六十三話 予言の絵
――ララは、見とれていた。 毎日、ララはここで、正座の体勢で、一時間もそれに見入る。まるで、崇めてでもいるように。 ララが見ているのは、美しい絵画だ。 回廊には、ずらりと絵が並んでいた。縦二メートル、横三メートルほどの絵が一番大きいだろうか。一番小さなものでも十号はあった。絵はぜんぶで四十二ある。 これらはすべて、マーサ・ジャ・ハーナの神話を絵にしたものだ。 この地球行き宇宙船ができたころ、伝説の絵師がこの神話の壁画を描いた。すでにほとんどの絵は崩れ、いまは修復作業が施されている。ララは、この修復作業の資金源で、総監督でもある。 真砂名神社の奥の拝殿へつづく廊下。 そこが、ギャラリーだった。 実は一般公開されているのだが、真砂名神社の、しかも奥まったこの廊下になど、一般客などほとんど来ない。 ごくたまに、マーサ・ジャ・ハーナの神話が好きな者が、どこから聞きつけたのかこの絵画を見に来ることがある。だが、それもほんのわずかなことは、間違いなかった。第一、真砂名神社に来るのは、この区画周辺に住んでいる神官たちくらいで、南の方に居住している人間は、ほとんどこの北の観光地までは来ない。 来ても、誰かの案内がなければ、この場所を見つけることは難しかった。 修復は、すこしずつ進められている。二、三枚、外されてこの場にはなかったが、修復のために工房へ運び込まれていた。全体的にほぼ修復が施された絵画たちだったが、ララが見つめている一枚は、まったく修復がなされていなかった。古びたままなのは、この一枚だけである。 その絵は、不思議な絵だ。 マーサ・ジャ・ハーナの神話は、神々と人間たちの織りなす歴史絵巻。居並ぶほかの絵画は、この絵は神話のどのお話、この絵は何の神、この絵はあの化け物から王女様を救った話だの、エピソードが一目で分かる絵だ。 神話を知っている者は、必ずこの古い一枚の前で首をかしげた。 こんな話、あったか? 皆がそう言った。 その絵は、月をつかさどる女神が主体に描かれている。ぼろぼろに崩れているが、それは分かる。月の女神めがけて、土煙を上げ、まっしぐらに白いライオンが突き進んでくる。それに対し、二匹のライオンが守るように立ちはだかり、月の女神の後ろでは、夜の神と昼の神が両腕を広げている。月の女神を襲おうとしている、白いライオンを威嚇するかのように。白いライオンの後ろにいる太陽の神は、右手だけがどこかを指し、佇んでいる。太陽の神のこの位置は、まるで白いライオンをけしかけているかに見えるし、月の女神を守っているようにも見える。 見た感じでは、良くわからない。 「ララ」 静かな廊下を、絵を眺めながら歩いてきたのはサルディオネだった。 「そろそろ一時間だよ」 「ああ――もうそんな時間か。悪いね」 ララは、立った。その目には涙が溢れていた。ララは立ったけれど、その絵に吸い寄せられたまま動こうとしない。 「なんて絵だろう――。ほんとに。私の心を奪っちまって……」 ララがこの絵を見て泣くのは、毎日の日課だ。 「あたしは予言だのなんだのは、さっぱりわからない。だけど、この絵の意味なんか、あたしなんかが知ることじゃない。いいんだ。意味なんかは。これは、あたしの人生そのものさ。あたしは、きっとこれを蘇らせるために生まれてきた――」 サルディオネも、ララと一緒に絵画を見た。見ただけで、恐るべき霊威がサルディオネを突き抜ける。サルディオネもこの絵をみると、いつも平伏したくなった。姉のサルーディーバも、この絵は特別だと言っていた。 (これは、偉大なる予言師が描いた予言の絵だ) しかし、いったい何の予言なのか。 「本当ならあたしが、自分自身でこの絵を修復してみたかった」 でも、自分にそんな才能はない。――芸術家の逸材を、見出すことはできても。 「アンジェリカ」 「なに?」 「あんたが教えてくれた、この絵画を描いた予言師の生まれ変わりは、いつあたしのまえに現れるんだい」 これも、毎日聞かれることだ。サルディオネは苦笑した。 この絵を描いた、名すら残っていない伝説の絵師の生まれ変わりが、今回の地球行き宇宙船に乗ることになる――。 去年初めのZOOカードの占いで、ララは、自分の運命の相手が今回のツアーに現れることを聞き、すべての業務を放り投げて宇宙船に乗った。ララはE.C.Pの株主だ。特権で、自由に宇宙船を出入りすることができた。 運命の相手とは、その伝説の絵師に他ならない。 ララが待ち続けた、運命の相手。 だが、一年以上たつのに、その相手はララの目の前に現れない。 「ララ。もう少し待ってあげて。……前も言ったけど、生まれ変わった人間には前世の記憶なんてない。かつては伝説の絵師だったって、今は普通の人なんだよ?」 「それはわかってるさ。――だけど、この絵が待ってるんだよ。修復してくれる人間を。分からないかい? この絵の願いが」 「……だいじょうぶ。伝説の絵師は、絶対導かれるようにしてこの絵の前に現れる」 サルディオネは、確信を込めた笑顔で、ララを励ました。 ララは言った。 「……あたしは、アンジェラだと思っていたんだけどねえ……」 伝説の絵師は、アンジェラではなかった。アンジェラは、絵画の修復にはまったく興味を示さなかったし、この絵を見ても「怖い絵だね」と感想を述べたきりだった。 サルディオネがZOOカードで占い、それは確定した。アンジェラはこの絵画を描いた絵師の生まれ変わりではない。 「この絵は、その生まれ変わりの子でなきゃ修復できない。あたしが認めない」 そして、この絵も認めないだろう。自分を修復するのは、描いたものだけ。 「――アンジェ、あんたはもう誰か分かってるんだろう?」 「まあね、だいたいは」 「大体ってなんだい。あたしの知っている人間かい」 「つながりはあるよ」 サルディオネは、「焦らないで」とララを諭した。 「急がせたって無理だ。彼女が、自分の使命に気付かないと。必ず、太陽の神か、――月の神が自ら導いて、彼女らをここへ連れてくる」 「彼女? やっぱり女かい?」 サルディオネはしまったという顔で口を覆った。サルディオネの悪い癖がここでも出てしまった。姉にも、ほかのサルディオネにも、さんざん言われているのに。 言いすぎるな、と。 「ごめ、ごめん! 今のなし!! 聞かなかったことにして!」 「そんなことできるもんかい! お待ち! すばしっこいネズミだね!」 口を塞いで廊下をバタバタ−っと逃げていくサルディオネを、ララが追った。 「お待ちったら! もうすこし教えてくれてもいいじゃないか!」 絵の中の月の女神は、めのまえに襲い来る猛獣を恐れてはいない。ただじっと、白いライオンを見つめているように、見えた。
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