 「はっ! 閣下!」 「で、何が見えるのかね」 バクスターは、コイツが自分の見えないものを見えると口にしたら、絶対に心を開かないことにしようと決めた。 「星空が見えます!」 ツアオが立っている位置からは窓の外が見えるが、いつのまにか、外の砂嵐は落ち着き、星空が瞬いていた。 「それでよろしい」 砂嵐がおさまったので、会話は傍受される恐れがある。ふたりは、後は何もしゃべらぬまま、部屋を出た。 校長室には、バクスターのカップだけが、流しに置かれて残っていた。 本日は、来客はなかった。 ドーソンへの報告書には、簡潔にそう書かれた。 ――グレンの担当役員であるチャンから、バクスターに報告が来たのは二日後だった。
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